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2008/2/7


茶室 Chashitsu 

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 茶室(ちゃしつ)の歴史は室町幕府の八代将軍・足利義政が、京都大徳寺の一休禅師の門下、村田珠光(むらたしゅこう)と能阿弥(のうあみ)とその子芸阿弥(げいあみ)孫の相阿弥(そうあみ)の四人とともにそれまでとは違う、茶会の作法を編み出した時にはじまる。四人は広い座敷の中に一丈(十尺四方)の屏風で囲み、茶の道具である台子を前に行う台子手前で茶礼を行った。これが茶室のはじまりである。
 村田珠光の時代は書院風茶室であったが、武野紹鴎(たけの じょうおう)の時代には四畳半の茶室がつくられた。その後、千利休の時代になると屋根の形は入母屋から切妻へと変わり、壁も土壁、格子も細竹の連子と草庵の茶室に変わっていき、さらに、三畳から一畳半の広さで行う侘茶の作法と変わっていった。
 その後江戸時代にかけて活躍した古田織部(ふるたおりべ)が床の間をもつ四畳半台目の席を考案し、徳川将軍家の茶道指南役であった小堀遠州が完成させた。
 茶室とは日本文化が作り出した美と意識の交差する空間である
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2007/11/9


津和野 森鴎外旧宅 Tuwano Moriougai-kyuutaku 

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 津和野の森鴎外旧宅(もりおうがいきゅうたく)は、島根県鹿足郡津和野町町田にある建築物である。国の史跡に指定されている。
 文久二(1862)年、森鴎外こと森林太郎はこの家で生まれ、明治五(1872)年に一〇歳で上京するまでここで過ごした。
 森鴎外は、明治から大正時代に活躍した文学者で、軍医総監陸軍省医務局長、帝室博物館総長兼図書頭などを務めながら、小説「舞姫」や「雁」といった作品を発表した。
 旧宅は、木造平屋建て、瓦葺きの簡素な造りで、四畳半の鴎外の勉強部屋や、藩医の家らしく調剤室も残っている。
 また、隣接して森鴎外記念館が開館しており、鴎外の生涯と功績を顕彰している。
 森鴎外旧宅は、文豪の少年時代を暮らしぶりが伺える史跡である。
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