NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/17


天目釉 Tenmokuyuu 

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 天目釉(てんもくゆう)は、中国より伝わった、五%以上の鉄分を含んだ黒色の釉薬である。
 天目という名前の由来は中国浙江省の天目山から由来している。天目山の禅寺で修行した日本の僧が、茶碗を持ち込んだのが日本での始まりと伝えられている。
 国宝にも指定されている七色に輝く虹彩を放つ「曜変天目」をはじめ、水中に浮かんだ油のような斑点模様の「油滴天目」、稲の穂先のように流れる縞模様の「禾目天目」、本物の木の葉を貼り付けて焼く「木の葉天目」などその種類は多く、産地、時代、釉調、文様、釉色等で分類されてる。
 東洋最古の釉薬ともいわれ、主に茶碗に使われながら茶道の歴史と共に今に受け継がれ、愛されている。この釉薬が生み出す茶碗には、二つとして同じ色調のものがない。その偶然性と希少性ゆえに、今も昔も陶工たちの探究心を揺さぶる釉薬である。
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2007/12/4


茶碗 Chawan 

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 茶碗(ちゃわん)とは、現代では普通、ご飯を盛る陶磁器の器の事を指す。
 元々は茶を喫するための器として、奈良時代から平安時代にかけ、茶と共に伝来したとされる。
 当初、貴重な茶を楽しむための良質な器を茶碗と言ったが、鎌倉時代、喫茶の風習が広まるにつれ、碗形の陶磁器の総称となった。
 やがて、茶碗が陶磁器の総称となったため、ご飯を盛る器を飯茶碗、お茶を飲むための器を煎茶碗などと呼ぶようになった。
 茶碗の形状は、碗形のものが多いが、筒形や平形、輪形、半筒、端反、沓形などがある。また、天目形、井戸形のように茶碗の特徴が形状名になっているものもある。逆にその形状から筒茶碗、平茶碗等と呼ばれる茶碗もある。
 茶碗は、日本の一般的な食生活に欠かせない、陶磁器である。
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2007/11/20


八幡焼 Hachiman-yaki 

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 八幡焼(はちまんやき)は、島根県安来市広瀬町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 出雲の国広瀬は、その昔山陰の鎌倉といわれ、山陰山陽十一国を統治した尼子氏の月山富田城のあった山あいの郷である。
 享保八(1723)年、富田八幡宮神官・竹矢豊前と広瀬藩士・熊谷由武によって始められた。
 繊細な色あいの中にキラリと輝く鋭さを持ち合わせた青釉薬(あおゆうやく)を特色としており、青釉をほどこした食器や花器、茶器などが人々に広く愛用されている。
 呉須釉で「広瀬三万桶茶と茶漬」と謡われるぼてぼて茶用の茶碗なども知られており、釉薬と焼成の研究により木の葉天目、窯変などの作品にも力を入れている。
 最近は、伝統の茶陶のほか日用雑器なども焼かれている。
 八幡焼は、未だ日夜研究を続けられている伝統工芸品である。
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2007/3/16


兵庫 高源寺 Hyougo kougen-ji Kogenji Temple

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 高源寺は、兵庫県青垣町岩屋山の山麓にある紅葉の名所。高源寺の紅葉は三丹随一とも言われ、紅葉の時期は天目楓(てんもくかえで)が山全体を染め、堂塔や苔むした石段に紅葉が映え、それは美しい眺めだという。
 創建は鎌倉時代末期。中国の杭州天目山で修行した僧、遠谿(えんけい)が後醍醐天皇の勅願を受け、臨済宗中峰派の寺院としてこの地に開いたのがはじまりとされる。
 寺院内にある「天目楓」の名は、中国の天目山から持ち帰った楓ということから付けられた。現在では2000本にもなり、秋の紅葉の時期には大勢の観光客でにぎわう。まるで、山が燃えるかのように、あたりを朱く染め上げるという。
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2007/3/1


伝正寺 Densyou-ji 

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 伝正寺は、文永5(1268)年に当時の真壁城主の真壁安芸守時幹公により法身国師真壁平四郎のために開山したもので、開山当時の宗旨は臨済宗であった。
 文永5年法身国師より開山され、350年間は金城峯天目山照明寺と称したが、八代住職良雄大圓和尚時代に真壁藩主浅野長政公の菩提寺と定めた折、照明寺を伝正寺と改称された。
 境内には長政夫妻の墓や赤穂四十七士の討ち入り像があり、また浅野本家最後の広島城主・浅野長勲(ながこと)夫妻の石像が、地元算出の御影石に刻んで建てられている。
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2007/1/23


多度大社 Tado-taisha Tado Taisha Shrine

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 多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町にある神社である。祭神は天照大神の第3子、天津彦根命。
 主祭神が天照大神の御子という事もあり伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などともいわれる。
 本宮である多度神社の他、別宮一目連神社(祭神・天目一箇命)・摂社・末社を合わせて多度大社と呼ぶ。
 古来より標高403mの多度山が神体山として信仰され、古代祭祀を物語る磐座が山の中腹にある。五世紀後半、雄略天皇の頃に社殿が創建されたと伝えられる。
 1571年、織田信長の焼き打ちに遭うが、1605年、本多忠勝により再建される。多度峡重要文化財「神宮寺伽藍縁起並資財帳」他、7つの文化財を所持。
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2006/12/15


津軽焼 Tsugaru-yaki Tsugaru Ware

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 東北地方では最古の歴史を持つ焼物。津軽焼の源流は、地域産業を支援する津軽藩四代藩主津軽信政によって集められた陶工たちが築いた平清水焼、大沢焼、下川原焼、悪戸焼にある。窯は元禄4年(1691年)に開かれ、藩の調度品として焼かれたが、廃藩によって廃れ、大正末期にはすべての窯が閉鎖された。現在の津軽焼は、昭和11年(1936年)に再興されたものだ。
 その特徴は、りんごの樹皮の灰を釉薬(ゆうやく)としたりんご釉や天目釉(黒釉)などが使用されることや、独特の色合いが素朴さと芸術性とを兼ね備えていることにある。
 椿、梅、紅葉、山水などの文様を描く技法も使われている。
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