NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/19


奥石神社 Oiso-jinja Oiso Shrine

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 奥石神社(おいそじんじゃ)の創建年は不明であり、もともと繖山(きぬがさやま)山頂の磐座(いわくら)を遠拝する祭祀場として営まれたものとされている。
 祭神は、藤原氏の祖である天津児屋根命(あまつこやねのみこと)である。
 日本神話によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が受けた海神の怒りを解くため、后である弟橘媛(おとたちばなひめのみこと)が海に身を投じた。
 このとき懐妊していた妃は、「自分は老蘇(おいそ)の森に留まって女人安産を守る」と言い残した。このことからこの神社は安産の神といわれて、広く信仰されている。
 老樹の茂る参道を進んでいくと、神域である老蘇の森が神社を護るように広がっている。
 本殿は三間社流造で重要文化財である。棟札より天正九(1581)年の建立とされている。
 境内の一隅には「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」という本居宣長(もとおりのりなが)の歌碑も立っている。
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2007/8/13


千万町神楽 Zemanjou-kagura Zemanjo Kagura Dance

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 千万町神楽(ぜまんじょうかぐら)は、愛知県岡崎市千万町町に伝わる伝統民芸である。県の重要無形文化財に指定されている。
 起源は、日本武尊東征の際、海が荒れて一行が対岸に渡れなくなったので、弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと)が波の静まるのを祈願、舞を踊り海に身を投じた故事によるものといわれている。
 文永三(1266)年、藤原弘真によって創祠された八剣神社(やつるぎじんじゃ)では、祭神として日本武尊を祀っており、宝歴元(1751)年には祭礼余興として千万町神楽を拝殿で舞ったという記録が残されている。
 神楽では、女装の獅子と才蔵が演者となる。実際の演技では、才蔵が面白い所作で悪魔を喜ばせて鎮魂退散させる「獅子の舞」からはじまり、慎ましい「鈴の舞」の後に場所を移し、歌舞伎外題が次々と演じられる。
 千万町神楽は、神話より連なる伝統の郷土芸能である。
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