NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/7


【禮(礼)】 Rei, Reigi Etiquette, Courtesy

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 「礼」という省略された文字の形は、早くから使われていましたが、元の右側の旁(つくり)である「豊」の形がほとんどないため、この字が示す本来の習慣は全く見えなくなってしまいました。もともとは、「禮」という字が表すように、礼儀正しさと豊かさは、互いに深い関係にあるという考え方がありました。そのことが隠されてしまい、皮肉なことに、「禮」という文字に対して無礼なことになってしまったのかもしれません。
左側の「示」偏は、供え物などを置くための祭壇を表し、これを持つ字が宗教関係の字であることを示すのがもとの機能ですが、殷・周代の後に、字の主な意味を成す部分として不適切に認識されることがありました。白川先生から、直接教わったことの一つは「部首はよく間違っている」でした。この字もまさにそうで、原形は右の部分だけです。「示」偏は随分後の時代に加わりました。
 右の「豊」は「豐」で、下の部分の「豆」は、食べ物の「まめ」ではなく、禾穂である「丰」を盛るための容器の脚(台)です。上の部分の「曲」にはもう一つの系統として楽器に関する象形文字もありますが、ここでは多くの「丰」(禾穂の供え物)が器に盛られた形を象っています。
 「豊」の部首として「示」偏が加わり、台と容器が二つになって、神に禾穂を捧げることを示す字です。
 
■右 禮・金文(きんぶん)
■左 禮・篆文(てんぶん)
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2008/8/4


【徳(德)】 Toku, Tadasu Virtue

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 「徳」の字が表す元の意味は、後世の「徳」の倫理概念ではなく、原始的なアニミズムと呪術の世界へ戻らなければなりません。
 「行」という字は縦横の交差点を象っていますが、「徳」の部首となっている「彳」は、「行」の左半分、つまり分岐を意味します。人が多く通る場所であり霊的に大事なところです。自然にほかのところより事故が多発するので、悪霊をはらう対象にもなります。
 旁(つくり)の横向きの「目」の上部は「蔑」や「省」と同じように呪飾を表しています。「省」はある地域・国に対しての武威をあらわすものですが、「徳」の右上の部分と同じ由来をもち、呪力のある目で見回ることを表しています。特に「徳」の字は、「彳」の要素を持つことから、呪飾の目の威力で行われる巡察の対象が、交差点や分岐にある悪霊であり、それを祓いただすことを示します。
 一般的に旧字体のほうが古代の字体に近いのですが、この「徳」は、旧字体よりも一画少ない常用漢字の字体は金文に近い形です。
 さらに初めて「心」の形が加わったのは、殷から周への革命の直後、西周前期の青銅製の器である「大盂鼎」(盂はこの鼎を使った殷の人の名前)に刻まれた290字の長い銘文で、その時から「徳」の意味するところが、目の呪力より精神的・内面的な方向へ変わりました。
 
■右 徳・甲骨文(こうこつぶん)
■左 徳・金文(きんぶん)
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2008/8/1


【親】 Shin, Oya Parent(s)

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 「親」という文字は、祖先という特別な死者への供養の習慣をかたどる字です。
 東洋では、木材の位牌に死者の名前をかく習慣が昔からあります。この字の左の部分(偏(へん))は「辛」と「木」からなり、「辛」は針をあらわします。棺や位牌のための木を選ぶために森・林へ行き、神に選択してもらうため取っ手の付いた針を投げて、位牌を作る「木」を選びました。そして、右の部分(旁(つくり))の「見」は、人が霊廟で位牌に宿っている霊を祭って、敬意を表しながら拝む姿です。「見」は「目」を主とした人の頭、そして「儿」は足を表します。
 古代中国の昔から、東洋では墓と別に位牌によって祖先の霊を祀り、こころのよりどころとしてきたことをこの字が伝えています。中国では古来より、古典諸哲学派の間で葬儀のあり方について様々な争点がありましたが、位牌の廃止を唱える思想派はありませんでした。
 
■右 親・甲骨文(こうこつぶん)
■左 親・金文(きんぶん)
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【暦】 Reki, Koyomi Calendar

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 この字が「こよみ」という意味を持つようになった由来は「歴」と共通しています。両方ともに軍隊的な背景があり、これは崖の下に行われている表彰式を表します。戦争のときには決戦日が終戦日になることがあります。戦勝時には軍人一人一人の手柄を表彰します。その日が終戦記念日になりました。世の中のどこでも、記念日についての考え方は漢字成立の3000年以前とあまり変わらないようです。
 崖の下はよく祭場になりました。大変強い霊的な場所と考えられたのです。そして崖の下に両禾(りょうか)で門を作ります。「暦」の上の「厤」は、こうしてつくられた門を表します。
 ヨーロッパなどでは、ローマや旧ローマ帝国の町、パリの凱旋門(ラルク・ドゥ・トリオンフ)のように、石からできている建築の形になりますが、基本的に戦争勝利記念の軍門を立てることは他の世界にもありました。
 このように、日付に関係した字なので、「暦」の下の「曰」の部分は日々の日をあらわすとおもわれがちです。しかし、崖の下に両禾で門を作るように、これは神との交信をあらわしているので、これは祝詞の器を表す「曰(えつ)」の意味となります。
 
■暦・金文(きんぶん)
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2008/7/10


シュミッツ クリストフ Syumittsu Kurisutofu Dr. Christoph Schmitz

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 漢字学の巨人・白川静氏が構築した白川文字学の研究者で、哲学思想史・日本思想史研究者。ドイツ・ケルン生まれ。東京都在住。
 ドイツと日本の大学で歴史と哲学、哲学史を基礎に日本思想史を学んでいる時に漢字に興味を抱きはじめる。しかし、西洋の漢字教育では、漢字の形とその意味の関係について充分に説明されないことに、落胆。その後、一九九七年、日本の新聞に載った白川静氏のインタビュー記事を読み、「白川先生の偉業や字書を世界に紹介したい」と考え、ドイツの市民大学などで哲学思想史と漢字を教えた後、白川氏訪問のため二〇〇一年に来日、初めて対面する。二〇〇二年、東大法学部に研究生として入学。
 二〇〇三年一二月、白川静著の漢字入門字典『常用字解』の英訳を始め、ほぼ三年かけて完成。漢字の成り立ちを自然に理解できる漢字学習の基礎づくりをめざしている。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2008/3/17


【誠】 Sei Sincerity

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 この字は甲骨文や金文にはみられず、篆文から現れます。右と左の部分に分けられるのは確かですが、ただそのためにA+Bという数学的な感覚の解釈に乗り出すのは勇み足です。意味について白川静先生は「誓約を成就する意である」とまとめています。
 「言(ことば)」が「成る(成就・実現する)」という表面的解釈よりもっと、古代中国の社会の在り方に目を向ける必要があります。白川文字学によると「信」の説にあったように「言」の下の部分の「口」は、祝詞を入れる器の意味です。常用字体からはわかりにくいのですが、その上の四本の横線は、刺青を入れるための道具で、取っ手の付いている針の形です。この「言」の部分だけでも神への誓いのことばという意味があります。
 また「成」は戈・矛(ほこ)を作り上げた後、飾りをつけて完成の儀式を行う形です。つまり、この字の左右の部分は宗教的な由来にもとづくものと考えられます。
 
■ 誠・篆文(てんぶん)
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2008/1/29


【史】 Shi History

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 歴史の「史」という学問関係の漢字ですが、史の意味の背景は案外に知られていません。中国では、歴史執筆は非常に早い文明の段階からありました。このことはこの字と深くかかわっています。初字体が甲骨字に遡るのもそのためです。
 信・吉・哲などと同じように、ここにも上の口の部分は祝詞の器です。この祝詞の器に木をつけて手で持つ姿を象っています。これは王の祖先の霊を祭る儀式の姿です。「史」には、祭ると同じく、史る(まつる)という読みもあります。「史」は祭り自体の意味から、祭りを行う仕事をする人という意味に転じました。昔の中国の社会は今のような民主主義的な祭政分離の原理に基づいている世界ではありません。祝詞を運んだり持ったりという役割は、聖職者に似合う宗教的な仕事であると同時に、宮内省の公務員的なお勤めのようでもありました。
 使・事は同じ系統の字です。王の祖先礼拝は社会全体の祖先礼拝の手本となり、その記録(史(ふみ))は歴史そのものといえましょう。

■ 史・金文(きんぶん)
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【師】 Shi Teacher

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 左右の部分から成る字体で、甲骨文には左右それぞれの字体があり、軍隊や指導者といった「師」の今の意味で使われているものもあります。「師」の初形は甲骨文にでてくる左の部分で、大きな串カツの形みたいです。これは出征する軍が戦勝を願って祖先を祭るために使われている肉切れを象っていて、それだけで軍の意味があります。軍はこの肉をいつも共にもって行きます。そして右の部分はこの肉を切るための血止めと取っ手の付いている包丁の形です。「師」は軍という意味以外にも「この肉を切り取る権限をもつ者」という意味にも使われました。そして現役を引退した後には、若者の教育によくあたったという背景から、先生という意味にも使われます。
 仏教の供式とは対照的に、このような肉を捧げる習慣は、後に儒教が受け皿となりました。中国、朝鮮・韓国、台湾など儒教圏の国々では、古代中国の先聖先師、たとえば孔子を祀るための主な儀式である「釈奠(せきてん(または、しゃくてん、さくてん))」などで大事な要素になります。日本ではたとえば湯島聖堂などで孔子を祀る儀式も肉中心です。
 因みに「帥」の字体は「師」にとてもよく似ていますが、甲骨文をみますと、左の部分は神棚の扉を象り、右の「巾」の部分は布を表していて、まったく違う系統のものです
  
■師・金文(きんぶん)左
■師・甲骨文(こうこつぶん)右
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