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2007/11/5


旧奥州街道 Kyu-oushuu-kaidou The Oshu Kaido Road

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 旧奥州街道(きゅうおうしゅうかいどう)は、江戸日本橋を起点として千住から陸奥白川を中心とした、奥州を通る脇街道もふくめた街道の総称である。
 徳川家康が天下統一を行った後、幕府は宿駅制度を設けて、江戸日本橋を起点とした五街道を整備し、道中を奉行に管理させた。
 奥州街道は、その五街道の一つで、江戸時代初期には主に東北諸藩の参勤交代の交通・連絡に用いられた。
 江戸中期には蝦夷地開発、江戸末期にはロシアからの蝦夷地防衛のために往来量が増加した。
 明治六(1873)年、陸羽街道と改称され、現在は大部分が国道4号となり、並行して東北自動車道、八戸自動車道が通っている。
 旧奥州街道は、江戸時代の人々にとり、奥州を旅する時に欠かせなかった中心街道である。
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2007/7/4


三船祭 Mifune-matsuri 

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 毎年5月の第3日曜日、渡月橋上流の大堰川(おおいかわ)の川面に、平安時代が再現されたかのような雅な御遊びが繰り広げられる。車折神社(くるまざきじんじゃ)例祭の延長神事・三船祭(みふねまつり)である。
 竜頭船、鷁首船(げきすぶね)など約20数隻を従えた御座船がゆるゆると流れを漕ぎ上がり、舞踊、献茶、小唄、尺八などの諸芸が奉納される。また扇流船からは色とりどりの扇を川面に浮かべる「扇流し」が行なわれ、新緑の映える大堰川に華やかな彩りを添える。
 この祭りは、昌泰元(898)年、長月二一日、宇多上皇が嵐山に御幸の折、大堰川で御船遊びをなされたことが始まりとされているが、車折神社が昭和三年の御大典を記念し、故事に則って「三船祭」を創始、以降、5月14日の例祭の延長神事として行なわれるようになったもの。
 「三船」の名の由来は、白川天皇が御舟遊びをされた折、和歌・漢詩・奏楽に秀でた者を3隻の舟に乗せて従えたところからその名がついたとされている。
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2007/5/23


山梨 尾白川渓谷 Yamanashi Ojiragawa-keikoku 

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 尾白川渓谷(おじらがわけいこく)は山梨県北杜市を流れ、南アルプス、甲斐駒ケ岳を源流にする渓谷である。
 日本名水百選に選ばれた清流であり、三段の瀑布を持つ神蛇滝(じんじゃたき)、大きな落差を持つ不動滝、清流を湛える千ヶ淵などの急峻な渓流から広い淵まで様々な表情を持つ。
 渓谷に沿って尾白川渓谷道が造られており、竹宇駒ヶ岳神社前宮から不動滝までを歩くことが出来るが、鎖場や木の根なども多い登山道のため、十分な装備の上で訪れることが望ましい。
 一部渓流から離れる尾根道も存在し、こちらのルートは比較的安全なことから、ハイキングコースとして使う登山客も多い。
 季節により、新緑や紅葉が川面に映える絶景を持つ、景勝の地である。
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2007/4/25


祇園白川 Gion-shirakawa 

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 「祇園白川(ぎおんしらかわ)」は、京都府京都市東山区にある川。
 国立近代美術館から南へ流れている。祇園を過ぎると、四条大橋あたりで、「鴨川」と合流する。
 川に沿って格子戸つくりの町屋が並ぶ。それらはお茶屋や商家など日本情緒豊かなもので、風情のある風景である。
 春になると、川沿いのソメイヨシノ、枝垂桜が満開になる。大きな和傘が並んだ休憩所などが設置され、たくさんの人々で賑わう。夜になるとライトアップされ、白川に映る夜桜が幻想的な雰囲気を醸し出す。
 祇園をこよなく愛したという歌人「吉井勇」が作った歌が白川辺に歌碑として残されている。
 美しく着飾った舞妓さん、三味線の音。ここ祇園白川は、京都で最も情緒あふれる場所である。
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2007/2/19


棚倉城 Tanakura-jyo Tanakura Castle

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 棚倉城は、福島県東白川郡棚倉町にあった城である。
 元和元(1622)年、棚倉に移封された丹羽長重は、二代将軍徳川秀忠より築城の命を受けた。
 寛永元(1624)年、長重は近津明神(都々古別神社)を馬場に遷宮し、翌年、その跡地に築城を開始した。
 寛永4(1627)年、棚倉城は完成したが、長重は別の地へ転封された。
 以後も城主は次々入れ替わり、8家16代を経て明治を迎える。
 慶応4(1868)年、戊辰戦争において官軍の攻撃を受け、最後は城主自らが火をかけ、棚倉城は落城し、廃城となった。
 昭和23(1948)年、本丸が亀ヶ城公園となり現在に至る。
 棚倉城は江戸時代、大名の左遷の地とされていたが、今ではそれも悠久の歴史の一部といえよう。
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2007/1/31


都々古別神社御田植祭 Tsutsukowake-jinjya-otaue Otaue at Tsutsukowake Shrine

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 都々古別神社御田植(つつこわけじんじゃおたうえ)は、福島県東白川郡棚倉町八槻で行われる民俗芸能である。神社の祭神は、味耜高彦根命、日本武尊。
 御田植は、八槻都々古別神社で、毎年旧暦の1月6日に豊作を祈って、稲作の作業過程を演じる民俗芸能である。
 農の神である都々古別神社の拝殿で行われる、最も古典的な豊年を祈る芸能であり、杜家の神官が楽人、舞人となり、せりふと簡単な所作で田植えが演じられる。
 都々古別神社御田植は、神楽などとともに、時に滑稽に稲作の作業過程を演じるもので、狂言をうかがわせる演じ方など、芸能の変遷過程や地域的特色を示しており、面白い。
 2004年、重要無形民俗文化財に指定される。
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2007/1/16


権現山の大カツラ Gongen-yama-no-ookatsura Big Katsura on Mt. Gongen

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 山形県最上郡最上町にある、「権現山」の山頂近くにある大木。
 幹の周りは19.2メートル。高さ40メートル。樹齢数百年の「カツラ」である。環境省の登録では日本最大級。
 主幹は複雑にコブがからまっている。地上から2メートル程のところで、7本程度の幹に分かれて立ち上っている。その姿を「龍」にたとえる人が多く、幹にも龍の鱗や、顔に見えるとされる説がおおい。
 幹の中心が空洞化しており、人がすっぽりと入れる。昔窯で焼いた陶器などをこの中におさめていたのではないかといわれる。
 入り口の林道には、「権現山の大カツラ」の案内板が、目立つように設置されている。45分ほどの道のりを中腹まで歩く。
 近くには「最上川白川渓流公園」があり、キャンプなどができ、自然とのふれあいを楽しめる場所である。
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2007/1/9


京石工芸品 Kyoishi-kougeihin Kyoto Stone Carving

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 京石工芸品は、京都の洗練された文化に磨かれた、昔ながらの伝統技法を駆使する石工品。今でも石灯篭などが日本庭園の欠かせない主役となっており、経済産業大臣指定伝統的工芸品となっている。
 仏教や茶道から深い影響を受けている京の文化を背景に、京石工芸品は育まれてきた。仏教伝来とともに大きく発展し、また京都は、比叡山麓、白川の里から良質な花崗岩が産出したため、石仏、石塔、石燈篭など優れた石工芸品が制作されたのである。桃山時代以降、茶道文化の大きな影響の下に古くからある石工芸品に「侘び」「静寂」を汲み取り、優れた遺品が珍重され、模作をもって茶庭に設置したという。
 千年もの間、文化の中心であった京都の土地柄に支えられ、京石工芸品は手作りの高い技術と鋭い美的感覚を持ち、端正で古びた味わいを今に伝えている。
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