NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/19


高野純一 Takano Junichi Junichi Takano

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 創業、天保元(1830)年の「白木屋中村伝兵衛商店」の七代目中村悟氏を支えて店長を務める。
 江戸の京橋を流れていた京橋川。
 高速道路となったその河岸は昔「竹河岸」といい一日5、6万本の竹が水揚げされ、あらゆる生活品の材料が集まる場所であった。
 白木屋は初代藤兵衛が竹とホウキモロコシを使って箒を作り始めて以来、ずっと変わらずこの地で「江戸箒」を作りつづけている。
 高野氏と箒とのきっかけは、配達のアルバイトであった。初めて触れた江戸箒の「用の美」そして職人高木清一氏の仕事。それに惚れ込み、今では店を担っていく重要な人材となっている。
 「箒」には、使い捨ての関係にはない時間の流れがある。職人は使う場面を追求して箒に軽さとコシと柔らかさを実現させ、使い手は家を清める道具として畳から外へと順に下ろしながら箒と相棒になっていく。人と道具との関係性が、職人から使い手に受け継がれ、育まれていくのだ。
 材料、技、人。作り手として人と道具の関係を次世代に繋ぐため、ひとつひとつ行動し続けている。
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2007/1/28


西京橋 Saikyou-basi The Saikyo Bridge

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 大分県中津市山国町中摩には、西京橋(さいきょうばし)と呼ばれる、橋梁となっている自然物がある。長い年月をかけて岩肌の風化が進み、岩石に大きな穴があき、ちょうど石橋のように見えるという奇岩であり、自然の偶然の神業とも言うべき景観地である。
 西京橋は、別名仙人梁とか仙人岩、天の岩戸などとも呼ばれている。その正体は、巨大な竜が横たわっているような怪奇漂う天然岩である。
 入り口1mほどの洞があり、それが天の岩戸の名の由縁である。中に入ると高さ奥行き共に約2.5mほどの空洞で、かつて修験者が使っていたものかとも思える。
 大自然と悠久の時が作り上げた「天然岩の橋」。
 人の時の流れと地球の時の流れの圧倒的な差を突きつけられる場所である。
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2007/1/18


夢京橋 Yumekyo-bashi Yumekyobashi Castle Road

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 滋賀県の彦根城の堀端から旧中濠にかかる京橋まで、まっすぐ広がる通りがある。
 城下町の伝統を継承した黒い格子窓、袖壁、白壁、軒庇が続く町並み。景観を大切にしつつ、暮らしの見え隠れする古くて新しい町、
OLD NEW TOWN
 「夢京橋キャッスルロード」。
 この通りが位置する彦根市本町は、1603年、彦根城 築城とともに城下町の町割りが始められたという歴史のある町で、道路幅6メートルの町並みは、当時の風情を残しながら現代に至る。
 1985年、都市計画道路本町線の街路整備を実施する事になり、住民主導のまちづくりで歴史と伝統を活かし、新しい時代にマッチした城下町づくりが行われた。1999年にすべての整備が終わり、「夢京橋キャッスルロード」として生まれ変わった。
 歩道には彦根かるたをデザインしたレリーフが刻まれているので、一つ一つ見ながら歩くのも趣がある。
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