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2007/8/6


仙台張子 Sendai-hariko Sendai Hariko (Papier-Marche)

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 仙台張子(せんだいはりこ)とは、型を作ったその表面に十二支の動物や福助、お面などの描彩を施した紙製の玩具である。
 藩政時代の天保年間(1830~1844)に、伊達藩下級藩士が創始したといわれ、以来、明治の中ごろまで下級武士たちの手内職として普及、技術の確立が行われていった。
 明治以降には一端途絶えてしまうものの、大正十(1921)年に地元有志の手で復活し、現在に至っている。
 代表的な仙台張子としては「松川だるま」とよばれる、顔の周りを紺青に塗り、目にはガラス玉、腹部には福の神や宝船などがたくさん描かれた、正月の縁起物が古くから親しまれている。
 その他に動物やお面など、出来上がる型は様々あるが、どれにも共通する手作りの温かみと、機械では作り出せないユーモラスな造形が、二百年近くたった今も愛される由縁なのだろう。
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仙台御筆・宮城野萩筆 Sendai-ofude Miyagino-hagi-fude Sendai Ofude (Brushes), Miyagino Hagi-fude

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 仙台御筆(せんだいおふで)とは、慶長十九(1614)年に仙台藩祖伊達政宗が、大阪より筆職人を招聘(しょうへい)して筆師育成と共に、学問と勧業の両面を積極的に奨励したことから生まれたものである。
 筆職人を召抱えて以降は、常時筆師の育成が行われ、藩士たちの内職としても作られたことから、そうした切磋琢磨により技巧もより精細となっていく。
 丁寧な技法や仕事振りで生み出される筆の名声は高まっていき、ついには時の将軍に献上されたことから、恭しく「仙台御筆」と呼ばれるようになったといわれている。
 そんな筆製作技術が向上する中、趣味人でもあった政宗公が仙台藩の狩場である宮城野原に自生していた萩を軸にして作らせたのが宮城野萩筆(みやぎのはぎふで)である。
 野趣性あふれる軸と、その先に付く繊細な筆先との組み合わせは、広く全国の歌人や俳人に好まれ、仙台御筆における象徴的な逸品として、今も多くの愛好家に親しまれている。
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2007/4/25


小柳金太郎 Koyanagi kintarou 

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 秋田県、角館に伝わる伝統工芸品、樺細工の伝統工芸士。
 1976(昭和五十一)年、伝統工芸士に認定。黄綬褒章、労働大臣表彰、など多数を受賞。
 樺細工は江戸時代中期、佐竹藩の藩士が阿仁地方の修験者から伝えられた技法であり、下級武士の内職として工芸品を作ったのが始まりとされる。
 樹皮を加工するという世界でもまれな技術工芸であり、元々は印籠、煙草入、文庫などが作られていた。現在は茶筒や小箱などが多く加工されている。
 丈夫で長持ちするものを作る、というのが氏の信条であり。常に実用品としての美を追い求めながら、伝統を今に伝える職人である。
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2007/4/13


黒田英一 Kuroda Eiichi Eiichi Kuroda

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 静岡県に伝わる伝統工芸品、駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)の伝統工芸士。
 1931(昭和六)年生まれ。駿河竹千筋細工の変形曲げを得意な技法とし、86年、伝統工芸士に認定された。91年、関東通産局長賞、2001年、関東経済局長賞、伝統的工芸品振興会会長賞など多数の賞を受賞する。
 駿河竹千筋細工は江戸時代初期、駿府に隠居した徳川家康が鷹狩を行なう際の餌箱を竹で編ませたのが始まりと言われる。以後武士の内職として作られ発展、明治時代には海外にも輸出され、人気を博した。
 この道60年の経験を持ち、しなる竹を自在に形作る。完成した作品はどこに出しても氏の作品であると判る程、独特な風合いを持つと言う。
 祖父の代から受け継いだ技法に更に磨きをかけ尽力している傍ら、
 現在は後継者育成のための技術・技法の伝承方法を確立し、業界振興を試みている。
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2007/4/10


川連漆器 Kawatsura-shikki 

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 川連漆器(かわつらしっき)は秋田県雄勝郡に伝わる漆器で、経済産業大臣指定の伝統工芸品である。
 歴史は古く、鎌倉時代この地を支配していた稲庭(いなにわ)城主、小野寺重道の弟、道矩の命により、家臣に武具に漆を塗る内職を行わせたのが始まりとされる。
 江戸時代中期に入り、農家の内職として碗などの漆器が造られ、江戸時代後期には藩の支援を受け、広く全国に広められた。
 下地を重点的に行うのが特徴であり、地塗り、花塗りなどの三十に及ぶ工程で行われる。非常に堅牢で、価格が手頃な事から多くの種類の製品が存在する。
 現在も普段使いの日用品として広く用いられ、多くの愛用者を持つ工芸品である。
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樺細工 Kaba-zaiku 

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 樺(かば)細工は秋田県仙北市角館町に伝わる木工品で、経済産業大臣指定の伝統工芸品である。
 江戸時代中期に佐竹藩藩士、藤村彦六が阿仁(あに)地方の修験者から技術を学んだのが始まりとされる。その後、下級武士の内職として広まり、藩の保護を受けて、参勤交代の際の江戸への土産物として広く知られた。
 ヤマザクラ類の樹皮を加工する、世界でも珍しい工芸品。元々は印籠、煙草入れ、根付などが主だったが、現在では茶筒、小箱などの実用品からブローチやタイピンなどのアクセサリーも作られている。
 桜の皮を用いながら樺細工と呼ぶのは、昔は樹皮を総じて樺と読んでいたなどの説があるが、明らかではない。桜皮細工と称する場合もある。
 桜自体の木目を鮮やかに用いた素朴で美しい工芸品である。
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大館曲げわっぱ Oodate-mage-wappa 

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 大館(おおだて)曲げわっぱは秋田県大館市近郊に伝わる木工品で、経済産業大臣指定の伝統工芸品である。
 江戸時代初期に佐竹藩藩主、佐竹義宣により領内の森林資源を用いた特産品として作られた。
 江戸時代の生産体制は武士の内職が主であり、農民には年貢の代わりに樹を収める制度があった。
 水につけて柔らかくなった杉板を曲げて加工したもので、強度と弾性に富み、抗菌性、通気性に長けていることから弁当箱、米びつ、水差しなどが作られた。美しい木目から、近年ではインテリアなどの加工品も作られている。
 製作には熟練の職人技を要し、修理をすれば百年持つとも言われる伝統の工芸品である。
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2007/4/9


岐阜和傘 Gifu-Wagasa 

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 岐阜和傘は岐阜県に古くから伝わる工芸品である。
 和傘は、中国から伝わったのが始まりとされ、当初は貴人に用いる携帯型の天蓋である「おおがさ」として用いられていた。その後、室町時代に入り和紙の防水加工や竹細工などの技術が向上し、現在の折り畳みが可能な形状に変化した。
 岐阜で和傘造りが行われ始めたのは江戸時代中期、加納藩藩主、永井尚陳が藩財政の建て直しと下級武士の窮状打破として和傘造りの内職を奨励したのが始まりとされている。
 武家は骨削りやろくろ、町人は紙張りなどの分業により確立した技法は現在にもしっかりと伝わり、多くの工程と職人の手を渡り一本の傘として作り上げられる。
 現在も野点傘、舞踊傘、番傘などの様々な種類が作られ、華やぎを失わない伝統工芸品である。
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