NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/29


【卜】 Boku Divination, Auguration

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 この字は、占いをするために事前に甲骨文を刻んだ亀の甲羅や獣骨に、意図的に加えられた裂紋の形です。占いの材料である亀の甲羅や獣骨の裏側を、穴をあけるために薄く彫り、その穴に鉄棒をつけて当てることで、反対側に現れる裂け目の模様を象っています。
 様々な卜の形の中でも、この字の形は吉の判断とされている形です。たての線は千里とよばれ、横線は坼(たく)と称されています。坼が途中でまがっていれば凶の意味になります。「卜」は、アジア文化の考え方の中心に吉凶がおかれたことを表す字の一つでもあります。
 骨には牛の肩骨などや、鹿の角や頭骨、犀のメスの助骨など、獣骨や虜の人頭が使われていました。亀の甲羅には、腹と背の二つがありますが、甲羅の甲の字は、腹部の方の平面で四角い甲羅の形を象っています。背部(背甲)に字が刻まれているのもまれにありましたが、ほとんどみられることはありません。背甲は丸くてとても硬いので、占いの裂紋をつけるために穴を彫るのが難しいのです。
 西洋における漢字の研究では、「甲骨文」の訳語として、腹甲、背甲のはっきりしない言葉が使われていることが多いので、本来の姿や正しいイメージが見えない状況です。もともとは腹甲を象っていた「甲」の字が、甲羅・亀甲などのように背甲を示す言葉として用いられるようになったこともその原因の一つです。
 
■ 卜・甲骨文(こうこつぶん)
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2007/10/11


因幡三山 Inabasanzan Inabasan-zan Mountain

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 因幡三山(いなばさんざん)とは、鳥取県国府町にある甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)の三つの山の総称。 この一帯は、奈良から平安・鎌倉の時代にかけて、政治文化の中心地として繁栄し、因幡国府が置かれた場所である。万葉集の編纂者で有名な大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に命ぜられてやってきたことでも知られる。
 万葉集の巻末を結ぶ有名な歌、「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」は、ここ因幡の地で詠まれたものであり、このことから万葉集はこの地で編纂作業を進められたと考えられている。
 国府を中心として東に甑山、西に面影山、南に今木山が位置し、国庁の正殿から因幡三山を望むことができたという。面影山は女性、甑山と今木山は男性の姿に見える。
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2007/9/28


大内塗 Oouchi-nuri Ouchi Lacquer Ware

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 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市に伝わる工芸品で、国の伝統工芸品に指定されている。
 室町時代に、現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われている。
 渋い大内朱の地塗りの上に、黄緑色の彩漆で秋の草を描き、雲の形を描き入れ、家紋の大内菱を金箔で貼り付けた独特の文様が特徴とされる。
 主に、椀や盆、花器、大内人形などが作られており、中でも大内人形は、24代大内弘世が京を偲んで寂しがる夫人を慰めるために、京から呼び寄せた人形師に作らせたといわれ、その愛らしい表情の人形は夫婦円満を願う人々に喜ばれている。
 大内塗は、匠の技術を現在に受け継ぐ、高級感溢れる伝統工芸品である。
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2007/9/4


弘前さくらまつり Hirosaki-sakura-matsuri Hirosaki Cherry Festival

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 弘前市(ひろさきし)にある弘前公園では、毎年四月下旬から五月上旬に「弘前さくらまつり」が開催される。二月の雪燈籠まつり、八月のねぷたまつり、一〇月の紅葉まつりと共に弘前四大祭りのひとつに数えられている。
 この桜は正徳五(1715)年、京都から取り寄せたカスミザクラ二五本などを城内に植えたのが始まりとされている。その後明治時代に植栽が数回行われた。
 公園内には津軽氏の居城となった弘前城があり、中心には東北唯一の現存する天守閣がある。明治二八(1895)年に弘前公園となり市民に開放され、現在では、ソメイヨシノをはじめ約五〇種類二千六百本の桜が咲き乱れ、日本を代表する花見の名所となった。
 濠に連なる桜は水面間際まで枝が伸び、水面に写る桜の姿は格別である。また、夜になると明かりが灯され、夜桜のなかに浮かび上がる天守閣は幻想的な姿を見せる。
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2007/6/26


ハルニレの木 Harunire-no-ki Japanese Elm

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 ハルニレは春楡と書き、ニレ科の落葉高木のこと。一般的に「楡」というとハルニレを指す。
 この木は十勝・豊頃町のシンボルとなっており、バランスよく左右いっぱいに枝を伸ばした姿は、周囲の風景と調和してすばらしい景観を創り出している。
 推定樹齢は約130年。遠景では1本の木に見えるが、実は2本の木が絡み合い、一本と化して美しい形を作った珍しいもの。昭和六一年に、町の文化財の指定を受けている。
 楡は3〜4月頃、葉に先だって、紫がかった淡緑色の雄雌両方の特徴を持つ小両性花を付ける。樹高は約35メートルに達し、街路樹や公園樹などに用いられている。材は器具・楽器・薪炭などに使用され、また枝の繊維で縄を作ることもできるなど、万能な木材としても有名である。
 夏ごろに葉が繁り見ごろを迎えるこのハルニレの木は、十勝川河川敷で風に枝をなびかせ、凛とした美しい姿を見せている。
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2007/4/16


広島 吉原家住宅 Hiroshima Yoshiwarakejutaku Yoshihara Family Residence in Hiroshima

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 吉原家住宅は、京都吉原から移ってきた藤原鎌足の子孫である、豪農・吉原家の住宅。平成三年に国の重要文化財に指定されている。
 同家に伝わる祈祷札などから、江戸時代の寛永十二(1635)年の建築とされる。寄棟造、茅葺の農家としては国で最も古い遺構である。
 間取りは六間取りに土間を持つ規模の大きい構成。土間の中央には柱を建てず、二重の梁組みで大きな空間を支えており、当時としては贅を尽くした作りとなっている。
 天にそびえる切妻の茅葺屋根が端正な姿を当時のままとどめ、大変美しい。また、母屋裏側の大きなぬれ縁は日本情緒たっぷりだ。
 吉原家住宅は、日本の家屋の原型であり、やすらぎを与えてくれる日本人の心の原風景である。
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2007/3/8


牛馬童子 Gyuuba-douji Gyuba Doji Statue

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 牛馬童子は熊野古道、中辺路の途中に位置する石像の事である。
 中辺路、箸折峠にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)の裏手にあり、高さ50センチ程、隣には役行者の石像が並ぶ。
 平安時代中期の悲運の天皇、花山天皇に縁の像。若くして皇位につきながらも、藤原氏の策謀により皇位を奪われ、出家し法皇となり、熊野詣に参った姿を偲んで建てられたものとされる。
 箸折峠の名は、天皇一行が食事を取る際に周囲の萱を求めて箸の代わりにしたところから付けられたとされる。
 熊野古道、中辺路のシンボル的な存在であり、参道を歩む人々を穏やかに見つめ続けている。
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2007/2/2


白山 Hakusan Mt. Hakusan

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 白山は石川県、福井県、岐阜県にまたがる古来より北陸の人々の信仰を集めてきた霊峰である。
 富士山、立山と供に日本三名山・三霊山に数えられ、御前峰、剣が峰、大汝峰の三峰を総称して白山と呼ぶ。
 最高峰の御前峰は標高二七〇二メートルで、成層火山としてのその活動起源は三〇万年間とも四〇万年前とも言われている。中生代ジュラ紀の地層が分布し、恐竜の化石も出土する。温泉も多く、日本有数の高山植物が群生。原生林も広がり野生動物がたくさん生息する自然の宝庫である。
 中腹は急峻で、未踏の場所も多い。1962年に国立公園に指定。
 養老元年(717年)、泰澄上人荷より開山。白山それ自体と、白山比め神社を中心に、修験道の霊地として隆盛を迎える。
 その白き清浄な姿は今も多くの人々の信仰を集めています。
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