NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/10


松江姉様 Matsue-anesama-ningyou 

Jp

 松江姉様(まつえあねさま)は、島根県松江市に伝わる伝統民芸品である。
 江戸時代、松江藩の御殿女中(ごてんじょちゅう)が作り始めたもので、江戸から伝わった姉様人形の一つといわれる。
 姉様人形とは、江戸時代に普及した和紙と千代紙で造られた優雅な人形で、裕福な武家や商家の子女に大切にされた。
 昭和一〇(1935)年頃までは子供や娘たちの日常の遊び用玩具であったが、今日では郷愁を誘う民芸品となっている。
 普通、姉様人形は顔を略したものが多いのだが、松江の人形はおちょぼ口で目が細く、頬をほんのり赤く染めている。
 衣装は赤と緑の二色であるが、単純化された中にもきらびやかさ、あでやかさがある。
 松江姉様は、小泉八雲(こいずみやくも)も愛好したという、日本的で気品のある三姉妹の紙人形である。
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母里焼 Mori-yaki 

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 母里焼(もりやき)は、島根県安来市伯太町東母里で伝えらる工芸品である。また、県の伝統工芸品に指定されている。
 幕末の弘化元(1844)年に、松江藩の分藩・母里藩の産業・文化事業として始められた。
 嘉永三(1850)年、豊岡に窯が移され豊岡焼といわれた。この豊岡焼から分れて明治二二(1889)年、稲垣茂平(いながきもへい)、利市父子(りいちふし)が登り窯を築いたのが現在の母里焼の始まりとされる。
 特徴は色の豊富さで代々伝わる色は、合計すると約30種類もの釉薬を使用する。
 粘土から松割木まで、全工程を全て手作業で行うため、窯出しは年に1回のみであり、非常に貴重なものとなっている。
 母里焼は今なお、捏鉢(つくねはち)や漬物鉢・食器類などの日用品を焼成している民芸陶器である。
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楽山焼 Rakuzan-yaki 

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 楽山焼(らくざんやき)は、島根県松江市で伝えられる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 延宝五(1677)年、萩の陶工である倉崎権兵衛(くらざきごんべえ)が、松江藩の御用窯として松江市東郊の御立山(おたてやま)に築窯したのがはじまりとされる。
 一時期製造が中断されていたが、享和元(1801)年、松江藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の命により再興された。
 御立山焼(おたてやまやき)、御山焼(おやまやき)とも呼ばれたが、明治の頃から楽山焼という呼ばれ方が定着した。
 作品は、抹茶碗や水差しといった茶道具がほとんどを占めている。刷毛目(はけめ)と、伊羅保写し(いらほうつし)といわれる技法が特徴で、器は同名の釉薬を使って仕上げられた、落ち着きのある淡い山吹色をしている。
 楽山焼は、御用窯として土灰(いしばい)づくりと調合に、品位が感じられる伝統工芸品である。
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