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2008/9/29


姥山貝塚 Ubayama-kaiduka 

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 姥山貝塚(うばやまかいづか)は千葉県山武郡にある縄文時代中期から後期のものといわれる貝塚である。また、国の指定史跡である。
 大正一五年に東京人類学会が行った発掘調査では、一連の住居跡から、子供1体、成人女性2体、成人男性2体の計5体の家族と思われる人骨が発見されたという。また、竪穴住居址の全容が平面的に捉えられたのは日本では初めての事であったとされる。この事が姥山貝塚を全国的に有名になったとされる。
 貝塚の大きさは東西約130メートル、南北120メートルの馬蹄型(C字型)と呼ばれる貝塚である。
 発掘された土器の多くは縄文時代中期から後期にかけてのものが多く、共同墓地と思われるものも発掘されているという。
 現在、姥山貝塚は姥山貝塚公園として市民の憩いの場所ともなっている。
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2007/12/10


恵比須島 Ebisu-jima 

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 恵比須島(えびすじま)は、静岡県下田市須崎の相模灘にある、直径最長200m、面積およそ2ヘクタールの島である。
 須崎半島の西端に位置する、本土と橋で結ばれた小島で、島内には芝生広場、千畳敷の大岩盤があり、散策や磯遊びの好適地となっている。また、島の先端には、エリカの碑・若山牧水歌碑があり、海と伊豆諸島の眺望が素晴らしい。
 島全体が公園として整備されているほか、須崎恵比須島指向灯・夷子神社・夷子島遺跡などが存在している。
 島頂からは、7世紀から8世紀のものと思われる須恵器とともに、祭祀用の滑石製臼玉や手捏土器が多数発見されており、これらの遺物の出土は、当時、夷子島の島頂に於いて神を祭る儀式が営まれていたことを裏付けているという。
 恵比寿島は、エリカ、ハマユウ、ツワブキなどの植物も群生している、自然と歴史に溢れた島である。
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2007/10/9


寸沢嵐石器時代遺跡 Suwarashi-sekki-jidai-iseki 

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 寸沢嵐石器時代遺跡(すわらしせっきじだいいせき)は、神奈川県相模原市相模湖町寸沢嵐にある縄文時代後期の遺跡である。国指定の史跡とされる。
 道志川と相模川の合流点近くの山すそに存在しており、石斧、石皿などの石器や、土器などが発掘されている。
 ほぼ完全な状態で発見された、正六角形の炉を中心にして、平らな河原石を長径4・3mの楕円形の範囲に敷き並べられた「敷石住居」跡である。
 近隣には、自生のカタクリ10万株が群生している「さがみ湖カタクリの郷」があり、毎年三月中旬から四月中旬にかけて公開されている。
 寸沢嵐石器時代遺跡は、新石器時代の暮らしが伺える貴重な史跡である。
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2007/9/18


橋牟礼川遺跡 Hashimure-gawa-iseki 

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 橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)は、鹿児島県指宿市十二町にある縄文時代~平安時代にかけての遺跡である。国の史跡に指定されている。
 縄文時代は弥生時代よりも古く、縄文土器と弥生土器を使っていた人々は部族が違うのではなく、時代が違うという、今日では当たり前のような事を初めて立証した遺跡として有名である。
 先史時代のポンペイとも呼ばれ、5~6世紀の遺跡とは別に、貞観一六(874)年に開聞岳が大噴火した時の、火山灰で倒壊した建物跡や畑の跡、道の跡など、当時の集落がそのまま眠っている。
 現在、約2ヘクタールが史跡公園として整備されており、8世紀後半頃の竪穴式住居が4棟復元されている。また、貝塚や地層を見学できる展示施設も存在する。
 橋牟礼川遺跡は、古代日本を知ることが出来る貴重な遺跡である。
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2007/9/13


齋藤氏庭園 Saitou-shi-teien Saito Family Garden

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 齋藤氏庭園(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市河南町前谷地にある景勝地である。国の名勝に指定されている。
 石巻平野の北西部に位置する庭園は、近代における東北三大地主として知られる齋藤氏の第9代当主・善右衛門有成により、明治時代後期に作られた。
 本邸部分に所在する庭園は、丘陵の斜面を背にして清楽亭・無一庵などの建物を景観の中心に置き、周囲に平庭、園池を配している。
 斜面麓には宝泉窟(ほうせんくつ)と呼ばれる深い岩窟があり、ここから生じる湧泉は園池の水源ともなっている。
 また、庭園内にある宝ヶ峯縄文記念館はカヤぶきの建物で、宝ヶ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器などが展示されている。
 齋藤氏庭園は、近代の庭園のうちでも特色ある庭園として名高い、美しい場所である。
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2007/8/31


佐久島 Saku-shima 

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 佐久島(さくしま)は、愛知県の知多半島と渥美半島に囲まれた、波穏やかな三河湾のほぼ真ん中に位置する、三河湾で最も大きい島である。本土側の一色港からおよそ10キロメートルで、一色港から定期船で約20分の距離にある。
 今から2500万年前に海中で堆積した島で、人が住むようになったのは紀元前3000年頃。古墳時代後期の古墳や縄文・弥生式の土器片などが出土している。
 海を生活の場として地域の文化を橋渡ししていた海部(あまべ)族の営みが、海運業として受け継がれたため、江戸時代には繁栄した。
 島の80パーセント以上が里山で、至るところで原風景を見ることができる。冬でもめったに降雪がなく、年間平均気温は15~17度と温暖な気候である。
 
 
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2007/8/14


愛媛 龍王城跡 Ehime Ryuuou-jo-seki 

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 愛媛県喜多郡内子町五十崎にある龍王城跡は、現在、梅園としても有名な龍王公園の中にある。公園の中には模擬櫓があり、展望台となっている。
 この地からは多数の石器や土器が出現することから古くから文化が発達していたと見受けられる。
 文献によると平安時代初期に越知喜多守が砦を築き、七代目当主・益躬(ますみ)まで居城していたと言われている。
 室町時代には久保因幡守源高実が居城していた。天正の初めには城戸直宗が居城、しかし、長宗我氏の援助を受けた曾根宣高の再度の攻略で天正五年落城してしまう。
 宣高は河内駿河守吉行を城代としてこの地を統治していたが、豊臣秀吉の四国征伐のおり、小早川隆景に攻められ龍王城は廃城となった。
 現在、龍王公園は地元の人々の憩いの地となっている。
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2007/8/7


モヨロ貝塚 Moyoro-kaizuka 

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 網走市街を流れ、オホーツク海に注ぎ込む網走川の河口左岸の丘陵地帯に「モヨロ貝塚」はある。
 ここは1300年程前に、サハリンなどからオホーツク沿岸に移住してきた先住民族「オホーツク文化人」の最大の遺跡とされ、約3ヘクタールの場所に大きな五角形の住居をはじめとした27箇所の竪穴住居跡があり、国の指定史跡になっている。
 アイヌ文化以前の人々の暮らしは、オットセイやアザラシを狩猟し、それを解体、油を作るなど多くの人々がチームを編成し行っていたことが伺われる。また、骨や牙に彫った動物像、細い優雅な線文様の土器、油を入れていたオホーツク土器などが見つかっている。
 更に青銅の鈴や鐸、帯飾りなども出土され、大陸との交流もあったことが伺える。
 貝塚前に立つ丸太小屋風の建物は「モヨロ貝塚館」で、オホーツク土器や石器、動物の骨格器などや貝塚の地層断面の模型を見る事ができる。
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