NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/17


盆栽 つるうめもどき Bonsai Tsuruumemodoki 

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 「蔓梅疑(つるうめもどき)」とは、にしきぎ科つるうめもどき属で、冬に葉がなくなる落葉低木である。
 「つるうめもどき」という名前は、もちのき科の「梅疑(うめもどき)」に似ていることからその名がつけられた。
 初春に新芽が出て、みるみるうちに葉が茂っていく。5月から6月頃、黄緑色の小さな花がたくさん咲き、穂長が20センチメートルほどになる。葉は長さ10センチメートルくらいの楕円形である。
 秋に入り、葉が落ちたあと黄色の実がなり、熟すと裂けて黄色の仮種皮に包まれていた赤い種子が顔をだす。黄色の実と赤い実の対比が美しいことから、生け花の材料として使われることも多い。また、樹皮から繊維をとり、糸撚りなどの材料としても使われる。
 冬の乾燥に強く、育てやすい樹木として知られている。春の新緑から秋の紅葉、そして冬の落葉など、四季折々の変化を気軽に楽しむことができる。
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2007/10/9


寸沢嵐石器時代遺跡 Suwarashi-sekki-jidai-iseki 

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 寸沢嵐石器時代遺跡(すわらしせっきじだいいせき)は、神奈川県相模原市相模湖町寸沢嵐にある縄文時代後期の遺跡である。国指定の史跡とされる。
 道志川と相模川の合流点近くの山すそに存在しており、石斧、石皿などの石器や、土器などが発掘されている。
 ほぼ完全な状態で発見された、正六角形の炉を中心にして、平らな河原石を長径4・3mの楕円形の範囲に敷き並べられた「敷石住居」跡である。
 近隣には、自生のカタクリ10万株が群生している「さがみ湖カタクリの郷」があり、毎年三月中旬から四月中旬にかけて公開されている。
 寸沢嵐石器時代遺跡は、新石器時代の暮らしが伺える貴重な史跡である。
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2007/6/4


西崎山環状列石 Nishizaki-yama-kanjou-resseki The Nishizakiyama Stone Circle

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 西崎山環状列石(にしざきやまかんじょうれっせき)は、北海道余市郡余市町栄町にある縄文時代後期の史跡である。北海道指定史跡となっている。
 日本海を見下ろす海抜70mの西崎山の山頂にある環状列石で、大小100個ほどの自然石が集められ、その中に直径1~2mの環状に配列されたミステリアスなストーンサークルがいくつかある。
 配された石の間からは、縄文時代後期中頃の土器が出土し、石の下にも直径50cm、深さ70cmほどの穴があり、中からは燐(リン)の成分が検出されていることなどから、この穴には遺体を埋葬したと考えられている。
 環状列石は、1万年以上続く縄文時代の後半期、東日本を中心に盛んに造られたという。
 西崎山環状列石は、楕円形の環状列石であり、縄文後期の遺跡として大変貴重な史跡である。
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2007/5/25


忍路環状列石 Oshoro-kanjouresseki 

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 北海道の小樽市から余市町にかけての地域に、約80基ものストーンサークルが集中している。縄文時代を知るうえで大変貴重な場所だ。中でも、小樽市にある「忍路環状列石(おしょろかんじょうれせき)」は、国内最大級の規模のもの。昭和三六年に国の史跡に指定された。
 忍路環状列石は、三笠山山麓の緩斜面を平坦にカットし、その平らな面に、大きな立石とに小石を並べたものを、大きな楕円形に巡らせている。全長33m×22mの規模を持つ。この遺跡は縄文時代後期のもので、「区画墓」と呼ばれる集団の墓と考えられている。スケールの大きさから、この地域に住んでいた集団の力の大きさを窺い知ることができる。
忍路環状列石は、未だ明らかにされていない縄文文化を知る歴史の教科書的存在として、極めて貴重な史跡である。
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2007/4/27


東昌寺 Toushou-ji 

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 東昌寺は、宮城県仙台市青葉区青葉町にある臨済宗東福寺派の寺である。北山五山の一つとされている。
 弘安年間(1278〜88)に創建され、開山は山叟彗雲(恵雲)、開基は伊達4代政依とされる。
 その後、伊達氏と共に米沢、岩出山へ移り、慶長五(1600)年、政宗により現在地に移った。
 正宗は自らの菩提寺として東昌寺を建立し、伊達五山(現在の北山五山)の筆頭とした。境内には儒者田辺希賢や「封内風土記」著者である田辺希元の墓がある。
 境内の一角にそびえるマルミガヤの巨樹は、樹高約20m、幹周約6m、樹齢推定500年の古木で、通常のカヤは楕円形の実だが、この木は丸い実をつけるために「マルミ」ガヤと呼ばれ、国の指定天然記念物となっている。
 東昌寺は、政宗の菩提寺として有名な歴史ある寺院である。
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2007/4/11


東麓石窟仏 Higashifumoto-Sekkutsubutsu Higashifumoto Stone Cave Buddha

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 東麓石窟仏(ひがしふもとせっくつぶつ)は、宮崎県西諸県郡野尻町にある県指定史跡の仏像群で、珍しい石窟(石龕)式の磨崖仏である。通称、岩薬師といわれる。
 創建時代は約700年前の鎌倉時代末期と推定されているが、諸説があってはっきりしない。仏師も不明であるが、風雨に耐える構造が幸いし、当初の原形を今に残している。
 石窟の大きさは、高さ138cm、幅184cm、奥行き166cmほどで、形は楕円形のドーム状となっている。仏像は、その奥壁に浮き彫りされている。
 中央に50cmほどの薬師如来が掘られ、その左右に20cmほどの日光菩薩、月光菩薩が脇侍し、更に眷属として十二神将が薬師如来を守っている構図である。
 町内では、通称「岩の堂薬師さま」と呼ばれており、病気の平癒を願う人々が今も後を絶えない。
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2007/3/13


モシリヤチャシ Moshiriya-chashi Moshiriya Chasi

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 モシリヤチャシは、北海道釧路市城山にある、アイヌの人々が築いた砦である。
 モシリヤチャシとは、アイヌ語で「島のある川の砦」という意味である。
 1751年、トミカラアヤノが築造したといわれている。
 構造は、北東側三段、南西側二段の変形鏡餅。直径約170メートル、短径約70メートルの楕円形の丘で、内郭と外郭に分かれ、内郭の周囲には空堀がめぐらされ、堀を掘った土を盛り上げて土塁にしている。
 砦としてだけでなく、祭りや、談合に使われる事も多かったといわれている。
 現在は柵で囲われており、山と言うより土手に近い形である。昭和10(1935)年、国指定の史跡に認定される。
 モシリヤチャシは、アイヌの人々が実際に暮らしていた砦であり、貴重な文化資産である。
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鶴ヶ岱チャランケチャシ Tsurugatai-charanke-chashi Tsurugadai Charanke Chashi

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 鶴ヶ岱チャランケチャシは、北海道釧路市鶴ヶ岱にあるアイヌの人々が築いた砦である。国指定の史跡とされる。
 チャランケチャシとは談合、談判をする砦という意味であるが、これは後に和人によって付けられた名前である。
 というのも、ここはトーモシリ(湖の中島)であり、トーコロカムイ(湖の神様)の遊び場と伝えられ、神聖な場所とされていたが、大正5年にこのチャシが発見されるまでは、釧路アイヌの中にここがチャシコツであることを知る者はいなかったからである。
 このチャシは2条の堀を巡らし、東西30m、南北18mの楕円形をしている。かつては離島であったが、現在は陸続きである。
 鶴ヶ岱チャランケチャシは、まさに、忘れ去られたアイヌの聖地であるといえよう。
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