NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


粋な和柄の文庫本カバー Iki-na-wagara-no-bunkobon-kabaa 

Jp

 普段、何気なく使っているものにその人柄が多少なりとも反映されているもの。
 ならば、そこに少しだけ「演出」をくわえてみるのも良いかも知れない。
 粋な和柄の文庫本カバーはそうした「ちょっとした演出」にはもってこいのものだといえるだろう。
 紺色と淡い白を基調として、くどすぎる派手さもなく、だからといっておとなしすぎることもなく、一本だけ入った薄い緑が、程よいアクセントなっている。
 また、素材は綿百パーセントな上、裏生地もしっかりと張られ、ミシンで丁寧に縫い上げられていて使い心地も良い一品である。
 鮮やかな和柄を纏った本をバッグの中から取り出す。ただそれだけの所作にも「粋」な演出が施される。
 お気に入りの一冊があるのなら、その本にもおめかしをしてあげるつもりで気軽に纏わせてみてはいかがだろうか。
 そんな気軽さの中に光る演出こそ、粋の真骨頂である。
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2007/6/8


能面 深井 Noumen Fukai Noh Mask Fukai

Jp En

 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 深井(ふかい)は、昔は、深、深女と書き「ふかいおんな」とよんだ中年の女性の面影である。
 深井の名は、人生の辛酸を積んだ心情の深さとか、その憂いに沈んだ表情の深さなどから付けられたものとされる。
 特に、子供を失い悲しみに打ちひしがれた母親の愛情を主目的にし、えくぼ状のあさい皺があり、口元も増女に似ている。
 子供のいる中年の女面なので、頬の肉が落ち、あごにしわが入り、目元が窪み、全体的に彫りが深くなっている。
 この面を用いる時には、装束も茶、紺、萌黄(もえぎ)色など、落ち着いた色彩のものとなる。
 中年女は、時代背景もあり、子を失った母親の心乱れを扱った狂女物の主役となる事が多かった。
 深井は、「三井寺」「隅田川」「桜川」「百萬」などに使用される、深い悲しみを抱える中年女の能面である。
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2007/4/3


武州正藍染 Bushuu-syouai-zome 

Jp

 羽生市近辺に、藍染の技術が伝えられたのは、天明年間(1780年代)といわれる。かつて、青縞(武州紺)と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、活発に取り引きが行なわれた。
 青縞は藍染めした木綿糸で織った織物の事で、野良着や足袋などに用いられていた。その後、「武州型染」や唐棧織と藍染を組み合わせた武州唐棧(ぶしゅうとうざん)などの製品も作られるようになった。
 藍染めは、藍玉を自然発酵させた藍染め液で染めるため、洗えば洗うほど色が冴え、風合いが増してくる。
 埼玉県指定無形文化財である。
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2007/3/5


黒丸踊り Kuromaru-odori 

Jp

 黒丸踊りは、500年の歴史をもつ豊年感謝の踊りで、長崎県の無形文化財。
 由来は、第16代領主純伊公が戦いに敗れ流浪し、6年後の文明12(1480)年、大村領を奪回したとき、その戦勝を祝って舞ったのが起源とされている。
 踊りの中心になるのは、紺色の尻切りトッポを纏った大太鼓の6人。い、手甲きゃはん、紺足袋にわらじを履き、向こう鉢巻で大太鼓を抱く。そのうち4人が大花篭を背負い、舞う。大花篭は長さ約3メートルの竹81本にそれぞれ15個の梅の造花が付く。大きな花輪が舞う姿は勇壮、華やかで見る人を楽しませてくれる。
 また花輪の下に入ると幸福になれるといういわれもある。
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2007/1/29


天羽やよい Amo Yayoi Yayoi Amo

Jp En

 1948(昭和二十三)年、東京生まれ、青森県在住。南部菱刺の伝統工芸士。
 77年に独学で南部菱刺を学び始める、88年菱刺教室「梅の花工房」を開く。99年パリにてフランス人陶芸家と二人展を開催する。
 菱刺しは江戸時代に起源を持つ。その特徴は、麻布に綿糸で偶数目を拾って織り成される四百種に及ぶ幾何学的紋様。青森県南部地方の三戸、五戸、八戸、上北町に分布する。当時、麻の着物しか着る事を許されなかった農民が、薄藍の麻布に紺と白の糸で木綿糸を刺し作り上げた、補強と保温性を高めた美と実用を兼ね備えた技術でもある。
 天羽さんは自ら織った麻布と、染めた木綿糸を使って菱刺しの作品を制作。全て一点ものの作品は異なる模様を持つ。「自分の刺したものを着る人が、あたたかい気持ちになってもらえたら嬉しい」と語る。
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2007/1/28


のれん Noren Noren Curtain

Jp En

 主に、商家の店先に掲げ、元来は日よけを目的としていたが、やがて店の象徴となり、商売の信用や権利までも表現するようになる。
 歴史をさかのぼれば奈良時代に既に存在した。平安時代になると、京都の商家の店先にのれんが掛けられていたという記録が残る。鎌倉時代には、商家以外の家の屋内でも、調度品として使用されるようになった。
 江戸時代に入り、のれんに模様を描くことが盛んになり、さらに商家のシンボルとしての役割が強くなる。武士にとっては刀、商人にとってはのれんが魂となった。
 一般的には、染めたのれんの色で商売がわかるようになっていた。白地は菓子屋、紺は呉服・酒屋、橙色は薬屋といった決まり事があった。
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