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2008/1/8


函館 湯倉神社 Hakodate Yukura-Jinja Yukura Shrine

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 函館の湯倉神社(ゆくらじんじゃ)は、北海道函館市湯川町にある神社である。祭神は大己貴神、少彦名神。
 元和三(1617)年、創祀されたと伝えられる。
 承応二(1653)年、松前藩主・松前氏広の嗣子で、後に第9代藩主となる高広が幼時の時、重い病を患ったという。
 母・清涼院は霊夢に信託を得て、境内地に湧出する温泉に入浴させてみた所、高広は全癒した。
 翌年、松前氏は報賽として社殿を造営し、黄金の薬師像・唐金造りの鰐口(わにぐち)などを神社に奉納したとされる。
 湯の川温泉発祥の地とされる神社であり、社殿東側の脇にある「湯川温泉発祥の地碑」には、温泉の歴史が書かれている。
境内は見事なイチョウの大木や多くの緑に守られており、静謐で神聖な雰囲気が漂う。
 湯倉神社は、温泉街の守神とも言える地域に根ざした社である。
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2007/10/12


杉原紙 Sugihara-gami Sugihara Paper

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 杉原紙は、兵庫県多可町加美区に千年以上受け継がれている伝統工芸品だ。
 奥深い谷からこんこんと湧き出る冷たく澄んだ水と、雪の舞う厳しい気候風土に育まれた楮(こうぞ)により生まれた杉原紙。
 奈良時代から歴史がはじまり、他の地方より進んだ製紙技術で写経用紙や薄紙を製造。紙の質・生産量ともに日本一と呼ばれた。しかし、時代の推移とともに洋紙に取って代わられ、大正十四年、杉原谷での紙漉きは幕を閉じたのだった。
 町をあげて日本一の名紙と謳われた杉原紙の保存に取り組むようになったのは昭和四一年から。杉原紙発祥の地の記念碑を立て、昭和四七年には杉原紙研究所を設立、昔ながらの製法で紙漉きを再開、現在では年間700キログラムの紙を生産している。昭和五八年には、県の重要無形文化財に指定されるまでに復活を遂げたのである。
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2007/9/13


祇園山 Gion-yama Mt. Gionyama

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 宮崎県五ヶ瀬町にある標高1307メートルの祇園山(ぎおんやま)は、九州のほぼ中央に位置し、今から4億3千万年前に九州で最初に顔を出したといわれる山である。地質調査により、日本最古の山であることが判明し、九州島発祥の地ともいわれている。
 京都にある八坂神社が神仏習合の祇園感神院だったとき、感神院で修行した行者がこの山に入り修行し、麓に遥拝所(ようはいじょ)とよばれる、遠くからでも祈願が可能な場を建築した。遥拝所はその後、祇園神社といわれるようになり、山の名も祇園山と呼ばれるようになった。
 日本有数の古生代シルル紀の化石産地であり、山頂付近の石灰岩からこの頃生息していたクサリサンゴ、三葉虫など海に棲む生物の化石が出土している。
 祇園山一帯は多くの化石が見られるほか、高山植物の宝庫としても知られる。山頂からの二子山、阿蘇山などの眺めも素晴らしい。
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2007/9/10


ソラヨイ Sorayoi Sorayoi

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 ソラヨイ(十五夜そらよい)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)に伝わる伝統風習であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 五穀豊穣を祈り、土地の神と月に感謝する祭りであるが、発祥については、よく判っていない。
 また、名前の由来は「空が良い」「それは良い」と言われているが、はっきりしていない。
 ソラヨイは、月が出る頃に始まる。田圃に積み上げられたワラ造りの「ワラコズン」の中に人が2人入り、右回りに回し出す。
 中学生までの男の子が「ソラヨイ・ソラヨイ」と囃しながら、ワラみの笠、腰みの、ふんどし姿で、逆方向に廻りながら、素朴で神秘的な踊りを見せる。
 ソラヨイ終了後は、大人・子供にわかれて、3回綱引きをし、その後、ワラを崩して土俵を作り、相撲をとる。
 ソラヨイは、素朴で珍しい、一五夜の伝統行事である。
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2007/9/7


螺鈿 Raden 

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 古代より貝殻の秘める神秘的な色合いに魅せられた人々により生み出された、貝殻を用いた伝統的な装飾技法が、螺鈿(らでん)である。
 アワビやカワシンジュガイ、ヤコウガイ、アコヤガイなどの貝殻の内側にある、虹色光沢を持った真珠質の部分を薄く研磨し、それらを様々な模様に切り出して、漆地や木地の、彫刻された表面にはめ込んでいく。
 大変緻密な細工を必要とし、それ故に高い芸術性が認められている技法でもある。
 発祥は定かではないが、ギリシャ、ペルシア周辺だといわれ、シルクロードを通して中国へと伝来し、日本にもたらされたのは奈良時代頃だといわれ、唐代の優れた技術による作品が残されている。
 製作においては貝に限らず、琥珀や鼈甲、金属片が使われるものも螺鈿と呼ぶが、金及び銀を用いた場合は平文(ひょうもん)、或いは平脱(へいだつ)と呼ぶ。
 真珠質のきらびやかな輝きが埋め込まれたそれら逸品は、技法の誕生から数千年経た今も、人々を魅了し続けている。
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2007/8/21


棉祖祭 Men-so-sai Menso-sai (Cotton Festival)

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 全国でも珍しい綿の神様「崑崙人(こんろんじん)」を祀る西尾市天竹町にある天竹神社。
 平安初期の延歴一八(799)年、太平洋で漂流し、三河国(現愛知県東部)に打ち上げられた一隻の船。船に乗っていた一人の天竺人(インド人)は助けてくれたお礼にと三河の人々に木綿の種を渡したと言う。
 残念ながら気候が合わず、それは生長しなかったと言われているが、その伝説に由来して村の名前が天竺(天竹)となり、また木綿の発祥地とされた。
 この綿を伝えた新波陀神(にいはだかみ)を祀る祭礼が「棉祖祭(めんそさい)」である。祭りでは船に乗って流れ着いたことにちなんで「舟みこし」が担がれ、古式の道具を使っての「綿打ち」の儀式が行われる。
 全国的にも珍しいこの祭り。木綿関係者も多く参拝に訪れ、賑わいを見せる。
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2007/8/17


李参平碑 Risanpei-hi Monument to Ri Sampei

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 16世紀末、肥前国の戦国時代・安土桃山時代の武将・鍋島直茂が韓国出征からの帰国した際に韓国の陶工たちを日本に連れ帰ってきたという。有田陶工の祖と言われる李参平(りさんぺい)はその中の一人で、元和二(1616)年に泉山で白磁鉱を発見し、日本で初めて磁器を焼くことに成功。これが後に、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三流を産み、有田は日本における磁器発祥地といわれるようになるのである。
 有田町大樽の陶山神社には、陶祖である李参平が祀られ、社殿うしろの蓮華石山の頂、有田の町を一望できる景勝の地に、この「李参平碑」が立っている。
 有田焼の創業300年となる大正五(1916)年に建立。以来、毎年五月四日に、この碑の前で「陶租祭」が行われている。
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2007/8/16


片貝まつり Katakai-matsuri Katakai Festival

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 片貝まつり(かたかいまつり)は、新潟県小千谷市片貝町にある浅原神社の秋の例大祭であり、毎年の九月九日と十日の二日間にわたって行われる、四百年の伝統を持つ祭りだ。
 特に期間中に打ち上げられる各種花火が有名で、浅原神社への奉納を意味して打ち上げられている。
 片貝町は、打ち上げ花火の中でもその迫力で有名な三尺玉発祥の地として知られており、まつりの期間中にいくつもの三尺玉が打ち上げられる。また、三尺玉よりも更に大きい四尺玉の打ち上げにも成功し、ギネスブックにも掲載されるなど、名実共に世界一の打ち上げ花火が見られるまつりだ。
 まつりでは、浅原神社へ花火の玉を奉納する「玉送り」や打ち上げの成功と無事を祈る「筒引き」、町内をにぎやかに練り歩く奉納煙火の儀式などが盛大に行われ、夜になると、二日間にわたって延べ15,000発もの花火が打ち上げられ、片貝の夜空を彩る。
 夜空に咲き乱れる大輪の花々は、世界一の花火を作り続ける片貝の人々の誇りでもある。
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