NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/28


鎮西大社 諏訪神社 Chinzeitaisha-Suwa-jinja Chinzeitaisha Suwa Shrine

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 長崎県長崎市に鎮座する、諏訪神社(すわじんじゃ)は、鎮西大社といわれ、諏訪大神、森崎大神、住吉大神を祀る長崎の総氏神様である。
 弘治年間(1555~1557年)に信濃の諏訪神社から分霊し、諏訪神社が建立されていたが、領主のキリシタン大名大村純忠は長崎をイエズス会の知行地として寄進し、市内の神社仏閣はほとんど破壊されてしまった。しかし、寛永元(1624)年に肥前唐津の宮司、青木賢清(あおきけんせい)の努力により諏訪神社、森崎神社、住吉神社を合祀して再興。慶安元(1648)年に現在の場所に社殿が造営された。安政四(1857)年に火災によりほとんど焼失したが明治二(1869)年に10年の歳月を費やして社殿が再興された。昭和五九(1984)年には御鎮座三百六十年祭を記念して昭和の大改修が執り行われ、現在の社殿の姿となっている。
 地元では「お諏訪さま」と呼ばれ、毎年秋には日本三大祭の一つである長崎くんちが開催される。
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2007/12/20


諏訪大社 御柱祭 Suwataisha Onbashira-matsuri Suwa Taisha Grand Shrine Onbashira Festival

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 諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県諏訪市中洲宮山に上社本宮がある神社である。祭神は建御名方命(たけみなかたのかみ)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)。信濃国の「一の宮」である。
 上社本宮、前宮、下社秋宮、春宮の4社から成り立つ、平安時代の延喜式神明帳にもその名が載っている古社であり、全国に一万ある諏訪神社の総本社である。
 御柱祭(おんばしらまつり)は、寅と申の年、6年ごとに行われる諏訪大社の大祭で、県指定無形民俗文化財となっている。
 祭りでは、直径1m、長さ16mのモミの大木を16本切り出し、各社殿の四隅に建てる。
 祭りは四月の山出し祭と五月の里曳き祭にわかれ、山出し祭では御柱を木落し坂から落とす木落し、御柱を曳く綱を渡して宮川を越える川越し、里曳き祭では騎馬行列や建御柱があり、2ヶ月にわたって諏訪は祭り一色に染まる。
 諏訪大社の御柱祭は、全国屈指の伝統と規模を誇る大祭である。
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2007/9/19


成川神舞 Narikawa-kanme 

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 成川神舞(なりかわかんめ)は、鹿児島県指宿市山川成川の成川南方神社にて、三年に一度、一〇月二七日前後に行われる神事である。
 成川南方神社は、創建年は不明ながら古くからこの地に建つ神社で、祭神は建御名方命(たけなかたのみこと)。
 成川神舞はお諏訪さんと呼ばれている南方神社に伝わる神楽で、以前は国家・神社や氏子に事ある時に神事を行い、その最後に神舞を奉納していた。
 成川神舞の起源は不明だが、慶安二(1649)年、藩主・島津家久の前で神舞を舞ったとの記録が残る為、慶安から万治年間(1648~1661)には成立していたと思われる。
 初日と二日目に、グレと呼ばれる神輿が家々を御神幸する神事を行い、二日目の夕刻から二〇番以上ある神舞が奉納される。
 成川神舞は、勇壮な中にも優雅さが感じられる郷土芸能である。
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2007/9/7


秋保神社 Akiu-jinja Akiu Shrine

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 秋保神社(あきうじんじゃ)は、宮城県仙台市の秋保町に鎮座する古社である。
 もとは坂上田村麻呂が創建した熊野神社が鎮座していたといわれるが、秋保氏十五代の盛房(もりふさ)が、永正一〇(1513)年に名取の長井氏との合戦の戦勝を祈願して、信濃国より諏訪神社を勧請したのが始まりとされる。
 その後は「お諏訪さま」として親しまれ、秋保にある長袋、馬場、境野、湯元、新川の五ヶ村の鎮守として信仰を集めていく。
 そして、明治四二(1909)年に秋保地区の神社等を総括合祀することとなり、秋保神社と改称し、今に至っている。
 秋になると秋保神社大祭が催され、今も地域の人々で大いに賑わいを見せるが、普段は市の保存樹木に指定されている大きなイチョウやシダレザクラの古木に囲まれた、すがすがしい緑と静寂な佇まいを持つ神社である。
 濃い緑に包まれて、静かな境内を散策すれば、神社の持つ長い歴史の一片を感じられるかもしれない。
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2007/9/4


遠州新居手筒花火 Enshuu-arai-tezutsu-hanabi 

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 江戸時代から続く伝統行事「遠州新居手筒花火(えんしゅうあらいてづつはなび)」は、毎年7月下旬の金、土曜日の二晩、静岡新居町で約2000本もの手筒花火が舞い、旧宿場町は祭り一色に染まる。
 約300年前、三河地方の奉納神事で行われていた手筒花火が、新居関所を所轄していた吉田藩から伝えられたという。その後、新居の男達によって野性味が加えられ、お囃子に合わせて手筒を抱えながら踊る豪快なものになった。
 東海道の奇祭として知られる遠州新居手筒花火は、町の中心部にある諏訪神社祭礼の奉納煙火(ほうのうえんか)として行われており、クライマックスの「猿田彦煙火(さるたひこえんか)」は、天狗の衣装を纏った男をはじめ、数十人の男達が持つ手筒に一度に火を点け、夜空を焼き尽くすかの様に勇壮に火柱が立ち上げ、壮観な光景を楽しませてくれる。
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2007/7/30


愛子の田植踊 Ayashi-no-taue-odori 

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 愛子の田植踊(あやしのたうえおどり)は、宮城県仙台市青葉区下愛子の諏訪神社にて、毎年4月29日の祭礼日に踊られている民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 田植踊とは、稲田の作業を舞踊化し、真似る事でその年の豊年を祈願するものである。
 愛子の田植踊は元禄年間(1688~1704)に加藤某が京都から伝えたとされるが、同地鎮座の古社・御殿山諏訪神社の別当が代々修験であった事から、その関連が起源と考えられている。
 一時は途絶え、昭和五(1930)年、仙山線の開通で復活したが、後に再び衰えた。
 昭和二五(1950)年、村会の議決により復活し、以後は現在まで続いている。
 古くは旧正月から3月15日の諏訪神社祭礼までの期間に、他の集落をも踊り歩いたという。
 愛子の田植踊は、古の伝統を今に引き継ぐ踊りである。
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2007/7/27


宮城 諏訪神社 Miyagi Suwa-jinja 

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 宮城の諏訪神社(すわじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区上愛子宮下にある神社である。祭神は、健御名方命。
 延暦年間(782~806)の創建と伝えられる。
 かつては国分一の宮と呼ばれ、国分荘の総鎮守であった。古くから武神として名高く、狩猟の神徳があるとされる。
 鎌倉時代の初めには源頼朝が藤原泰衡との戦の前に戦勝を祈願し、戦勝後、家臣の伊沢家影に命じて社殿の改修・改築をしたと伝わる。
 宝永二(1705)年、現在の社殿が再建された。三間社流造、素木造、屋根はこけら葺で、三社造といわれ、中宮、左右宮に分かれている。
 本殿は大きな覆堂に保護されて、よく原形を保っており、県の有形文化財に指定されている。
 宮城の諏訪神社は、長い歴史を誇る古社である。
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2007/7/24


八代 妙見祭 Yatsushiro Myoukensai Yatsushiro Myoken Festival

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 熊本県八代市の八代神社で、毎年十一月二二日から二三日に開催されるのが、八代妙見祭(やつしろみょうけんさい)である。
 長崎諏訪神社のくんち祭りと福岡筥崎宮放生会(はこざきぐうほうじょうや)と並び、「九州三大まつり」と称される。
 祭りが行われる八代神社は文治二(1186)年に創建されたもので、妙見宮という別名もあり、これが祭りの名の由来となっている。
 妙見の名については、今からおよそ千三百年前に中国から妙見神が、体が亀で頭が蛇という亀蛇(きだ)に乗って八代に上陸したという故事に基づいており、祭りもこの故事に則って江戸時代初期に、当時の八代城主であった細川忠興(ただおき)公が始めたのがその原型といわれている。
 神輿や笠鉾、獅子、亀蛇、花奴、鉄砲隊、花馬などの絢爛豪華な祭礼神幸行列や、河原を豪快に疾走する神馬、ユーモラスな動きで演舞を見せる亀蛇など、静と動の祭りの醍醐味を思う存分に楽しめる2日間となっている。
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