NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/22


もののふ(MONONOFU) mononofu Mononofu

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 サムライではなく、「もののふ(MONONOFU)」。自由で革新的な戦国時代の雰囲気を表現・発信する戦国ブランドである。
 現代アートの推進と伝統工芸の復権。そんな相反するかのように見える2つをさりげなく、しかし大胆に結びつけたのは歴史好きの一サラリーマン。
 国立博物館で変わり兜を見た田中秀樹氏は、これまで知らなかった世界を知り、圧倒されるとともに、その時興味を持っていたインディーズTシャツとのコラボレーションを考えたという。
 変わり兜が戦国武将の美意識であり、自己主張なら、様々なクリエイターが素材やデザインにこだわる現代のTシャツも自己表現の一つ。それならTシャツの中に変わり兜のデザインを取り入れていくことも可能である。また、もし現代に戦国武将たちがよみがえったら、自らの美意識で今の様々な素材やデザインを取り入れていくに違いない、とプロデューサーの田中氏は語る。
 現在、「天下『布』武プロジェクト」を推進中。
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2007/10/22


日牟禮八幡宮 Himure-hachiman-guu Himure Hachimangu Shrine

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 滋賀県近江八幡市宮内町にある由緒ある神社。
 第一三代成務天皇が高穴穂宮で即位した時に、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて造らせたと伝えられている。 
 日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の名は、第一五代応神天皇が近江に出向かれた際、ここに御座所が設けられ、この場所から日輪の輪が二つ見えるとのことから、後に祠を建て「日群之社八幡宮(ひむれのやしろはちまんぐう)」と名付けられた。その後、持統天皇の時に藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟礼社と改められた。また、日牟礼とは、古代豪族の和珥氏(わにうじ)の祖である日觸使主の日觸(ひむれ)の転とする説がある。
 日牟禮八幡宮は、武神として崇敬され、蒙古襲来時の朝廷からの奉幣や、足利氏、徳川氏をはじめ戦国時代の名だたる武将たちも参拝し、関が原の戦の後には、家康も参詣している。
 昭和四一(1966)年日牟礼八幡宮と改称。
 神庫には数多くの重要文化財が保管されている。
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2007/1/17


倶利伽羅峠 源平供養塔 Kurikaratohge Genpeikuyohtoh Kurikara Pass Genpei Memorial

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 倶利伽羅峠は、富山県と石川県の県境にある峠。かの有名な源平合戦があり、「火牛の計」の作戦により平家が敗れたところである。源平砺波山合戦にまつわる史跡が多い倶利伽羅峠古戦場。源平供養塔もその史跡のひとつだ。
 寿永二(1183)年、源平合戦の際、源氏の軍勢は太鼓、ほら貝を用いて一斉にときの声を上げ、角に松明を付けられ猛り狂う五百頭の牛を平家軍に放った。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、暗闇の中を慌てふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちたという。これが後に「火牛の計」と名づけられ、源平盛衰記にも記されている。
 源平供養塔は、「倶利伽羅公園」から小矢部市側に歩いて数分の猿ケ馬場にある。側には八重桜があり、見ごろの5月には、あまたの魂をなぐさめるように辺りを淡い桜色に染め上げるという。
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