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湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市にあった城である。国指定史跡となっている。建武三(1336)年、河野通盛により築かれ、以後、伊予・河野氏の本拠となる。
天正一二(1584)年、河野氏は、伸張してきた長宗我部の軍門に降る。翌年、豊臣秀吉の四国征伐によって湯築城は陥落した。同一五(1587)年、城主小早川隆景が転封し、福島正則が入城するが、居城を府中城へ移したため、湯築城は廃城となった。
多くの中世城郭が消滅した中にあって、湯築城は市街地にありながら外堀・内堀・土塁など、ほぼ完全な姿を残す希有な例である。現在、城跡は道後公園となっており、武家屋敷や土塀などが復元されている他、土塁展示室で土塁の内部を見学することが出来る。
天正一二(1584)年、河野氏は、伸張してきた長宗我部の軍門に降る。翌年、豊臣秀吉の四国征伐によって湯築城は陥落した。同一五(1587)年、城主小早川隆景が転封し、福島正則が入城するが、居城を府中城へ移したため、湯築城は廃城となった。
多くの中世城郭が消滅した中にあって、湯築城は市街地にありながら外堀・内堀・土塁など、ほぼ完全な姿を残す希有な例である。現在、城跡は道後公園となっており、武家屋敷や土塀などが復元されている他、土塁展示室で土塁の内部を見学することが出来る。
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