NIPPON Kichi - 日本吉

記事数23件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/2/6


紙相撲 Kamizumou 

Jp

 それまでの戦乱が一時の終息を迎え、江戸時代は平穏な時が流れるとともに、庶民の文化も大きく発展していった。そんな中、相撲は当時の人々にとっても、非常に人気を博した娯楽であった。そのため、相撲に関連した遊びが多く生み出されたという。紙相撲(かみずもう)もその中の一つであった。
 紙で作った力士である人形を、土俵に見立てた板や厚紙をの上に置き、その隅をトントン叩く。すると紙の力士が互いに動き出し、どちらかが倒れるまで勝敗を争う遊びである。
 昭和二九(1954)年に徳川義幸氏という当時一七才の少年が、独自の紙相撲の方法を考案。これがマスコミに大きく取り上げられ、全国的ブームにまで発展し、遂には、日本紙相撲協会が設立されるまでに至った。
 現在では、紙の大きさや土俵の大きさ、土俵においた時の人形の角度など、本物の大相撲のようにきめ細かい約束事が決められており、全国に多くの愛好者がいる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




土俵 Dohyou 

Jp

 日本の国技である相撲の歴史は大変古く、「古事記」の中に記されている建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の国をかけた「力くらべ」が起源とされている。
 土俵(どひょう)は、相撲を取る力士たちが勝負を争う神聖な場所を指す。土俵はその字のごとく、俵に土を詰めたものを使うためにこう呼ばれる。
 その大きさは江戸時代では直径一三尺、三メートル九四センチであったが、昭和六(1931)年、天皇がご覧になる天覧試合の時より直径が一五尺、四メートル五五センチとされた。
 現代の大相撲の本場所の土俵は、円周となる勝負俵一六、東西南北の真中の俵だけ円よりも俵一個分外にだしている徳俵四、周囲を囲む角俵二八、四角の上げ俵(外俵)四、土俵に上がる上がり段(踏み俵)一〇、小さめの水桶俵四の六種類六六俵を使用している。
 土俵は勝負を行う神聖な場所であることから、真中に穴を掘り日本酒や塩、米などが奉納される。また、女人禁制とされる場所としても有名である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/30


小僧不動の滝寒中みそぎ Kozou-fudou-no-taki-kanchuu-misogi Waterfall Purification at Kozo-Fudo Sui Shrine

Jp En

 毎年旧正月にあたる一月一五日、宮城県栗原市一迫長崎地区の小僧不動水神社では寒中みそぎが行われている。
 参加者は厄年や成人を迎えた男性。夜一九時頃、ふんどしにわらじ、白はちまき姿で俵みこしを担ぎながら登場する。この時の外の気温は零下8度前後。みそぎ中の安全を祈願すると小僧不動の滝に向かって走り、気合いを入れ滝つぼに入る。10メートル上空から落ちてくる滝に打たれ、胸まで水につかると肌が見る間に真っ赤に。家内安全、無病息災、厄祓い、五穀豊穣、合格等を祈願する。
 みそぎを終えると体から湯気をだしながら再び神社に参拝し、行事が無事に終了したことを報告する。見物に訪れた人たちからは歓声と拍手が沸きあがる。
 その後暖かいどんと焼きの前で、甘酒を飲みながらほっと息をつき、足早に家路に着く。
 身を清め、同時に心が清められる清々しさを感じることができると、参加者には実はなかなか好評だ。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/10


草履 Zouri 

Jp

 草履(ぞうり)とは、日本の伝統的な履物の一つである。
 明治時代以降に洋靴が普及するまでは広く使用されていたもので、昭和三〇年代頃までは、下駄や草履を履くのは珍しくなかった。
 草履とは主に竹の皮を表畳に使った履物で、その素材と編み方で価値が変わるとされている。
 現代では「革草履」が主流で、革、布、ビニールなどで覆われた小判型の靴底に同種の表をつけ、鼻緒を据えている。
 草履の大きさはみな同じで、鼻緒をゆるめたり絞めたりして足のサイズに合わせる。男子用は畳表・竹皮が多く、女性用は、表が布・皮・ビニールなど多種で、芯がコルク、裏が皮のものが多い。
 草履の中で竹や畳俵などで作られたものを、雪駄という。
 側面の穴に長い紐を通して足首を巻き、アキレス腱か外側で縛って履くのが草鞋(わらじ)で、長距離移動や日常作業用の履物として普及した。
 草履は、かつては人々に馴染んだ、最も手軽な履物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




爪木崎 Tsumekizaki 

Jp

 爪木崎(つめきざき)は、静岡県下田市須崎の須崎半島東南端の景勝地である。県名所100選の第3位に選ばれている。
 白浜と下田の中間に位置する須崎半島の爪木崎には、野水仙が群生しており、毎年一二月二〇日~一月三一日までの間、「水仙まつり」が行われている。
 特に爪木崎バス停に近い池ノ段は野水仙の大群落でも知られ、遊歩道も整備されている。
 白亜の灯台が立ち、俵磯(たわらいそ)と呼ばれる柱状節理の断崖など見事な海岸風景を見せる。 爪木崎花園では野水仙の群生で一杯で、水仙の香りが漂う。一帯は海浜植物に覆われ、夏はハマユウ、晩秋にはツワブキなどが咲く。
 爪木崎灯台からは白浜海岸や伊豆七島が見渡せ、爪木崎花園では葉ボタンや菜の花などが咲き誇る。
 爪木崎は、四季折々の花が美しい景勝地である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/9


相撲 Sumou 

Jp

 相撲(すもう)は、日本に古来から伝わる武道・格闘技であり、現在はスポーツとして世界的にも知られている国技である。
 その起源は「古事記」や「日本書紀」に登場するほど古く、神話として扱われている。平安時代には宗教文化色が増し、神事として扱われるようになった。
 やがて武芸となり、江戸時代には芸能として成り立ち、現在は大相撲として全国を興行している。
 競技としては、腰にまわしを巻いた裸の2人が土俵上で取り組み、相手を押したり、ついたり、投げたりしながら、倒すか土俵の外に出す事で勝敗を決める。
 力士は頭にまげをゆい、審判役の行司は1400年頃の侍と同じ服装をしている。力士が取り組み前に土俵で塩をまくのは、神聖な土俵を清める為とされる。
 また、力士には番付があり、かつては大関が最高位だったが、明治以降は実績と品格により最高位・横綱が与えられるようになった。
 相撲は、古より伝わる神事であり、日本の伝統文化である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/5


野村乙亥大相撲 Nomura-otoi-oozumou 

Jp

 四国カルストの急峻な山々に囲まれた愛媛県西与市野村町に、百五十余年の伝統を誇る野村乙亥大相撲(のむらおといおおずもう)がある。地域の一大行事で、開催中は町中が興奮と熱気に包まれる。
 相撲の歴史は大火災から始まった。江戸時代の嘉永五(1852)年、出火した炎は町の東地区を中心に数百棟を焼き尽くした。町民は愛宕山に火除けの神様として愛宕神社を祀り、旧暦十月の乙亥の日を選んで、三十三結びの火鎮祈願相撲を行ったという。
 現在は大相撲幕内力士、幕下上位力士、アマチュア相撲界の有名大学選手、実業団選手を招待し、各地区代表の一般選手や町内の小中高生が参加して、二日間にわたり熱戦が繰り広げられる。個人戦・団体戦のほか、稚児の土俵入り、関取の相撲指導、初切(しょっきり)などが行われる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/10


ソラヨイ Sorayoi Sorayoi

Jp En

 ソラヨイ(十五夜そらよい)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)に伝わる伝統風習であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 五穀豊穣を祈り、土地の神と月に感謝する祭りであるが、発祥については、よく判っていない。
 また、名前の由来は「空が良い」「それは良い」と言われているが、はっきりしていない。
 ソラヨイは、月が出る頃に始まる。田圃に積み上げられたワラ造りの「ワラコズン」の中に人が2人入り、右回りに回し出す。
 中学生までの男の子が「ソラヨイ・ソラヨイ」と囃しながら、ワラみの笠、腰みの、ふんどし姿で、逆方向に廻りながら、素朴で神秘的な踊りを見せる。
 ソラヨイ終了後は、大人・子供にわかれて、3回綱引きをし、その後、ワラを崩して土俵を作り、相撲をとる。
 ソラヨイは、素朴で珍しい、一五夜の伝統行事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数23件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter