NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/15


座布団 Zabuton 

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 座布団(ざぶとん)は、床や畳の上に座る際に体の下に敷く調度品のことである。
 厚さ数cm程、一辺数十cm程でほぼ正方形をしており、基本的には、その上に座る事で体温が床面より奪われるのを防ぐために用いられ、いわゆるクッションとしての役目は本来、担っていない。
 鎌倉時代ごろに生み出され、当時は小さな正方形の薄畳の周辺を飾り布で覆った物であった。
 その後、様々な改良が施され、江戸時代中期には現在のように布の袋に綿などの緩衝材を入れる形となって庶民にも広く普及したとされ、板の間や畳敷きが多く、そこに直接座る文化を持つ日本独特のものともいえる。
 大きさによって茶席判や木綿判、銘仙判、八端判、緞子判、夫婦判など様々な種類があり、一般に最も広く流通しているのは銘仙判と八端判といわれている。
 生み出されてから長い歴史を持ち、その作法なども細々あるものではあるが、座る者に快適さとくつろぎを与えてくれる、まさに縁の下の力持ちである。
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2007/10/15


【仁】 Nin,Jin Humaneness, Benevolence

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 昔から、中国・越南(現在のベトナム)・韓国・日本などに、広く伝わる東洋思想の代表的な倫理概念です。それは孔子の教えや儒教が広がったからです。この字がまったくの抽象的な概念になる前の経緯が気になります。確かに孔子の時代にはすでに漢字の原点についての詳しい知識が失われていたので、そういう意味では操作・利用しやすい字でもありました。
 「にんべんと二という数字の組み合わせではないか」という俗説がよく聞かれます。「二人の間」から「人間の間の倫理」という意味にまで抽象化され、仁義礼智信という儒教の根本概念の一つになったという説があります。確かに、旧字体はにんべんですが、右の部分の解釈が大事になってきます。
 実は漢字の中に数字がそのままの意味で要素として表現されることはありません。旧字体でない常用漢字の字形に見えても、抽象的なものが漢字の中の要素として表現されるという考えは俗説の特徴です。
 例えば、「悟」に出てくる「五」の部分も数字とは関係がなく、その下の「口」が表す祝詞の器をしっかりと閉めている木製の二重蓋を表しています。また人間二人を示すのには「比」という字などがほかにあります。
 基本的に漢字に出てくる要素は人・物です。古代社会にあったものですから、にんべんの形は人間が座ろうとする時の姿、そして右の部分はその敷物だと考えられます。東洋なので、椅子ではなく、敷物・古代の座布団のようなものです。そのことから仁という抽象倫理概念までのちょっと違う道筋があきらかになります。つまり人に敷物をすすめるという心です。
 まさにホスピタリティー、お客さん・たずねびとへの配慮のような心構えではないでしょうか。本来はそういう温かい気持ちをあらわす概念なのです。
 
■ 仁・金文(きんぶん)
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2007/3/7


円座石 Warouda-ishi 

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 円座石(わろうだいし)は熊野古道、大雲取越えの終着点、熊野川町小口手前に位置する巨石である。
 大雲取越えは全長16キロの西国三十三所観音巡礼の参道であり、熊野川町小口から1キロほど戻った場所に安置された苔むした巨石が円座石である。
 円座とは円形の座布団のことであり、この石の上で熊野三山の神々が座して談笑し、茶を楽しんだという伝説に由来する。
 表面には3文字の梵字が刻まれ、それぞれが熊野三山の阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を指す。
 峻厳な参道の難所で、参拝する人々を見守り続けた緑の巨石は、往古より変わることの無い姿で今も佇んでいる。
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2007/1/29


犬飼石仏 Inukai-sekibutsu Inukai Giant Buddha Rock Carving

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 大分県豊後大野市、渡無瀬にある磨崖仏。
 日羅による作とされるが鎌倉以前の特徴を有することから、平安時代の作とも言われる。
 堂中央に結跏趺坐した不動明王(3・7メートル)を主尊とし、右に制咤迦(せいたか)童子(173センチ)、左に矜羯羅(こんがら)童子(170センチ)を脇侍とする。
 わずかに朱の顔料が残る顔は温厚であり、両足の裏を見せて座る姿を持つ珍しい石仏。昭和九(1934)年、国の史跡に指定されている。
 石仏の上方の岸壁には「龍傳山(りゅうでんざん)」の三大朱文と「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」の八大文字が刻まれ、厚い大師信仰が偲ばれる。
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2007/1/18


雪見船 Yukimisen Snow-Appreciation Ship

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 滋賀県の琵琶湖で早春の風物詩「長浜盆梅展」の開催とともに、南側の大津港と北側の長浜港を運航する高速船「リオ・グランデ」は、3月上旬(琵琶湖開きの前日)まで琵琶湖の冬景色を楽しむ「雪見船」として運航されている。
 この「リオ・グランデ」は、1980年5月5日に、滋賀県とブラジルのリオ・グランデ・ド・スール州が、琵琶湖とパットス湖という湖がとりもった縁で姉妹県州協定を結んだ事と、大きな川という意味のリオ・グランデをとって命名された。
 暖かい船内は、1階と2階それぞれに2〜8人掛けの席があり、ゆったり座る事が出来る。雪化粧した湖国の冬景色を楽しみながら、名所案内や琵琶湖の魚、鳥、歴史、名産などの説明が放送されるので、勉強にもなる。
 途中、幾つかの港に寄港しながら、片道2時間程かけて運航されているので、湖国の宿でゆっくり過したり、催し物に出掛けたり出来る。
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2006/11/29


子規堂 Siki-dou Shiki-do

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 子規堂は愛媛県松山市にある、松山出身の俳聖正岡子規にちなむ観光施設である。子規が17歳まで過ごした生家の一部である8畳の書院を正宗寺の境内に復元したものだ。
 内部には子規の子ども時代の勉強部屋を再現したコーナーがあり、彼が愛用した簡素な文机や座布団、筆などが当時の面影そのままに陳列されている。また、遺墨、写真、文献などの貴重な資料が数多く展示されており、文学資料館の役割も果たす。
 境内には高浜虚子、内藤鳴雪ゆかりの碑、漱石が小説の中で「マッチ箱のような汽車」と称した通称「坊ちゃん列車」の客車などもあり、俳都松山独特の情緒ある雰囲気に浸ることができる。
 子規堂は、昭和23年に愛媛県指定の史跡に認定された。
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2006/11/27


床の間 Toko-no-ma Tokonoma (alcove room)

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  床の間とは、和室の客間の上座に位置する、掛け軸を掛けたり花を飾る場所のことを指す。
 床の間は、日本人の心遣いが表れている場所。もともとは偉い人の部屋で偉い人が畳の面より一段高くなった場所に座るという権威の象徴だったが、時代の流れとともに客人をもてなす場所の象徴へと変化していったのである。江戸時代には、庶民が床の間をつくるのは贅沢だとして規制されていたが、明治時代以降になると客間に床の間をつくるのが一般的になった。現在では掛け軸を掛ける風習も廃れ、畳の部屋でも床の間を省略することも多い。
 しかし、昨今ではデザイナーズマンションなどで部屋の一角に和室の空間が設けられることが増えており、また一部のインテリアグッズの店では、「床の間セット」が人気とか。「和」の心は時代を超えて人々の心を捉えてやまない。
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