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2008/3/11


東大寺 二月堂 Toudaiji Nigatsudou Todai-ji Temple Nigatsu-do

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 東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)は、奈良県奈良市の東大寺境内にあり、同寺法華堂のすぐ北に位置するお堂である。
 その歴史的価値の高さから平成一七(2005)年には国宝に指定されている。
 正式には、東大寺「観音堂」と称し、毎年の旧暦二月に修二会(しゅにえ)という法要が行われることから二月堂の名がついた。
 建立は天平勝宝四(752)年で、修二会も同じ年から始まって、以来、一度も途絶えることなく続けられている。
 寛文七(1667)年に修二会の一行事である「お松明」の火により焼失するも二年後に再建され、現在に至っている。
 本尊は大観音(おおがんのん)と小観音(こがんのん)の二体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏となっている。
 お堂が放つ、そのどっしりとした落ち着きある佇まいは、同時に千二百有余年の歴史の重みも、見るものに感じさせてくれる。
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2008/2/18


滋賀 願成寺 Shiga Ganjou-ji Ganjoji Temple

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 滋賀の願成寺(がんじょうじ)は、滋賀県蒲生郡蒲生町川合にある曹洞宗の寺である。本尊は聖観世音菩薩像。蒲生観音霊場第26番、釈迦三十二禅刹第9番、近江湖東名刹二十七ヶ所霊場第24番札所とされる。
 聖徳太子の発願によって仏法興隆、諸国安泰のため全国46ケ所に建立された願成就寺の1つであり、本尊は33年に1度の開扉とされる秘仏で、聖徳太子の母の面彰を写し刻まれたと言われている。
 もとは天台宗であったが、寛永二(1625)年、三栄本秀禅師によって中興され、曹洞宗に改宗した。
 昔この寺にいた美しい尼僧を慕い、姿を変えて毎日通った人魚のミイラと伝えられているものが観音堂に保存されている。また、本堂には中世の石造遺品が数多く残っている。
 滋賀の願成寺は、古式ゆかしい聖徳太子ゆかりの寺院である。
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2008/2/8


壬生寺 Mibu-dera 

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 京都府京都市中京区にある寺。
 奈良時代の創建と伝えられ、正暦二(991)年、大津にある三井寺(園城寺)の僧・快賢が再興して「小三井寺」と呼ばれた古刹である。中世には円覚上人が寺を再興し壬生狂言(壬生大念仏狂言)を興した。壬生寺は京都三大狂言の一つである壬生狂言を伝える寺として、今も京の庶民に親しまれている。また幕末には、新撰組がこの寺を「兵法鍛錬場」として使用したことから、新撰組のゆかりの寺としても有名である。境内の壬生塚には、近藤勇の銅像や隊士の供養搭などが残っている。
 壬生狂言が演じられる「大念佛堂」、秘仏である辧財天が祀られている「弁天堂」をはじめ、五仏錫杖頭(ごぶつしゃくじょうとう)(重要文化財)や列仙図屏風(れっせんずびょうぶ)(長谷川等伯筆・重要文化財)などや、室町時代の作を含む190点もの狂言の面を今に伝えている。
 今も、壬生の地の人々の中にある寺である。
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2007/12/21


福林寺 Fukurin-ji Fukurinji Temple

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 琵琶湖の南半分あたりに東西に点在する湖国十一面観音霊場。守山市の外れ、琵琶湖大橋の東にひっそりと建つ福林寺(ふくりんじ)は、湖国十一面観音霊場の第四番で、平安時代初期に天台宗を開いた最澄(さいちょう)の開基と伝えられている。
 藤原時代のものと伝えられる本尊の十一面観音立像は、高さ1・8メートル、人の背丈ほど。木造彩色、秘仏である。月光を光背として五色の蓮華台座に立ち、豊かな頬にまろやかな肩、胸部、衣の線が実に美しく、ふくよかですらりとした容姿はまるで天平時代の貴人にも喩えられ、国の重要文化財になっている。
 また境内右側には、鎌倉時代の初めの武将、佐々木高綱が納めたという石造宝塔が二基あり、こちらも国の重要文化財となっている。双方ともに、四面に格狭間(こうはさま)があり、一面にだけ刻まれた仏像の痕跡と上部が失われた宝塔の相輪が、800年もの時を語ってくれる。この塔は、この地の出である高綱の納経塔と伝えられている。
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2007/12/14


泰平寺 Taihei-ji 

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 鹿児島県薩摩川内市にある泰平寺(たいへいじ)は和銅元(708)年、元明天皇の勅願寺として天下泰平を祈願して創建された。当初から七堂と堀を備える大伽藍であった。
 戦国期には豊臣秀吉の九州平定時の本陣となり、秀吉と島津氏の和睦会の場となる。その際住持である宥印法印(ゆういんほういん)が和睦の斡旋に尽力したという。現在も宥印法印の墓石の横に記念の和睦石が残っている。 
 泰平寺を舞台とした民話「塩大黒」も残っている。この地方で塩が手に入らなかった頃、お坊さんが大黒天像に愚痴をこぼすと、大黒天像が本堂から消え甑島(こしきじま)から塩をどっさり持ってきたという話だ。
 寺は明治の廃仏毀釈にて取り壊され、大正時代に再建された。創建当初からの秘仏、薬師寺如来は行方不明となるが、大黒天像は難を逃れる事ができた。大黒天像は黒く煤けた木製の立像で、愛嬌のある柔和な笑みを浮かべている。
 平成二〇(2008)年は創建一三〇〇年にあたり、記念大法要が執行される。
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2007/10/1


遍照院 Henjou-in Henjoin Temple

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 遍照院(へんじょういん)は愛知県知立市弘法町にある真言宗の寺院である。
 弘仁年間(810~824)布教のため関東地方を訪れた空海(弘法大師)が建立した寺である。
 ご本尊は、空海自身が刻んだ自身の三体の座像である。本尊の一体は別れを惜しみ、やや右に振り返るようなしぐさなので、見返弘法大師と呼ばれ親しまれている。
 山門をくぐると鐘楼堂があり、その背後に本堂がひかえる、かなり大きな寺である。本堂の地下では暗闇の中で仏の道を修行することが出来る、戒壇めぐりが体験できる。
 弘法大師の本尊は秘仏とされており、大師の命日である旧暦の三月二一日にのみご開帳されている。また、毎月の命日には市が開かれ、知立駅より境内まで多くの露店が立ち並び、人々でにぎわう。
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平勝寺 Heishou-ji Heishoji Temple

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 平勝寺(へいしょうじ)は愛知県東加茂郡足助町綾渡奥にある曹洞宗の寺院である。
 元和元(1616)年に書かれた「略縁起」では聖徳太子が開いた寺と記されており、その当時は檀独山大悲密院と称され、天台宗の寺院であった。
 その後、後醍醐天皇の第三皇子である平勝親王が、戦勝祈願のためこの寺を訪れ、その後、平勝寺と呼ばれるようになった。
 寺に安置されている木造観音菩薩坐像は平治元(1159)年に造られたものである。像は桧の寄木造で、胎内には墨書銘が残されており、国の重要文化財に指定されている。
 一七年に一回のご開帳という秘仏である。
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2007/9/27


宮城 岩蔵寺 Miyagi Ganzou-ji 

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 宮城の岩蔵寺(がんぞうじ)は、宮城県岩沼市志賀薬師にある天台宗の寺院である。本尊は、薬師如来像。
 貞観二(860)年、慈覚大師円仁が近江国志賀から薬師如来を移して開基したと伝えられる。
 境内の薬師堂に安置されている薬師如来は、大師自らが刻んだといわれる本尊の秘仏で、現在は開かずの厨子に納められている。
 脇侍に日光・月光の両菩薩を安置しており、平安後期の丈六阿弥陀如来像、運慶作といわれる十二神将、法眼となった狩野派の絵師による作とされる絵馬など、多くの像や寺宝を保持している。
 木立に囲まれた境内は素朴な味わいがあり、付近の人々の厚い信仰をうけている。
 宮城の岩蔵寺は、歴史ある古刹である。
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