NIPPON Kichi - 日本吉

記事数8件: 1~8 件表示          

2008/3/25


注連飾り(島根、山口) Shimekazari(Shimane,Yamaguchi) Shimekazari (Shimane, Yamaguchi)

Jp En

 中国地方の一部の注連飾り(しめかざり)には、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、赤唐辛子が飾られているものがある。
 唐辛子は、古来より世界の各地で「魔除け」として用いられることが多い。玄関に吊るすことで邪気の侵入を防ぐと言われている。
 棘のある植物や香りの強いものは悪鬼を祓うと言われ、節分の日に柊の枝と鰯の頭を門戸に挿す習慣と通じるのかもしれない。
 また、紙垂を飾ることには外からの災いや厄を吸収させるという意味もある。
 「注連・シメ」は「占める」の意味で、注連縄は疫病などの不浄なものの侵入を封じ、神などがいる「結界」を示し、また、幸せなどを外へ逃がさないようにする印として張られる。
 こうした注連縄の役目は、注連飾りのもとになっているといわれる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/29


ちょいのちょい Cyoi-no-cyoi 

Jp

 ちょいのちょいは、鹿児島県指宿市小牧地方に伝わる民俗芸能である。
 第一七代島津家藩主・島津義弘(1535~1619)が、朝鮮出兵する際の凱旋祝いとして唄い踊られたとか、朝鮮出兵後、帰国祝いとして始めたと伝えられ、今でも祝い事やイベントの時に踊られている。
 唄は、戦国時代の武士の唄らしく、勇ましくて男らしい曲調が感じられる内容である。
 踊りは、色物の着付に鉢巻・たすき・手甲・足絆・足袋・草鞋・刀・扇子の派手な出で立ちで、太鼓や鉦をならしながら、2人1組となって踊る。
 棒踊のように打ち合わず、二人一組で身ぶり・手ぶりを交えて踊るのが特色とされる。
 ちょいのちょいは、いかにも戦国時代から伝わるものらしい、勇壮な郷土芸能である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/24


旧正凧揚げ大会 Kyuushou-takoage-taikai 

Jp

 毎年二月一一日に行なわれている土佐・野市町の「旧正凧揚げ大会(きゅうしょうたこあげたいかい)」は、その凧の大きさで有名である。
 実際に揚げられる凧は45cm程度のものから様々あるが、圧巻は何と言っても百畳はある土佐の大凧である。重量270kg、胴の長さが16・5mにもなる大凧が、ゆらりゆらりと大空へ揚がってゆく様は壮観である。
 土佐凧の特徴は、正方形を45度回転させて角を上にし、手描きで直接絵を描いたもの。
 図柄は、男子出産祝い・還暦祝いの時の「祝凧」、家紋をあしらった「定紋凧」、武者絵・姫だるま・鶴などの「絵凧」の3種類に大別できる。
 戦国時代、土佐においては長曽我部氏が凧を「空飛ぶ兵器」として用いたと言われているが、江戸時代になってからは、凧揚げは男児出生を祝う行事となり、後に還暦の祝いに凧を揚げる風習も出来たといわれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/9


えれこっちゃみやざき erekotcha-miyazaki Ere-kotcha Miyazaki Festival

Jp En

 宮崎市制60周年を記念して1984年に始められた「宮崎ふるさとまつり」をリニューアルし、新たに2002年から始められた「まつりえれこっちゃみやざき」は、日本の伝統的なお祭りで見られる盆踊りと、現代のダンススタイルをコラボレーションした新しいタイプの祭りである。
 7月の終わりの2日間、宮崎民謡などに合わせて約1万人が参加する「市民総踊り」とダンスコンテストの「えれこっちゃみやざき」をメインに、踊りやダンス、パフォーマンスなど九州各地から様々な踊りの集団が集まり、宮崎市の中心街等で暑い夏を体全体で表現する。
 「えれこっちゃ」は宮崎の方言で「えらいことだ」の意味を表すが、文字通り大変な賑わいを見せてくれる。
 その他にも、県内の太鼓グループによる「太鼓舞台」や宮崎の豊かな食材に出会える「キッチンガーデン」など、お祭り気分を十ニ分に満喫できる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/13


花火 Hanabi Fireworks

Jp En

 夏の夜の風物詩を彩る花火は、職人が火薬と金属の粉末を混ぜて包むものだが、火花に色をつける為に、金属の炎色反応を利用して、混ぜ合わせる金属の種類により様々な色合いの火花を出している。
 紀元前3世紀の中国で爆竹が使用されたのが起源とされ、6世紀頃に火薬が使われる様になるのと同時期に作られはじめたと考えられている。はじめの頃はロケット花火の様なもので、敵陣に打ち込んで火事を起こしたり、相手を威嚇したりといった、武器とはっきり区別が出来ないものもあった。
 日本で花火が製造される様になったのは、16世紀の鉄砲伝来以降で、1714年の「宮中秘策」によれば、1613年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したという記述がある。「花火」という語が使われ、花火が使われたと分かる最も古い記録である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/12


八日市大凧まつり Youkaichi-oodako-matsuri Yokaichi Giant Kite Festival

Jp En

 無形民俗文化財に選定されている八日市大凧をはじめ、数々の凧を揚げるのを中心に、凧にまつわる多くのイベントが行われる。
 八日市大凧は300年以上も昔の江戸時代中期、男子出生を祝って5月の節句に鯉のぼりと同じように揚げられたのが始まりであるが、徐々に大きくなって畳200枚以上の大凧もある。
 現在は100畳敷大凧を揚げるほか、成人を祝う行事や大きな行事を記念して揚げられているが、
この凧は、上部に魚・鳥などを墨で描き、下部に赤色文字を書いて意味を持たせる「判(はん)じもん大凧」で、全国にも類を見ない切り抜き工法で風の抵抗をできるだけ少なくし、揚げ糸の強度と凧の大きさのバランスをとっている。
 まつりは、毎年、5月の第4日曜に愛知川河川敷で行われ、多くの人出で賑う。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/12


祝儀袋 Syuugi-bukuro Celebration Envelopes

Jp En

 祝儀袋(しゅうぎぶくろ)は、さまざまな祝い事の際、お祝い金を入れて渡すための特別な意匠をほどこした紙包みのこと。結婚祝い、出産祝い、誕生祝いなど、それぞれの場面によって細かなマナーがある。
 起源については、日本古来の宗教である神道において、神前に供えた奉納物を包んだのがはじまりと言われる。基本的には、包み紙の他に「熨斗紙(のしがみ)」と呼ばれる帯をつけ、「水引(みずひき)」と呼ばれる紐で結わえる。そして包み紙の表には、祝いの場面に合わせた表題である「表書き(おもてがき)」を毛筆で書き加える。
 最近は熨斗紙や水引、表書きがすでにセットされ、簡略化されたものも出回っており、コンビニエンスストアでも買うことができる。しかし、祝儀袋は日本人本来の細やかな心遣いを端的に現す習慣のひとつであり、守っていくべき伝統でもある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/11


東道盆 twundaabun Twun-dar-bun

Jp En

 東道盆(とぅんだーぶん)は、沖縄における高級な前菜入れであり、格調高い琉球漆器である。
 元は中国から伝わった器で、中国語で「客をもてなすご馳走を入れる盆」という意味である。
 琉球に伝わり、琉球漆器の技術が駆使され、代表的工芸品になっていった。
 器だけでも豪華で、その中に入れる料理もそれに見合った豪華な料理が入るので、昔から結婚式や還暦の祝など大切なもてなしに用いられた。現在はお正月にも用いられる。
 元々は容器そのものをこう呼んでいたようだが、今では盛り込む料理も含めて「東道盆」と呼ぶ。
 現在、八角東道盆は琉球料理の正式な盛器といわれており、雅びやかな王朝時代を今に偲ばせる代表的な料理の器である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数8件: 1~8 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter