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「隠岐武良祭風流(おきむらまつりふうりゅう)」は隠岐三大祭りのひとつで、隔年の一〇月一九日に行われている。
その起源は鎌倉時代の初めに遡り、隠岐の守護に任ぜられた佐々木定綱(さだつな)が、本国近江から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始めたことと伝えられている。
元屋八王子神社に祀られている日神(日天子)と、中村一之森神社に祀られている月神(月天子)が、この武良郷(むらごう)の地の神々たちと、中村の会所で出会うというもの。
両神社から行列が出て会所に向かう。到着すると「日天子・月天子の和合による礼」が行われる。
さらに、甲冑を付けた武者の「行司礼拝」、化粧した若者が囃子に舞いながら大太鼓を打つ「陰陽胴打ち」、子供による相撲の舞い「神相撲(こずま)」、青年による相撲の舞い「占手(うらて)」などが続き、流鏑馬(やぶさめ)を最後に祭りは終了する。
古式ゆかしい多彩な行事は、まるで歴史絵巻のようで県の無形民俗文化財に指定されている。
その起源は鎌倉時代の初めに遡り、隠岐の守護に任ぜられた佐々木定綱(さだつな)が、本国近江から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始めたことと伝えられている。
元屋八王子神社に祀られている日神(日天子)と、中村一之森神社に祀られている月神(月天子)が、この武良郷(むらごう)の地の神々たちと、中村の会所で出会うというもの。
両神社から行列が出て会所に向かう。到着すると「日天子・月天子の和合による礼」が行われる。
さらに、甲冑を付けた武者の「行司礼拝」、化粧した若者が囃子に舞いながら大太鼓を打つ「陰陽胴打ち」、子供による相撲の舞い「神相撲(こずま)」、青年による相撲の舞い「占手(うらて)」などが続き、流鏑馬(やぶさめ)を最後に祭りは終了する。
古式ゆかしい多彩な行事は、まるで歴史絵巻のようで県の無形民俗文化財に指定されている。
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