NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


延年舞 Ennen-mai 

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 延年舞(えんねんまい)は、日光の輪王寺で舞われている千年以上の歴史を持つ舞曲であるという。
 天台宗の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が、唐から将来した秘舞曲とされ、寺伝によると祥元(848)年に、慈覚大師が日光山に来山した際に伝えられたという。
 延年舞は、毎年5月17日の午前8時に行われ、太鼓の音が鳴り響くと牡丹や唐草模様が描かれた、緋色の直垂(ひたたれ)に身を包んだ「舞衆(まいしゅう)」と呼ばれる二人の僧侶が登場する。
 朗々と声明(しょうみょう)を唱える一山の僧侶を背に、上座(じょうざ)の舞衆が重々しく、下座の舞衆が烏帽子(えぼし)を着けて軽やかに舞を奉納する。
 東照宮春季例大祭にさきがけて舞われるもので、現在は輪王寺と岩手県の毛越寺(もうつうじ)に残るのみであるという。
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2008/5/26


総持寺(西新井大師) Souji-ji(Nishiaraidaishi) 

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 総持寺(そうじじ)は、東京都足立区西新井にある真言宗豊山派の寺である。本尊は十一面観音像。別名・西新井大師(にしあらいだいし)とも呼ばれている。
 天長三(826)年、弘法大師が疫病に苦しむ人々の為に自ら十一面観世音菩薩を彫って安置し、21日間の祈祷を行った所、清らかな水が湧き出して病がたちまち癒えた。そこで、霊泉湧出の霊場として寺が建立されたという。
 現在の本堂は昭和四七(1972)年の再建で、これまでに本堂は火災で何度か焼失したが、本尊は難をのがれたことから厄除け火防の大師として、古くから信仰を集めている。
 境内の6箇所には70種、4500株のぼたんが植えられ、ぼたん大師とも言われている。
 総持寺は、ぼたんの名所として知られる寺である。
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2008/4/4


能代凧(べらぼう凧) Noshirodako(Beraboudako) 

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 能代凧(のしろだこ)は、秋田県能代市にて発祥したとされる凧で、別名べらぼう凧(べらぼうだこ)と呼ばれている。
 坂上田村麻呂の蝦夷討の時(780~802)、空高く揚がった能代凧を目印に入港したという伝説が伝わる。
 全国の凧に比べて人物の顔が大きく描かれており、空高く揚がっても一目でそれと分かる。また、男女の絵柄がある事も大変珍しく、大きな特徴とされる。
 男べらぼう凧は、目のまわりに歌舞伎のくまどりが塗られ、頭には芭蕉の葉っぱの柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 女べらぼう凧は、牡丹の花の柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 他に、べらぼう顔以外にも、歌舞伎絵や武者絵など20種類以上という多種の絵柄が存在している。
 能代凧は、アッカンベーをしたユニークな絵柄と鮮やかな色彩が目を引く、面白い凧である。
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2008/3/4


温湯こけし Nuruyu-kokeshi 

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 温湯こけし(ぬるゆこけし)は、青森県黒石市にある黒石温泉郷の一つ、温湯温泉を中心として津軽地方で発達した東北地方の伝統こけしである。
 「津軽系」こけしとも呼ばれ、青森を代表する民芸品として知られている。
 その起源は、大正初期に地元の木地師が知人の勧めで作りだしたのがはじまりで、以来、温湯湯温泉はもとより、青森を代表する伝統的民芸品として、根強い人気を誇っている。
 胴にはアイヌ模様やダルマ絵、津軽藩の家紋から取り入れたといわれる牡丹の花が描かれ、膨らんだ胸と極端な腰のくびれを持ち、一本の木から頭も胴もいっしょに造る「造り付け」技法を用いるなどの特徴を持つ。
 工芸的な美と素朴な色彩で表されたおかっぱ頭の、清楚で純情そうな風姿は、版画家棟方志功にも絶賛され、全国的にも高く評価されている。
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花巻人形 Hanamaki-ningyou 

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 花巻人形(はなまきにんぎょう)は、岩手県花巻市の伝統的な民芸品で、粘土で作られる土人形だ。 宮城県の堤人形と石川県の相良人形と並び、東北三大土人形のひとつにも数えられている。
 その興りは、京都の伏見人形や仙台の堤人形の製作技法を伝習した花巻鍛治町の人形師が、享保年間(1716~1735)から作りはじめたといわれている。
 節句に飾る内裏びなをはじめ、恵比寿様や大黒様などの縁起物から金太郎、山姥といった風俗物など多彩に製作されている。また、どの人形も花巻の名にふさわしく梅や桜、牡丹など春の花々が描かれ、素焼きの下地に胡粉を塗って背面は白いままで表面だけを彩色したり、人形を振ったときに音がするよう、中に小石や砂を入れるなどの特徴を持っている。
 その製作は昭和三十年代を最後に一時絶えてしまっていたが、昭和四九(1974)年に復活し、今に至っている。
 個性豊かな形や鮮やかな色彩、柔和な表情で、今も多くの人々に愛されている郷土民芸である。
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2008/1/8


天寧寺 三重塔 Tennaei-ji Sanjuu-no-tou 

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 尾道水道を見下ろす小高い山の斜面に、民家に囲まれて天寧寺(てんねいじ)がある。貞治六(1367)年に室町幕府第二代将軍足利義詮(あしかがよしあきら)の寄進で建立し、歴代の足利氏の庇護を受け大伽藍を誇っていたが、その後、大部分が焼失してしまった。
 本堂の裏手には三重塔があり、坂というよりは石段に近い路地を登って行く。嘉慶二(1388)年の建立で高さ25m、本瓦葺。一般的な三重塔に比べると上から押し潰されたように見え、全体的に太く違和感を覚える。これは、もともと五重塔だったものを、江戸時代初期に傷みが激しかった四層と五層を撤去し、三重塔に改築したからである。初層内部に四天柱と来迎壁を持つ。正式名称は「海雲塔(かいうんとう)」。
 寺は牡丹の名所としても知られ、近くには千光寺山ロープウェイが通る。
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2007/12/14


花尾神社 Hanao-jinja 

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 花尾神社(はなおじんじゃ)は鹿児島市花尾町にある島津藩所縁の神社。国道を少し離れた田園風景の中に朱塗りの赤い鳥居が立ち、杉の林へ参道が伸びている。
 島津氏初代・島津忠久は源頼朝と丹後局の間に生まれた子という伝説がある。この神社は忠久が薩摩・大隅・日向の三州の守護職に任ぜられた際に御堂を建て、頼朝尊像を安置、創建した。
 現在残る社殿は正徳三(1713)年建立のもの。幣殿や向拝に、鶴と松、牡丹と唐獅子、様々な花や長い牙をもつ象など、明るい色彩の細かな彫刻と装飾がある。さつま日光とも称されており、いつまでも見ていたくなる様な風情だ。
 天井絵は401枚の彩色による精密な草花の写生絵が見られる。嘉永六(1853)年狩野派の絵師・能勢一清が描いたとされているが、現存している絵がそうであるかは定かではない。
 社殿の横には丹後局の墓、御苔石があり、安産・子授のお守りに石の苔を持ちかえる人が多い。
 昭和五五(1980)年に県の有形文化財となっている。
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2007/12/11


奥氷川神社 獅子舞 Oku-hikawa-jinja Shishi-mai 

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 奥氷川神社獅子舞(おくひかわじんじゃししまい)は、埼玉県大宮市にある氷川神社の奥社にあたる奥氷川神社で、毎年八月の第二日曜日の例祭で奉納されている三匹獅子舞である。
 同社の祭礼における中心的行事として古くから行われていたが、いつごろ創始されたのかは不明である。様々な資料から、寛政四(1792)年にはすでに行われていたとされている。
 三匹の獅子はそれぞれ大太夫(おだい)、小太夫(こだい)、女獅子と呼ばれ、大太夫と小太夫は黒、女獅子は金色の頭となっている。舞い手たちはかすり模様に錠形紋をあしらった腰切着に花模様のかるさんを羽織り、牡丹の花を華やかにかざしてささらを鳴らす花笠、唄方や笛方、はやし方を率いて豪快に舞い踊る。
 関東一円に二百二十社あるといわれる氷川神社の奥の院で、大勢の観客に見守られながら繰り広げられる熱演は、獅子舞にこめられた歴史や思いをまさに熱く、今に伝えるものである。
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