NIPPON Kichi - 日本吉

記事数9件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/4/3


小烏丸 Kogarasumaru 

Jp

 小烏丸(こがらすまる)とは、天皇家の宝刀である。
 ある日、桓武天皇の元に伊勢神宮からの使いであると、一羽の大きな烏(からす)が舞い降り大刀を授けられた、との伝説からこの名が付けられたと言われる。
 この刀を打ったのは天宝時代の大和の刀鍛冶、天国(あまくに)であるとされている。
 平安時代末期、平貞盛が平将門・藤原純友らの起こした反乱、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を鎮圧する際に、天皇よりこの刀を拝領、以後、平家一門の家宝となっていたが、壇ノ浦の戦いで一度行方不明となる。しかし、江戸時代に入り小烏丸の所在がわかり、現在では皇室御物として保管されている。
 刀剣としての特徴は、刀身の先端から半分以上が両刃となり、斬ることよりも突くことに適した刀で、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)または小烏造と呼ばれている。ミステリーの多い、神秘的な刀である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/24


黒貫寺 Kuronuki-dera 

Jp

 黒貫寺(くろぬきでら)は宮崎県西都市にある寺である、正式名称は真言宗智山派黒貫寺。
 天慶九(946)年に真言宗の名僧である隆元によって建立された。また遡って、クマソ征伐の折にはヤマトタケルと景行天皇が訪れ、滞在した場所といわれる。
 南北朝時代に伊豆から現地に赴いた伊東氏 が都於郡(とのこおり)を治めていた時代には日向第一の寺院として栄え、その後も島津家の加護を受け江戸時代まで隆盛を誇っていた。
 境内の観音堂には大日如来坐像、聖観音坐像、薬師如来立像の三体が祀られている。明治七(1874)年に火災によって山門を残しすべて焼失し、現在残る観音堂は末寺である久峰(ひさみね)寺の観音堂を移築したものである。また、佐土原町西上那珂の平等寺にあった木造の仁王像がある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/11


青梅 天寧寺 Oume Tennei-ji 

Jp

 青梅市根ヶ布の天寧寺(てんねいじ)は、曹洞宗の寺院で、北陸の永平寺にならった回廊式の伽藍配置である。
 天慶年間(938~946)平将門によって開創された。後に兵火にあい、堂宇は焼失、廃寺となり、その後青梅周辺を治めていた勝沼城主・三田氏宗が、文亀年間(1501~1504)に開基した。江戸時代に入ると、末寺三七を数える大きな寺へと成長した。
 山門は宝暦九(1759)年の建築で、左右には二天像の多聞天と増長天の像がある。
 その山門を入って左側にある鐘楼の鐘は、大永元(1521)年、氏宗の子である政定が奉納した大梵鐘で、三田氏の貴重な金石文とされ、国の重要美術品として知られる。
 本堂は宝永四(1707)年に造られたもので、中央に祀ってある木造の釈迦如来坐像は、青梅市指定の有形文化財となっている。
 また、本堂の裏側には霞ヶ池があり、かわせみなどの楽園として知られる。この池が源となり霞川が始まり、入間川、荒川、そして東京湾に注がれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/22


成田山新勝寺 三重塔 Narita-san-shinshou-ji Sanjuu-no-tou 

Jp

 真言宗智山派の大本山である成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、天慶三(940)年に寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)によって開山された。
 不動明王をご本尊とし、全国より年間千三百万人の参詣者で賑わう。お不動さまは、真言密教の根本仏である大日如来の化身である。江戸期から「成田のお不動様」とよばれ親しまれてきた。
 三重塔は高さ二五メートルあり、正徳二(1712)年に竣工したもので、大工棟梁は桜井瀬左衛門であった。屋根は銅板葺で、柱などの軸部材に種々の地紋彫りを施している。
 また、軒下の組物から斜め下方に突き出ている構造材の尾垂木(おだるき)の頭が、通常と違い龍に変身している。唐様といっても、軒高には垂木を使用する代わりに、雲海模様の極彩色彫刻を見せる装飾豊かな板軒なのである。幾重もの雲海を泳ぎ回る数多の龍神様の姿は圧巻である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/2


宮城 祇園八坂神社 Miyagi Gion-yasaka-jinja Gion Yasaka Shrine in Miyagi

Jp En

 祇園八坂神社(ぎおんやさかじんじゃ)は、宮城県大崎市にある、「祇園さま」の名で広く親しまれている由緒ある神社だ。
 その創建は不詳であるが、延暦二三(804)年、坂上田村麻呂の勧請によるものだと伝えられる。
 その後は荒廃するにまかせていたのを天慶三(940)年、平将門を討った藤原秀郷が奥州鎮守府将軍に任ぜられた際に再建されることとなる。
 しかし、再び戦火により社殿などが焼失、慶長五(1601)年に伊達政宗公により、ようやく社殿が再建されることとなった。
 かつては現在の大崎市にあたる志田群の総鎮守として崇められ、藩政後も日本三祇園一之宮として、歴代の藩主から篤く崇敬されていくこととなる。
 例大祭が毎年の七月に行われ、神輿渡御行列や大名行列などが催され、今も多くの参詣者が訪れる。
 歴史の荒波に翻弄されてきたこの神社も、今は拝殿の天井に花鳥画が描かれ、訪れる人に華麗な歴史の一幕を見せてくれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/20


成田不動尊 Narita-fudouson 

Jp

 成田不動尊は、千葉県成田市成田にある真言宗智山派の大本山・成田山新勝寺の別名である。本尊は、不動明王とされる。
 天慶3(940)年、寛朝大僧正によって弘法大師が敬刻開眼した不動明王を奉持し、東国鎮護の霊場として開山した。
 江戸時代には、歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して成田屋を名乗り、不動明王が登場する芝居を打つなどして、成田不動は庶民から厚く信仰された。
 真言宗智山派関東三本山のひとつであり、関東三大不動のひとつとされ、日本各地に別院がある。
 22万平方mの広大な境内には額堂や光明堂、釈迦堂、仁王門、三重塔が点在する。現在の大本堂をはじめ、見所は多い。
 成田不動尊は、人々に親しまれ、年間1000万人もの参拝者が訪れる名刹である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/19


浜名惣社神明宮本殿 Hamana-sousya-shinmeiguu-honden Honden at Hamana Shosha Shinmeigu Shrine

Jp En

 浜名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)は、静岡県浜松市三ケ日町にある神社である。祭神は、天照皇大御神とされる。
 創始年代は不明である。元は、浜名県主(はまなあがたぬし)が、その祖神・太田命を祀ったものであった。
 天慶3(940)年、近辺が伊勢神宮領となり、祭神が太田命から天照大神に替わったが、太田命は現在も境内摂社に祀られている。
 本殿は、伊勢神宮や熱田神宮の元来の社殿と同じ、井籠(せいろう)造神倉と呼ばれる古い形式の板倉造りで、浜名神戸の貢物を保管する倉であった。
 茅葺の社殿は鳥避けの網が掛けられており、社殿の屋根には緑青の出た銅の三巴紋も付いている。
 平成5(1993)年、国指定の重要文化財となる。
 浜名惣社神明宮の本殿は、大変珍しい貴重な建築物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/12/18


雷門 Kaminari-mon Kaminari-mon Gate

Jp En

 「浅草の顔」として有名な雷門は、日本最古の寺院である浅草寺(せんそうじ)の総門。雷門は通称で、正式名称は「風雷神門」。その名のごとく、門の右側に風神像、左側に雷神像が安置されている。二神は、古来より五穀豊穣を司る神として崇められてきた。
 最初の門が建てられたのは天慶五(942)年。その後、火災による焼失、再建が繰り返されたが、慶応元(1865)年から95年間、門は不在であった。和風建築物をコンクリートで造る技術が活かされ、昭和三五(1960)年に鉄筋コンクリート造りで再建された。 
 建物の様式は、本瓦葺の切り妻造り。門の間口は六間半(11.8メートル)奥行き三間(5.4メートル)。中央に吊り下がる大堤灯は、高さ4メートル、直径3.4メートル、重さ670キロ。
 朱色の門、左右に奉られた神、不自然なほど大きな提灯。わび・さびとは異なる、この組み合わせは世界に類のない日本の文化といえよう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数9件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5445
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter