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大分県大分市(旧・佐賀関町)の中心街近くにある早吸日女(はやすいひめ)神社。平安時代中期に編さんされた「延喜式神名帳」にも記載が残る古刹である。
伝説によると、創建は皇暦紀元前七(紀元前667)年。神武天皇東遷の際、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が佐賀関の関崎沖で神剣を失い困っていたのを、黒砂(いさご)・真砂(まさご)の二神が命をかけて取り返して助けた。このときの神剣をご神体として、古宮の地に天皇みずから祓戸(はらへど)の神(早吸日女神社)を奉り、建国を請い願ったのがはじまりとされる。飛鳥時代末期、大宝元(701)年に神慮により現在の地に遷座。
ここ早吸日女神社では、毎年7月に夏祭りが行われる。宝物、サザエ、アワビなどの海の幸を乗せた数台の山車と氏子50人が引く山車や神輿が町内一円を引き回す。海にまつわる伝説のあるこの神社ならではの恒例行事である。
伝説によると、創建は皇暦紀元前七(紀元前667)年。神武天皇東遷の際、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が佐賀関の関崎沖で神剣を失い困っていたのを、黒砂(いさご)・真砂(まさご)の二神が命をかけて取り返して助けた。このときの神剣をご神体として、古宮の地に天皇みずから祓戸(はらへど)の神(早吸日女神社)を奉り、建国を請い願ったのがはじまりとされる。飛鳥時代末期、大宝元(701)年に神慮により現在の地に遷座。
ここ早吸日女神社では、毎年7月に夏祭りが行われる。宝物、サザエ、アワビなどの海の幸を乗せた数台の山車と氏子50人が引く山車や神輿が町内一円を引き回す。海にまつわる伝説のあるこの神社ならではの恒例行事である。
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