NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/19


唐戸山神事相撲 Karatoyama-shinji-zumou Karato-yama Shinji Sumo

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 唐戸山神事相撲(からとやましんじずもう)は、石川県羽咋市の羽咋神社(はくいじんじゃ)で毎年九月二五日に行われる伝統行事である。
 日本最古の相撲としても知られており、その歴史は第十一代垂仁(すいにん)天皇の時代にまで遡ることになる。
 垂仁天皇が日本の歴史上初めて、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に相撲をとらせたといわれており、その皇子である磐衝別命(いわつくのわけのみこと)が現在の羽咋市で若者たちを集めて武勇を養い、また力の長けた人を招いて相撲をとらせていたことから、皇子の命日である九月二五日に行われるようになったのが始まりといわれている。
 以来、約二千年もの長きに渡って連綿と継承され、神事が行われる日には北陸各地から力自慢の若者達が唐戸山に集まり、相撲をとって皇子の神霊をお慰めする。
 「水なし、塩なし、まったなし」の掛け声とともに二千年にわたって続けられてきた神事は、もはや神話の一部といっても過言ではないかもしれない。
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2007/6/18


能面 蝉丸 Noumen Semimaru Semimaru Noh Mask

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 能の演目「蝉丸(せみまる)」で専用に使われる男系の面で、醍醐天皇の皇子でありながら不幸にも盲目で生まれてしまい、父の命により逢坂山に捨てられてしまうという悲しみを漂わせている。顔立ちはあくまでも上品に憂いを含み、目は細長く開けられ、上瞼が被さる様に作られている。
 能面で同様の盲目の面に「弱法師」があるが、弱法師が庶民的な顔立ちに対して、高貴な生まれの蝉丸は気品が漂っている。特徴はやはり目であり、全体がくり抜かれていて、演者からすれば瞳だけしか開いていない他の面よりは視界が広くなる。彩色は白を強調したもので、髪の毛は汚れて何本か重なって太くなっている。
 逢坂山に捨てられた蝉丸の所へ逆毛の姉が尋ねてきて、二人で障害を持った身をなぐさめあい、そして悲しい別れの結末を迎えるという曲である。
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2007/5/18


岐阜 伊奈波神社 Gifu Inaba-jinja 

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 伊奈波神社(いなばじんじゃ)は、岐阜県に社を構える神社である。
景行天皇十四年、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の偉徳を偲び、武内宿禰が椿原に祀ったのが始まりとされる。主祭神の五十瓊敷入彦命は、垂仁天皇の第一皇子で、当地を始め広い地域を整備し、溝渠を作り、農耕の基礎を築いて人々の生活に安定をもたらした。そのことから、岐阜の総産土神、諸願成就の神として親しまれ崇敬されている。
 1539年に斎藤秀龍が、稲葉山を居城とするのにあたり、現社地に遷し奉った。その際、この地の物部神社と合祀された。
 1873年に県社になり、1939年一一月一日に国幣小社に昇格。境内は、壮大な楼門、拝殿、本殿等が建ち並ぶ厳かな雰囲気で、元旦や桜の時期には参拝客で賑わう。
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2007/4/19


方広寺 七尊菩薩堂 Houkouji Shichison-bosatsu-dou Shichison Bosatsudo Hall at Hokoji Temple

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 方広寺は、静岡県浜松市引佐町にある、臨済宗方広寺派の大本山である。本尊は、本尊釋迦如來、脇侍文珠菩薩、普賢菩薩の釈迦三尊とされる。
 建徳2(1371)年、井伊家の一族が、後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師を開山(初代住職)として開創した。
 七尊菩薩堂(しちそんぼさつどう)は、応永8(1401)年に建立された、県内最古の木造建造物といわれる。
 七尊の名が示すように、富士淺間大菩薩・春日大明神・伊勢大神宮・稲荷大明神・八幡大菩薩・梅宮大明神・北野天滿大自在天神の七神を合祠した鎮守堂で、間口三尺、奥行五尺の柿(こけら)葺き一間社流造りとなっている。
 方広寺の七尊菩薩堂は、鎌倉から室町初期の様式を今に伝える、優れた建築物である。
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2007/4/10


宮崎 狭野神社 Miyazaki Sano-Jinja Sano Shrine

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 宮崎の狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社である。祭神は、神日本磐余彦天皇(神武天皇、幼名・狭野尊)。霧島六所権現の一社とされている。
 孝昭天皇の御代(紀元前475〜紀元前393年)に、神武天皇の降誕の地(皇子原)に社殿が創建されたのが創祀とされる。
 その後700〜1000年の間、再三にわたる霧島山の噴火により、度々社殿等が炎上する。
 慶長一五(1610)年、現在地に社殿を造営、還座された。
 神武天皇を主祭神とする事から明治時代に宮崎神宮の別宮とされたが、第二次大戦後に独立神社となった。
 参道には、狭野杉と呼ばれる樹齢400年以上の杉並木があり、訪れる者を和ませてくれる。
 狭野神社は、神代に連なる長い歴史を持つ古社である。
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2007/3/16


兵庫 多田神社 Hyougo tada-jinjya Tada Shrine

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 多田神社は、兵庫県川西市にある神社。多田院として、国の史跡にも指定されている。
 この地は、清和天皇の皇子を祖とする皇族、清和源氏武士団の発祥の地。ここに居城を構えた源満仲により平安時代の天禄元(970)年、天台宗寺院として建立。以降、代々つづく清和源氏の霊廟として源頼光、源頼信、源頼義、源義家を祀ってきた。
 毎年4月には、「源氏まつり」が盛大に行われ、歴代の源氏武将の武者行列が町を練り歩く。
 また、境内にある樹齢千年の巨木、ムクロジは県の郷土記念物に指定されている。幹周4.2メートルもあり、県内では最大のムクロジだという。
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2007/3/13


奈良 二上山 Nara Nijyou-san Mt. Nijo

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 二上山は、奈良県葛城市加守と大阪府南河内郡太子町にまたがる、金剛山系の山である。
 金剛山地の北端にあり、古くは「ふたかみやま」と呼ばれていた。雄岳と雌岳の2つの山頂があり、北の高い方(標高517メートル)が雄岳で、少し離れた南の方(標高474メートル)が雌岳である。
 約2000万年前の大噴火によって形成されたといわれ、最後の活動時期は約1400万年前と推定されている。
 10年前から自然公園「万葉の森」として整備が進められ、梅・桜・紫陽花など四季折々の花が楽しめる。
 登山道沿いには奈良時代の石窟寺院跡や、悲劇の皇子・大津皇子墓などの史跡がある。
 二上山は、古来より神聖な山として人々から崇められてきた山であり、今でもその姿は衰える事なく、古代史に燦然と輝いている。
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桜本坊 Sakuramoto-bou Sakuramotobo Temple

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 桜本坊(さくらもとぼう)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある修験道の寺である。本尊は、役行者神変大菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像。
 創建は7世紀後半、役行者の高弟日雄角乗によるものとされる。
 名前は、ここ吉野の地で大海人の皇子(天武天皇)が、咲き誇る桜の夢を見て発願したという事からついた。
 もともとは日雄離宮といい、金峯寺屈指の塔頭寺院であった。金峯山修験本宗とは、金峯山寺と東南院、桜本坊の三寺で成り立っているものである。
 桜本坊は、明治以前では吉野で一番大きな護持院であったとされている。また、山伏文化の殿堂と言えるほど、宝物が多く残っている事で有名である。
 桜本坊は、明治期に1度廃寺となりながらも、力強く復興した長い歴史を持つ寺である。
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