NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/14


津島神社 Tsushima-jinjya Tsushima Shrine

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 愛知県津島市にある神社。中部地方にある津島神社の総本山。
 歴史は、540年欽明天皇の時、津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)と称された。
 810年に嵯峨天皇から正一位と日本総社の称号があたえられた。全国に約3000ほどの分霊がある。
 戦国時代、織田信長は津島のとなり、勝幡城の出身であり、当社を氏神と仰いで、造営などに協力、豊臣家もこれを引き継ぎ尊信した。
 重要文化財に指定されている本殿は桃山式建築の様式で優雅な造りである。
 境内社殿は南向きで、大きな朱の鳥居がある。参道を進むと南門。南門をくぐると、愛知の大きな神社の特徴の蕃塀がある。
 「牛頭天王さん」とよばれ絶大なご神徳を授かろうと、たくさんの人々でにぎわう。
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2007/2/12


門松 Kadomatsu Kadomatsu New Year Decoration

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 古くから新年を迎えるにあたり、玄関先を清め、鬼や悪い邪気などが家の中に入らぬ様に、門松を立てて新年の神様を招く風習が全国各地に伝えられている。元々は、松・杉・椎・榊といった常緑樹を用いていたのだが、いつしか松を主として用いる様になり、その事から門松と呼ばれる様になった。
 「松は千歳を契り、竹は万代を契る」という諺があり、一般の門松に松と竹が使われるのは、神様の宿る依代(よりしろ)が、永遠に続く事を願って、この組み合わせになった。門松は、12月31日に立てるのを「一夜飾り」といって避ける習慣がある。正月は神様を迎えるので、一日だけでは、神様を迎える誠意が足りない事から。また、29日に立てるのは、「九松」といって「苦待つ」に通ずるという事から嫌われている。12月28日までに立てるのが一般的。
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2007/1/29


大原邸 Ohara-tei Ohara-tei

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 旧杵築藩の上席家老大原氏の屋敷であり、大分県北台武家屋敷の代表格とされる。
 宝暦年間(1751〜1764)、相川東蔵がこの地に住んだのが最古の記録とされ、後に岡三郎左衛門が「桂花楼」と名づけるが転居、後に御用屋敷となった。文政(1818〜1830)以降に大原家がこの屋敷に住んだとされる。
 その格式は杵築一と評されており、堂々たる長屋門から始まり重厚な玄関構えと茅葺屋根、接客部屋と居住部屋とが完全に分離された間取り。身分の高い人物の出入口となる式台が作られている事からも伺える。
 本格的な池泉回遊式庭園を有しており、大きな池と整った庭園からも当家が普通の武家屋敷では無いことを物語る。
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2007/1/19


玄関 Genkan The Genkan

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 家屋や禅宗の寺院、公共の建物など正面の入り口を玄関という。
 元々は中国『老子』の「玄の又玄なる衆の妙なる門」による語で、日本では鎌倉時代に禅宗で用いられた仏教語。仏教において、寺院に入ることは仏門に入ることであり、真理を意味する「玄」への道となる。故に方丈への入り口を玄関と呼んだ。それが玄関の始まりである。
 平安時代の寝殿造りにおいて、中門廊に車寄せや板扉が作られた。この時、突き出た駕籠を降ろすための低い板床を玄関と呼び、取り次ぎの間を式台と呼んだが、江戸時代になると、全体を玄関と称した。
 庄屋などは役人を迎えるために玄関を作ることを許されたが、通常の民家は許されなかった。明治になり、誰でも玄関を作ることができるようになったが、第二次世界大戦前までは、玄関の格式が残り、玄関は客と主人が使い、家族は内玄関、使用人は勝手口を使った。
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