NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/25


運慶 Unkei 

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 運慶(うんけい)は、平安時代末期~鎌倉時代初期に活動した仏師である。
 一二世紀半ば頃、奈良の名仏師・康慶(こうけい)の子として生まれた。
 平安中期以来造像の基準であった定朝様式の作風が固定したことに対し、鎌倉時代にその反省がおこり、運慶は父・康慶とともに定朝様式を受け継ぎながらそれを脱却、強く鋭い作風を築きあげていった。
 天才的な腕前を誇り、1180年代後半の一時期、鎌倉武士のために仏像を手がけ、貴族中心の平安の世から武士社会である鎌倉時代への変遷の中で、仏像も優雅端整なものから質実剛健なものが好まれる様になり、その流れに合って運慶派はもてはやされるようになったという。
 代表作として、東大寺南大門の金剛力士像、興福寺の諸像などが知られている。
 運慶は、慶派の中心的仏師として活躍した名仏師である。
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2007/4/13


加賀竿 Kaga-zao Kaga Fishing Rod

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 石川県加賀市には、「加賀竿」という伝統工芸品がある。江戸時代から技術を伝承してきた高級釣竿だ。
 江戸時代、浅野川の清流では、武士に対し、「釣り」を「健康増進」を目的として奨励していた。鮎釣りは武士にのみ許された特権であり、その竿さばきは剣術にも通じるところがあるなど、隠れた武芸の鍛錬の場でもあった。
 鮎釣りには堅牢な釣り竿が求められ、元禄の頃から竿師が登場するようになったという。やがて漆塗りや加飾が施されるようになり、現在の加賀竿の原型が形成された。
 加賀竿は2年生の竹を高熱加工して強靭さを加え、漆を数回から十数回に渡り塗り重ねる。質実剛健を旨とするため、華美な装飾を避け、黒呂色(くろろいろ)を基調とする。
 しなやかで腰の強い竹の加賀竿は本物志向の人々の支持を集め、最高級の釣竿として今も根強い人気を持つ。
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2007/1/30


鶴岡八幡宮 Tsurugaoka-hachimanguu Tsuruoka Hachimangu Shrine

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 鶴岡八幡宮は、神奈川県鎌倉市にある神社である。主祭神は、応神天皇、比売神神、功皇后。
 鶴岡八幡宮は、康平六(1063)年、京の岩清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し、社殿を創建した。治承四(1180)年、源頼朝が鎌倉入りすると、八幡宮を、この地、小林郷に移した。
 源頼朝がこの高台に社殿を作った時は、全国60余州を平定した時である。翌年には征夷大将軍になり、まさに絶頂期であった。
 以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉の象徴であり、幕府の儀式や行事は全てここを中心に行われた。また、武門の象徴として豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けている。
 鶴岡八幡宮への信仰を背景に、鎌倉を中心に興った質実剛健の気風は、その後武士道に代表される日本人の精神性の基調となったとされる。
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