NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/25


倉敷はりこ Kurashiki-hariko 

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 倉敷はりこ(くらしきはりこ)は、岡山県倉敷市に伝わる民芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 明治二(1869)年、雛人形や武者人形を作っていた職人である生水多十郎(おみずたじゅうろう)が、男の子の誕生を喜び張り子の虎を創作した。それが評判となり、節句の飾り物として使われるようになったという。これが、「倉敷はりこ」の始まりとされている。現在は、4代目の生水幹一(おみずかんいち)が、その伝統を守っている。
 はりこは、木の型を作り、それに和紙を何枚も張り合わせて乾燥させ、固まった紙を型から外して色付けされているのが特徴。
 素朴さが身上で、おどけたユーモラスな顔がかわいい。品物も、鬼・天狗・おかめ・ひょっとこ・素隠居(すいんきょ)の面・首振虎・十二支など、豊富な種類を誇る。
 倉敷はりこは、素朴さの中に郷土色が息づく伝統玩具である。
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2008/1/17


大津絵 Ootsu-e 

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 大津絵(おおつえ)は、滋賀県大津地方の代表的な郷土みやげ品で、伝統民画と呼ばれる。その大半は、強烈な人間風刺がテーマになっている。
 江戸時代初期、東海道近江国追分あたりの名もなき画工が軒を並べ、街道を往来する旅人らに、信仰の対象として仏画を描き売ったのが始まりという。時代の変遷と共に世俗画、風刺画、人物画、風俗画へと転じ、また教訓的な和歌を添えたものも登場するなど、そのモチーフは百種類以上にのぼる。
 江戸時代を通じて東海道大津宿の名物となった大津絵は、文化・文政期(1804~1829)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、そこから「大津絵節」が生まれ、全国へと伝播していった。
 シンプルでのびのびとした描線、どこかユーモラスで風刺のきいた絵柄、そして独特の鮮やかな彩色が見る者を惹き付ける。現在は、紙に描かれたもののほか、絵馬やひょうたん、皿や掛け軸などもある。人間風刺という普遍的なテーマゆえに、いつの時代も民衆の心を捉えて離さない。
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2007/9/27


久見神楽 Kumi-kagura Kumi Kagura

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 久見神楽(くみかぐら)は、隠岐島後(おきどうご)の久見地区にある伊勢命(いせみこと)神社に伝わる穏地神楽(おちかぐら)の系統で、島根県の無形民族文化財に指定されている。
 隠岐の神楽は社家(しゃけ)と呼ばれる専門の神楽師が家業として代々継いできたが、明治二二(1889)年に地元の有志が油井の和田社家より伝授され、久見神楽となって現在に至る。西暦偶数年は七月二五日に、奇数年は同月二六日に、伊勢命神社の例祭で奉納される。
 午後九時ごろから夜通し行われ、演目は久見神楽特有の女性による「巫女(みこ)舞」をはじめ、勇壮な「猿田彦(さるたひこ)の舞」、ユーモラスな「鯛釣り」など多数ある。舞う人と地区役員が一緒に酒を酌み交わす「幣(ぬさ)の盃」も珍しい。太鼓や笛の音に乗って繰り広げられる迫力のある舞いと鮮やかな衣装は、観る者の心に深く刻み込まれる。
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2007/9/19


猿の子踊 Saru-no-ko-odori 

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 猿の子踊(さるのこおどり)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市池田下門にて、不定期に開催されている伝統の民俗芸能である。市の文化財に指定されている。
 延享二(1745)年、今和泉島津家の領主・島津忠郷(しまづたださと)が、日向から猿使いを招き、猿の習性を面白おかしくふりつけ、春と秋の2回、人々の苦労をなぐさめたという。
 猿は山の神、田の神の使いとして考えられた事から、その後、豊作のお祭りとして猿の子踊りが伝えられるようになったとされる。
 踊りでは、子供が真赤な衣装で顔一面赤く塗って扮装した親猿や子猿が、猿使いの命令に従い入り乱れてさまざまな芸をする。
 この奇妙な動作が整然と続けられていく様は実に見事なもので、見る者を楽しませてくれる。
 猿の子踊は、ユーモラスで可愛らしい郷土芸能である。
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2007/9/18


かせだうち Kasedauchi 

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 かせだうちは、鹿児島県川辺郡知覧町にて、毎年一月一四日に行われている行事である。
 近所の人たちが七福神などの神様の格好で新築の家を訪れ、一家の繁栄を祝いにやってくる。
 布袋や弁天に扮した神様は、祝儀袋に八兆円などと書いて差し出したり、目録に高級車一〇台、航空機一〇機、豪華客船一〇隻などと書き込んでみせる。
 迎える家の方も負けていない。焼酎の変わりに、みりんや酢、醤油を勧めたり、おたまじゃくしの吸い物や、鶏の頭の吸い物などを勧めたりする。
 家主たちは、このようなユーモラスな方法で神様の正体を暴こうとするのである。
 名称は「稼いだ家」にちなむともいうが、はっきりしていない。
 かせだうちは、主と神様の滑稽なやり取りが笑いを誘う、小正月の伝統行事である。
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2007/8/27


群馬 茂林寺 Gunma Morin-ji Morinji Temple

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 群馬の茂林寺は、群馬県館林市堀工町にある曹洞宗の寺である。本尊は、釈迦牟尼仏。
 応永三三(1426)年、大林正通禅師が開山した大寺で、たぬきが茶釜に化けて和尚さんに恩返しをする、童話「文福茶釜」の舞台として知られている。
 寺には今も分福茶釜や古文書などが大切に保存されているばかりでなく、ユーモラスな表情をしたたぬきの焼き物たちが境内で参拝者を出迎えてくれる。

 また、2002年から4月には狸桜祭を開催している。薩摩琵琶「分福茶釜」の演奏や、講談、舞踊などが披露され、先着100名には餅が振る舞われる
 茂林寺は、文福茶釜とたぬきに彩られた楽しい寺院である。
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2007/8/20


重陽神事と烏相撲 Cyouyou-shinji-to-Karasu-zumou Choyo-no-Shinji and Crow Sumo Wrestling

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 重陽神事と烏相撲(ちょうようしんじとからすずもう)は、京都でも最古のお社として知られている上賀茂神社で毎年の九月九日に行われている例祭の一つだ。
 開催される九月九日は、九という陽の数字が重なることから重陽といわれ、古くからこの日に菊酒を飲み、菊花についた露で肌を拭うなどして無病息災を祈願した。
 これがいわゆる「重陽神事」であり、五節句の一つ「重陽の節句」に相当するものとして、古来より神社の本殿に菊花を供えて災厄を祓ってきた由緒ある例祭である。
 重陽神事の後は、刀祢(とね)と呼ばれる所役によって烏の鳴き声をまねて受け答えするユーモラスな所作が披露されてから、氏子の子供達が禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分かれて相撲を取る烏相撲が奉納される。この相撲も悪霊退散の信仰行事として平安時代から続くものであり、京都市の無形民俗文化財に指定されている。
 千数百年の歴史に彩られた神事には、恒久の平安を求める人々の祈りが込められている。
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2007/8/17


庄内神楽 Syo-nai-kagura 

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 神楽は、祭典の時に神前に奉納される歌や舞である。大きく、宮中で行われる雅楽や伎楽の宮廷神楽と一般の神社の神事芸能の里神楽に分けられる。
 庄内神楽は、大龍地区にある愛宕地蔵にある古文書に1778年に、御堂造営の際、神主らによって神楽が奏でられたとある。明治の初期には、同好会的な神楽集団が組織される様になり、現在の神楽座の基となっている。
 庄内には大きく分けると、娯楽性の高い10の庄内地区系と、伝統を重んじる2つの阿蘇野地区系の二流派の神楽座がある。両派とも庶民の神楽として古くから伝承され、比較的に早いテンポにのって勇壮に、時にはユーモラスに舞う里神楽である。
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