NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/31


苗村神社 Namura-jinja Namura Shrine

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 苗村神社(なむらじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡竜王町綾戸にある神社である。祭神は国狭槌命(くにさずちのみこと)、大国主命、素盞嗚尊(すさのおのみこと)。
 創祀年月は不詳ながら古墳群が多く、祖霊信仰に始まる神社とされており、現在の東本殿は、地名の那牟羅と同音の長寸(なむら)と呼ばれる。
 安和二(969)年、大和国芳野金峯山の国狭槌命の神霊が、神域の西方に遷座された。この際、社殿が造営され、その社は東本殿に対して西本殿と呼ばれる。
 近隣33の村に氏子を持つ総社で、33年に1度、秋の大祭が行われる。
 境内に立ち並ぶ建築物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されているという文化財の宝庫ともいえる神社で、茅葺きの楼門や、境内の不動堂には神仏混合の名残として木造不動明王像が安置されている。
 苗村神社は、古代より長く伝わってきた伝統の神社である。
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ずいきまつり Zuiki-matsuri Zuiki Festival at Mikami Shrine

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 滋賀県野洲市にある御上神社(みかみじんじゃ)では、毎年一〇月の第二月曜日に、「ずいきまつり」という例祭が行われている。
 御上神社は三上山の西にある神社で、三上山を神体山とし、天之御影神(あめのみかげのかみ)を祀っている。深い緑に囲まれて楼門、本殿、拝殿が並んでいる。中でも七百年前に建造された本殿は、神社・仏堂・御殿の三様式が融合した「御上造」と呼ばれる大変珍しい建物で、国宝に指定されている。
 「ずいきまつり」は、主にずいき芋(里芋)の茎を使って五基の神輿を作り、それを柿の葉や野菜などで飾り付け、五穀豊穣を感謝して神社に奉納する祭りで、四百年以上の歴史を持つ。平成一七(2005)年二月に国の無形民俗文化財に指定され、伝統行事として引き継がれている。
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2008/3/7


西明寺三重塔 Saimyou-ji-Sanjuu-no-tou 

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 西明寺(さいみょうじ)三重の塔は栃木県芳賀郡益子町益子にある。
 西明寺は獨鈷山普門院(どっこさんふもんいん)西明寺と言われ、真言宗豊山派に属する寺である。
 天平九(737)年、行基の草創であり、紀有麻呂(きのありまろ)によって建立され、天平一一(739)年に落慶供養が行われたと伝えられている。
 西明寺三重塔は鎌倉時代後期に建造されたものである。
 純和風の塔であり、初重の塔身が長く、桧皮葺きの屋根が左右に大きく広がっている。
 塔内には、極彩色の装飾文様や仏画が描かれている。
 椎の木の間にある石段を登ると楼門があり、楼門の左に三重塔がある。国の重要文化財に指定されている。
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養寿寺 Youju-ji 

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 養寿寺(ようじゅじ)は、大同元(806)年に創建された大変古いお寺で、家康ゆかりの寺として知られている。境内には家康初陣の木像や、大伯母矢田姫の墓といわれる石塔がある。
 市の指定建造物になっているのが鐘楼門(しょうろうもん)。円柱4本で支えられた主屋部のまわりに角柱12本で支える裳階(もこし)をつけた重層の鐘楼門で、「かえるまた」は彫刻家・左甚五郎の作といわれている。
 三月の最終土・日曜日に開かれる釈尊涅槃会(しゃかねはんえ)は「矢田のおかげん」として親しまれ、境内には露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。「かげん」とは管弦楽のことで、今から三〇〇年以上前の飢饉の時、音楽を奏でることで安泰や繁栄を祈ったことが由来している。
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2008/2/19


御上神社 Mikami-jinja Mikami Shrine

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 三上山は滋賀県にある標高432メートルの美しい三角錐の姿で、近江富士の名で親しまれている。
 その山麓には、鍛冶、刀工の神である天之御影神(あめのみかげのかみ)が宿るとされ、近江の人々の生活を守護する地神となっている。
 御神神社(みかみじんじゃ)はこの天之御影神と三上山を御神体として祀っている。
 本殿は鎌倉時代に建立されている。方三間屋根入母屋造、白壁、連子窓などの仏堂的要素や、居所空間の要素など、神社・仏閣・殿舎の三様式が混合された「御上造」と呼ばれる大変珍しい建物である。
 入母屋造の神社建築のうちでは古い遺構の一つであり、昭和二七(1952)年に国宝に指定され、拝殿・楼門・摂社若宮本殿・木造狛犬も明治三二(1899)年に国指定の重要文化財となっている。
 毎年一〇月中旬には「ずいきまつり」が開催される。宮座と呼ばれる五つの組が里芋の茎で神輿を作り、柿・栗・野菜など秋の収穫物で飾り、五穀豊穣を祝って神社に奉納する。
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2008/1/15


一之宮 貫前神社 Ichinomiya Nukisaki-jinja 

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 上野國一之宮。延喜式神名帳では名神大社に列する。
 一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)の開基については諸説あるが、安閑天皇の元(531)年頃と言われ、一般に多胡碑(たごひ)などで知られる甘良(甘楽)の谷の帰化人集団が祀ったのが始まりと見られている。
 赤城神社から一之宮の称号を譲られたと言われ、渡来系氏族による古代上毛野國征服を表すとも伝えられる。
 もとは貫前神と抜鉾神(ぬきほこのかみ)の二社二神であったが、両社が一社と混同されるようになったので明治に入り貫前神社と名乗り、戦後の社格廃止に伴い一宮貫前神社と改称したと言われる。
 参道を上り正面の鳥居をくぐって急な石段を下ったところに社殿が有る、という特異な構えが特徴で、勅額鳥居の東隣等に神宮寺跡の石垣が残る。社域は約九万平米。総門から見下ろす朱塗りの社殿と社叢の調和には息を飲む。
 寛永一二(1635)年に徳川幕府によって造営された、本殿、拝殿、楼門は重要文化財に指定されている。
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2007/11/14


石塀小路 Ishibei-Koji 

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 石塀小路(いしべいこうじ)は、京都府京都市東山区下河原町にある道路である。
 祇園・八坂神社の西楼門を出て下河原通りを南に下がると、左手に折れる小さな路地が存在する。それが、石塀小路である。
 明治末期から大正時代にかけて形成された京情緒漂う路地による空間は、ドラマや映画によく登場する名所で、路沿いにひっそりと軒を連ねている料理旅館などを眺めながら歩くだけでも、風情を感じることができる。
 両側に並ぶ町屋の基礎部分の石垣がまるで石塀のように見え、石塀小路という名前の由来が容易に想像される。
 路に敷き詰められた石畳の一部は、昭和五〇年代に廃止された京都市電の敷石を移設したもの。
 石塀小路は、まるで小さな迷路のような、情緒と風情に溢れた石畳の小道である。
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2007/11/12


浄厳院 Jougon-in Jogonin Temple

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 天正六(1578)年、織田信長は安土城の築城に伴い、近江の守護佐々木氏の菩提所であった慈恩寺跡地に新しく寺院を建立する。
 その際、人徳を慕っていた浄厳坊(じょうごんぼう)に住む応誉明感(おうよめいかん)上人をこの地に招き、浄厳院(じょうごんいん)とした。
 天正七(1579)年五月、この寺は浄土宗と日蓮宗の教義上の論争である、安土宗論(あづちしゅうろん)の舞台となる。両者間の論争のはずが、信長の政治的意図も絡み、法華宗は敗北し以後勢力を失った。
 浄土宗が勝利を得て唱えた「かちどき念仏」は、現在もこの院で毎年一一月に奉納されている。
 重厚な本堂は近江八幡市の興隆寺から移築し、入母屋造の楼門は旧慈恩寺の楼門を使用している。
 これら二点の建造物と、木造阿弥陀如来坐像、厨子入舎利塔(ずしいりしゃりとう)、厨子入銀造阿弥陀如来立像、絹本著色山王権現像(けんぽんちゃくしょくさんのうごんげんぞう)、絹本著色阿弥陀聖衆来迎図など七点が国指定重要文化財となっている。
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