NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/2


山之口麓文弥節 Yamanokuchi-fumoto-bunyabushi 

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 宮崎県都城市山之口町に伝わる人形浄瑠璃。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 この地に伝わったのは、江戸時代に薩摩藩の郷土にあたる人物が、参勤交代のとき京、大阪から人形芝居を習い、地元で言い伝えたのが始りとされている。
 「文弥節」は語り調子のことで、三味線に合わせて歌いながら物語が進んでいく。
 現在保存されている人形は27体。江戸時代、明治時代のものが今でも残っている。人形の背面の帯下の穴から両手を差し込む。左手で胴串を握りながら人形の左手を操る。右手は人形の右手を操作する。これらは「舞台」と呼ばれる高さ125センチの下から客席に見えないように人形だけを上に出して操作される。
 「太郎」と呼ばれるのろまな役の人形は舌と目が動く凝ったもの。年4回ほど定期的に公演が行われる。
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2008/9/8


水海の田楽能舞 Mizaumi-no-Dengaku-Nou-Mai 

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 水海の田楽能舞(みずうみのでんがくのうまい)は、福井県今立郡池田町水海の鵜甘(うかん)神社にて行われる伝統行事である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 建長二(1250)年、北条時頼がこの地を訪れ、雪深い池田に滞留して一冬を過ごす事となった。村人達は宴をひらき田楽を舞い、都を思い恋しくなる時頼を慰めると、喜んだ時頼がお礼に能を舞って村人達に教えた。その結果、田楽と能を合わせた珍しい田楽能舞が、この地に継がれる事となったと伝えられる。
 町内には色々な能面が残されており、小学校の授業で子供達が能面を作ったり、水海の田楽能舞の奉納を見学するなど、田楽能舞は人々の心に溶け込んでいる。
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2008/7/30


鵜祭 U-matsuri 

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 鵜祭(うまつり)は、石川県羽咋市(はくいし)にある気多大社(けたたいしゃ)にて一二月一六日に行われる神事である。
 厳冬の深夜に鵜をもってして吉凶を占うという珍しい祭りで、平成一二(2000)年二月に国重要無形民俗文化材の指定を受けた。
 毎年一二月一〇日頃、七尾市鵜浦町の鹿渡島で鵜を一羽だけ生け捕りにする。この瞬間から鵜は神として崇められ「鵜様」と呼ばれる。葦で編まれた籠に丁重に納められた鵜様は、三人の鵜捕部(うとりべ)に交代で背負われ、気多大社まで約四〇キロメートルの距離を運ばれる。一行は、路上に出て賽銭をおとし手を合わせる人々に見送られながら、一歩一歩を踏みしめつつ、ゆっくりと大社を目指す。実に三日間の旅路である。
 一二月一六日の午前三時、いよいよ神社で神事が営まれる。二本のロウソクの灯りだけで神職と鵜捕部の問答がおこなわれた後、鵜を神前に向けて放つ。この鵜の跳躍によって翌年の吉凶が占われるという。大役を終えた選ばれし鵜は、その後一ノ宮海岸へ運ばれて、闇の空へと放たれる。 
 
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2008/7/11


西馬音内盆踊り Nishimonai-bon-odori Nishimonai Bon Dancing

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 西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)は、五穀豊穣や先祖供養を願い、秋田県羽後町の西馬音内地区に伝わる伝統行事。起原は定かではないが、一説によると約七〇〇年前に西馬音に御嶽神社を勧請した折に豊年踊りを踊らせたのが始まりともいわれている。
 昭和五六(1981)年に盆踊りとしては全国で初めて、国の重要無形民俗文化財に指定された。
 笛や太鼓、三味線の囃子が櫓の上で鳴り響く中、未成年の女子は彦三頭巾をかぶり、成人の女性は鳥追い笠という編み笠をかぶって顔を隠し、亡者に変して優雅に舞う。女装した男性の踊り子もいる。
 明るいテンポの「音頭」と、静かなリズムの「がんけ」の二種類の踊り方がある。複雑で難しい足の動きにあわせた手の動きが、なんとも美しい踊りである。
 衣装は代々母から受け継がれてきた端縫いの衣装と決まっていて、衣装の柄やデザインは各自違っている。そこには古い絹や呉服を貰い受けて娘のために作ってきた、母達の長い歴史も物語られている。
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2008/6/13


チャッキラコ Cyakkirako 

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 チャッキラコは、神奈川県三浦市三崎の海南神社(かいなんじんじゃ)にて、毎年一月一五日に行われる伝統芸能である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 海南神社は、貞観八(866)年に建立された社である。祭神は藤原資盈(ふじわらのすけみつ)。
 チャッキラコの起源は、伝説では藤原資盈の娘・盈渡姫(みつわたひめ)が村の娘に教えたといい、他にも諸説あり判然としないが、江戸時代中頃には既に大漁祈願の祝いの踊りとして行われていた。
 踊り手は、おおよそ幼稚園~小学六年生の女の子で、晴着姿で扇を手に舞を踊る。
 名前の由来は、五色の紙を細く短冊に切り小さな鈴をつけた「チャッキラコ」と呼ばれる綾竹を持って踊る曲目からとされる。
 チャッキラコは、女性だけで行われる伝統の小正月行事である。
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遠山 霜月祭 Touyama Shimotsuki-matsuri 

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 遠山の霜月祭(とうやまのしもつきまつり)は、長野県飯田市の信州遠山郷にて、毎年旧暦霜月、新暦一二月の冬至の頃に行われている祭である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 遠山の里に古くから伝わる霜月祭は、両部神道(りょうぶしんとう)による湯立祭りで、清和天皇の貞観年中(859~876)に宮廷で行われていた祭事を模した湯立が、ほぼ原形のままで伝承されていると言われている。
 祭事の移入についても諸説があるが、はっきりと文献に残っているのは文化九(1804)年からである。
 祭りでは、各神社に古くから伝わるお面が数多く登場し、笛と太鼓を使用するもの、太鼓のみのもの、また舞にも相違があり、大きく二つに分類される。
 遠山の霜月祭は、神秘的で荘厳な、復活蘇生を祈る祭りである。
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宮古島のパーントゥ Miyakojima-no-paantu 

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 宮古島のパーントゥ(みやこじまのぱーんとぅ)は、沖縄県宮古島市平良島尻(ひららしまじり)、上野野原に伝わる祭礼である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 平良島尻では旧暦九月の初め、上野野原では旧暦一二月最後の丑の日に行われる儀礼で、厄祓いと幸運をつける来訪神祭祀であるとされる。
 パーントゥとは来訪神で、仮面をつけ、全身を枝葉で覆い、さらにその上からンマリガーと言われる聖井戸の泥炭を塗るので、泥々で原始的にして、底知れぬ恐怖を感じさせる存在となる。
 特に新築家屋や新生児は、泥を塗られる事で悪霊を祓うとともに、嘉例(かりー)をつけ、祝福すると言われている。
 祭祀から行事の準備、実施が地域住民の生活の一部となり、仮面も大事に保管されている。
 宮古島のパーントゥは、郷土に伝わる伝統的な神事である。
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2008/3/31


ずいきまつり Zuiki-matsuri Zuiki Festival at Mikami Shrine

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 滋賀県野洲市にある御上神社(みかみじんじゃ)では、毎年一〇月の第二月曜日に、「ずいきまつり」という例祭が行われている。
 御上神社は三上山の西にある神社で、三上山を神体山とし、天之御影神(あめのみかげのかみ)を祀っている。深い緑に囲まれて楼門、本殿、拝殿が並んでいる。中でも七百年前に建造された本殿は、神社・仏堂・御殿の三様式が融合した「御上造」と呼ばれる大変珍しい建物で、国宝に指定されている。
 「ずいきまつり」は、主にずいき芋(里芋)の茎を使って五基の神輿を作り、それを柿の葉や野菜などで飾り付け、五穀豊穣を感謝して神社に奉納する祭りで、四百年以上の歴史を持つ。平成一七(2005)年二月に国の無形民俗文化財に指定され、伝統行事として引き継がれている。
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