NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/12


徳利 Tokkuri 

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 徳利(とっくり)とは、酒など液状のものを入れる陶製・金属製のもので、口の細い容器である。酒のほか醤油・酢・油などを運搬する際に使われたり、保存容器としての役割を果たしていた。
 名称は、注ぐときに「トクトクトク」「トックリトックリ」と聞こえる事が、由来といわれる中でも有名な説である。
 かつては、酒屋から酒を買ってくる時に、一升(いっしょう)以上入る大きな「通い徳利」というものを借りて使用していた。
 貸し出し主である酒屋の屋号・地名・商標などが筆太で書かれている徳利を渡し、中身がなくなったら店に入れに来るという販売方法である。
 しかし、第二次大戦中に酒の計り売りが禁止された為、主に日本酒を温めて飲む「燗徳利(かんとっくり)」として用いるようになった。
 各地の陶器によって色や形・特徴なども異なり、重みのある形やシンプルなもの、色鮮やかなものまで様々な徳利が酒を引き立てる。
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2007/12/20


土舟 Dobune 

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 土舟(どぶね)は、新潟県にて使用された、農民の道具である。
 新潟平野の、現在のJR新潟駅や周辺の繁華街まで含む亀田郷一帯、東西11km、南北10km、約1万ヘクタールは、かつて湖であった。
 しかし、この水郷地帯はなけなしの農地でもあったが為に、農民は、その肩まで沈む農地を少しでも高くするため、毎年、川の底から舟でわずかな土をさらってきては、自分の農地に撒き続けた。
 その運搬手段が、土舟である。
 かつては、収穫を終えた晩秋から雪が積もり始めるまでの、農家総出の重労働であったという。
 新潟平野は、現在でも海抜ゼロmであり、農業排水施設で24時間排水を行う事により水没を免れている。
 土舟は、新潟平野において湖の水を埋めるための土を載せて運ぶ「どぶね農業」の為に使われた、農民の舟である。
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2007/11/29


かるい Karui Karui Bamboo Basket

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 「かるい」とは宮崎県で作られる竹で編んだ背負籠のことである。宮崎県では古くから農作業時の運搬用具として、穀物や椎茸、肥料などを運ぶために利用されていた。
 材料は日本各地で自生する真竹が使用され、胴部は六ツ目編みで編まれ、縁の部分は増巻縁(ますまきぶち)仕上げがほどこされている。また、編み紐には藁が使われている。「かるい」は自然の産物で作られた生活用具である。
 底の形は安定しない三角状になっている。これは、平地では安定せず不便であるが、急斜面ではこの形の方が安定する。山深い地域ならではの生活の知恵である。
 現在では籠としてだけでなく、花器、状差し、新聞受けなどのインテリアとしても利用され、愛好家の多い工芸品である。
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2007/6/18


宿場 Shukuba Shukuba

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 宿場(しゅくば)は、江戸時代に存在した街道での駅逓(えきてい)事務を行うために設置された町場である。
 徳川家康によって関が原の戦い以降に整備され始め、東海道、中山道と整備されていき、最終的には甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道や脇往還が設定された。
 宿場の重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷や手紙等を、次の宿場まで運搬するという業務があった。そのため本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心なっていた。
 しかし、それら公用の労役・業務について、利益を上げることは困難であっため、幕府は地子免除・各種給米の支給・拝借金貸与等の特典を設け、宿場の保護育成につとめた。
 明治以降には鉄道等の交通事情の変化によって、通行する人も少なったため、徐々に衰退していくこととなる。
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2007/4/23


供養田植 Kuyoutaue 

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 広島県神石(じんせき)郡神石高原町下豊松では、昔から様々な神事が盛んだった。なかでも牛馬の神様、「大仙(だいせん)様」は人々の篤い信仰の対象となっていた。戦後間もないころまで、牛は農耕の「トラクター」の働きをしたり、材木や俵物など重い貨物の運搬用として、人々にとって大切な存在だったのである。
 下豊松の「供養田植え」は、「大仙供養田植え」とも呼ばれ、この大仙様をお迎えして、牛馬の供養と五穀豊穣を祈る盛大な祭り。
 祭りは代掻き牛と「早乙女さん」と呼ばれる女衆が花宿に集まることから始まる。まず「大仙様」をお羽車に乗せて田に入り、早乙女さんの手踊りが続く。そして牛が供養棚の下をくぐりながら神の清めを受けて代を掻き(田植えができるように田んぼを掻き回す)、大太鼓の音に合わせて早乙女さんが田植えを行い、祭りはクライマックスを迎える。
 「供養田植え」は昭和四一年に県の無形民族文化財に指定された。
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2007/1/18


赤べこ Akabeko Red Beko

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 福島県会津若松市などに伝わる代表的な郷土玩具に、赤べこ(あかべこ)がある。
 東北地方の方言で「べこ」は、牛を表すので、赤色の牛という意味になる。体の赤い色は、魔除けの効果があると云われ、縁起物として親しまれている。
 1200年程前の807年に、会津柳津の圓蔵寺で徳一大使によって福満虚空蔵尊が建立された。その際、只見川などの上流の村から大量の材木が寄進され運ばれた。しかし、只見川は特に水量が豊富だった為、かなり難しい作業になってしまった。すると、どこからともなく牛の群れがやってきて、材木の運搬を手伝ってくれたという。重労働で多くの牛が倒れていく中で、最後まで働き通したのが赤色の牛だったと云われている。その赤色の牛にあやかり、昔から子供の誕生には壮健を祈り、また疫病除けとして贈られる様になった。
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