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圓満院(えんまんいん)は、寛和三(987)年に、村上天皇の皇子・悟円法親王(ごえんほうしんのう)によって開創された寺院である。長く天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)の中枢に位置していたが、現在は単立寺院である。
「門跡」の起源は、宇多法皇(うだてんのう)が仁和寺に入室したことに始まるという。師資相承して法脈を伝える「門葉門流」の意味で、祖師の法統の継承者を指す言葉として用いられていたものである。
皇族や攝関家等の子弟が出家した僧房では、各門流を各々継承することになり、「門跡」とは、皇族その他の出身者によって相承される特定の寺院を指す称号へと変化していったと伝わる。
圓満院門跡は、全国で17ヶ寺あるうちの門跡寺院の一つで、江戸時代(1603~1867)に建立した書院造りの宸殿と、室町時代(1336~1573)の造園家・相阿彌(そうあみ)乍と伝えられる、名勝史跡指定の庭園が現存している。
「門跡」の起源は、宇多法皇(うだてんのう)が仁和寺に入室したことに始まるという。師資相承して法脈を伝える「門葉門流」の意味で、祖師の法統の継承者を指す言葉として用いられていたものである。
皇族や攝関家等の子弟が出家した僧房では、各門流を各々継承することになり、「門跡」とは、皇族その他の出身者によって相承される特定の寺院を指す称号へと変化していったと伝わる。
圓満院門跡は、全国で17ヶ寺あるうちの門跡寺院の一つで、江戸時代(1603~1867)に建立した書院造りの宸殿と、室町時代(1336~1573)の造園家・相阿彌(そうあみ)乍と伝えられる、名勝史跡指定の庭園が現存している。
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