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2007/6/11


石薬師宿 Ishiyakushi-juku Ishiyakushi-juku

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 石薬師宿(いしやくしじゅく)は、東海道五十三次のうちの第四十四之次であり、宿場の名は石薬師寺の名に因むという。
 1616年頃、四日市・亀山間に宿場がなく、旅人が難儀していたため、付近の村々から人家180軒を集めて宿立てしたのが始まりとされる。
 東海道・国道一号線とは言え、宿場は道一本はずれた旧道沿いにあるため、現在はひっそりとした静けさにつつまれている。
 宿立ての中心を担う本陣を勤めた小沢家には、宿場の関連文書も残っており、大岡越前守や忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の資料も残されている。
 また近隣には「夏は来ぬ」の作詞で有名な佐佐木信綱の生家も保存されており、その南隣には立派な佐佐木信綱資料館がある。信綱の第1回文化勲章をはじめとする遺品、著書、書簡、原稿など2000点あまりが収蔵・展示されている。
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2007/3/16


讃甘神社 Sanomo-jinjya Sanomo Shrine

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 無敗の剣豪として知られる宮本武蔵。讃甘(さのも)神社は、その武蔵ゆかりの神社として有名だ。岡山県美作市の武蔵生家跡の隣に所在する。
 少年時代を宮本村(現美作市)で過ごした武蔵。厳格な父に反発したことから親子の縁を切られ、母の元(播磨の国)に身を寄せるが、連れ戻される。自らの葛藤をバネに、村人からは「悪蔵」と呼ばれるほどに暴れまわる。そんな武蔵も親友の本位田又八や、又八の婚約者、お通とだけは仲が良く、3人で讃甘神社や故郷の野山を駆け巡りながら成長したという。
 後に「二刀流」と呼ばれる剣法は、ここ讃甘神社の宮司が太鼓を打つバチさばきをヒントに編み出されたと言われている。太鼓を叩くバチは2本なのに、聞こえてくる音はひとつ。それを聞いた剣豪の心象はどのようなものだったろうか。
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兵庫 平尾家 Hyougo hirao-ke House of Hirao in Hyogo

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 宮本武蔵の生誕地には諸説あるが、美作国の宮本村(現岡山県美作市)とする説がある。
 この美作市には、武蔵の生家跡や墓、武蔵ゆかりの讃甘(さのも)神社などが立ち並ぶ「武蔵の里」がある。ここには、武蔵の姉・おぎんが嫁いだ平尾家を復元・移築した民家があり、江戸時代そのままの姿をとどめている。
 平尾家は、町内で最も大きい茅葺きの家であった。慶長五(1600)年、武蔵が17歳で武者修行に出る際、家の道具・系図・すやり・十手を姉おぎん夫婦に渡したという。その後おぎんの次男九郎兵衛景貞がここに居住し、武蔵家を相続したと伝えられている。
 平尾家は子孫が現在も住んでいる。築280年の由緒ある民家である。
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武蔵の生家跡 Musashi-no-seike-ato Musashi’s Birthplace

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 宮本武蔵の生誕地には諸説あり、史実では播磨(現兵庫県)とする説が有力だが、吉川英治著「宮本武蔵」では、美作国の宮本村(現岡山県美作市)ということになっている。
 この美作市には、武蔵の生家跡や墓、武蔵ゆかりの讃甘(さのも)神社などが立ち並ぶ「武蔵の里」がある。
 武蔵が立身出世の大志を抱き17歳で村を去るまで過ごした生家を復元した家、もともとは茅葺の大きな家だったが、昭和十七年に焼失の憂き目に合い、現在の瓦葺きの屋根になったという。再建の際には、大黒柱は以前のままの位置にとどめ、かすかに当時の様子を偲ばせている。
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2007/3/12


旧杉山家住宅 Kyuu-sugiyamake-jyuutaku Former Residence of Sugiyama Family

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 旧杉山家住宅は、大阪府富田林市富田林町に建っている重要文化財である。
 かつてこの住宅に住んでいた杉山家は、富田林寺内町の創設にも関わった旧家のひとつである。
 杉山家は江戸時代から明治時代にかけて、この住宅で造り酒屋を営んでおり、最盛期には使用人だけで70人を数えたと言う。
 建物内部はよく保存され、近世の状態をとどめている。大床の間に描かれた老松や襖絵は狩野派の絵師によるもので、昔日の繁栄が想像される。
 この住宅は現存する町家のなかで最古と考えられている。
 明治時代に活躍した明星派の歌人・石上露子の生家としても知られ、当時の書簡や遺品、解説パネルなどが展示してある。
 旧杉山家住宅は、昔の暮らしぶりを今に伝える大切な家である。
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2007/2/12


双葉の里 Futaba-no-sato Futaba's Hometown

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 不世出の横綱とは双葉山だけに許された称号である。双葉山は1939年に、前人未到の69連勝を成し遂げた。全勝優勝8回、通算優勝12回という成績を残した名横綱・双葉山定次(ふたばやまさだじ)。
 昭和の大横綱として語り継がれる横綱・双葉山の生誕の地である宇佐市には、数々の偉業を讃える「大横綱双葉山像」が建てられている。双葉の里は、この郷土出身の英雄の功績を後世に伝えるため、生家が復元され、幼い頃よく遊んだという浜辺には記念碑や相撲場が整備され、館内には、化粧まわしなどが展示され、資料の展示室となっている。また、休憩所では連勝当時の対戦映像が放映されている。オープン以来、連日多くの双葉山・相撲ファンで賑わっている。
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2007/1/30


歴史と文学の道 Rekishi-to-bungaku-no-michi The Walk of History and Literature

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 岡山県、佐伯城山の麓沿い、三の丸櫓門から養賢寺までの白壁や石畳が続く約700メートルの道。
 国土交通省の「日本の道百選」選定道の一つ。
 佐伯藩の歴史とゆかりの文学者にちなむ道であり、城下町佐伯、国木田独歩館や明治の政治家にして作家、矢野龍渓生家。県有形文化財である旧佐伯藩の城址、三の丸櫓門。美しい白壁土塀が残る佐伯武家屋敷、毛利家菩提寺である養賢寺などが並ぶ。
 中でも、国木田独歩館は文豪、国木田独歩が鶴谷学館に教師として勤めた際に弟と共に下宿した旧坂本邸を改築したもので、貴重な書籍を手に取って楽しむことも出来る。
 御米倉跡に作られた茶室、汲心亭には時折山から鹿が下りてくるといい、豊かな自然の一面も堪能できる。
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2007/1/25


夢二生家 Yumeji-seika The Birthplace of Yumeji Takehisa

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 岡山県瀬戸内市にある「夢二郷土美術館分館」には、竹久夢二が16歳まで過ごした生家を保存、公開している。多感な幼少年時代を過ごした部屋や茅葺の屋根も生前そのままの姿で見ることができる。
 大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の画家詩人竹久夢二は、明治17年、邑久町にあるこの家で生まれた。美しい山河に囲まれた恵まれた風土のこのふるさと、そしてこの生家こそ夢二芸術の原点と言える。
 ここには夢二の素描、版画などの作品も展示されており、窓の桟には嫁いだ姉を慕って落書きした跡も残っているという。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立つ。隣には、夢二自らの設計によるアトリエを復元した、「夢二少年山荘」も併設しており、夢二ファンなら一度は訪れたいスポットである。
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