NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/16


甑大明神橋 Koshiki-daimyoujin-bashi 

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 「甑大明神橋(こしきだいみょうじんばし)」は鹿児島県薩摩川内市甑島列島の上甑島と中甑島をつなぐ橋の一つで「ヘタノ串海峡」をまたいでいる。全長420メートル、幅員8メートルの斜張橋で平成五(1993)年三月に完成した。
 上甑島側の架橋地点のヘタの串には、甑島列島特有の甑(せいろ)の形に似た奇岩がそびえ、岩山を御神体にした甑大明神が祀られている。神殿はない。この岩が「甑島」という地名のもとになったと伝えられている。
 上甑島と中甑島の間に中島があり、甑大明神橋の先にはもう一つ、アーチ橋である「鹿の子大橋」がある。中甑島と中島に架かる全長240メートルの橋で、欄干のところどころにはメジロや鹿の子百合の絵が描かれている。
 甑大明神橋と合わせて、それまでは海を隔てて点在していた上甑村がひとつになり、便利になった。
 甑島列島には鹿の子百合が群生しており、7月から8月にかけて、島のあちこちに紅色の花が鮮やかに咲く姿がみられる。
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2008/2/7


五条大橋 Gojou-oohashi 

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 五条大橋(ごじょうおおはし)とは、京都府の京都市内の繁華街を、北から南へ流れる鴨川にかかる橋のことをいう。国道九号線と国道一号線を結び、京都でも有数の基幹道路に架かる橋として知られている。
 この橋は、もともと清水寺(きよみずでら)参詣のためにつくられた橋で、平安時代から中世まで清水寺が管理していた。
 五条大橋のたもとには、牛若丸と弁慶の像が建っている。この橋は牛若丸と弁慶が初めて出会った所とされているが、平安京の時代の五条大橋は現在の位置ではなく、今の五条大橋の北にある松原橋であったといわれている。豊臣秀吉が天正一七(1589)年、方広寺大仏殿造営の際に現在の五条大橋の位置に架け替えたのである。
 五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いはあまりにも有名で、降参した弁慶は牛若丸、のちの源義経の家来になり、最後まで義経に忠節を尽くすのである。
 現在の鉄橋を完成させたのは、当時の京都市長であった高山義三(たかやまぎぞう)で、昭和三四(1959)年のことであった。
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2008/1/24


山神橋 Yamankan-bashi 

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 山神橋(やまんかんばし)は、鹿児島県出水市の高尾野川に架けられているアーチ型の石橋である。長さ9・1メートル、幅6・3メートルの小さな石橋だが、この橋は役所が作ったものではなく、地元住民が協力して架けた橋であるという。
 明治時代、それまでこの場所に架けられていた橋が、洪水によって幾度も流され、更に増水した川に子どもが流されるという事故まで起きてしまっていた。危惧していた地元の住民は一致団結し、四〇戸ほどの人々が資金と労力を出し合って、明治四二(1909)年、この小さな石橋を完成させたのである。
 その後、大正四(1915)年に洪水で破損したが、その時も住民の力だけで補修が加えられ、現在の姿に至っている。
 今はこのアーチの下を、新しい橋が渡っているが、地元住民の要望で石橋は丁寧に保存され、親しまれている。
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2007/12/26


通潤橋 Tsuujunkyou 

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 通潤橋(つうじゅんきょう)は、熊本県上益城郡山都町長原にある全長79・64m、橋幅6・65m、橋高21・43mの橋である。国の重要文化財に指定されている。
 通潤橋は、嘉永七(1854)年、阿蘇外輪山の南側、熊本県上益城郡山都町の五郎ヶ滝川の谷に架けられた橋で、時の惣庄屋・布田保之助が、水の便が悪く、農業用はもとより飲料水にも事欠く白糸台地の人々の暮らしを良くするため、築造された石組みによる用水の水路橋とされる。水路橋というのは人を渡す橋ではなく、水を渡す橋である。
 通潤橋は、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡している。橋の部分が低くなっており、サイフォンの原理で水を押し上げている。これは、当時としては画期的な方法で設計された橋といえる。
 通潤橋は、水路橋としては日本一の規模を誇る、当時の技術の粋を凝らして作られた橋である。
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2007/10/31


水路閣 Suirokaku 

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 琵琶湖疏水事業の一環として施工された水路橋のことを、水路閣(すいろかく)という。この疎水は滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通って京都市東山区蹴上までの区間のことをいう。
 南禅寺境内を横切る煉瓦造りのアーチ橋は、橋の上を琵琶湖疏水の支流が毎秒二トンの割合で流れている。
 京都を代表する景観としても知られるこの橋は、古代ローマの水道橋を参考にして、明治二一(1888)年に建築されたものである。
 建設当時、周辺はたくさんの社寺が点在しているため、周囲の環境を壊さないよう配慮された。そのため南禅寺境内に当時では画期的な異国風建造物の水路閣をつくりあげたのである。
 延長約九三メートル、幅約四メートル、水路幅二、五メートルの赤煉瓦造りで、一三の橋脚でつくるアーチ構造は優れたデザインとして、訪れる観光客の目を楽しませている。
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2007/10/23


日本橋 Nihon-bashi 

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 日本橋(にほんばし)は、東京都中央区にある日本橋川にかかる橋である。国の重要文化財に指定されている。
 慶長八(1603)年、徳川家康の全国道路網整備計画に際し架けられたもので、翌年には五街道の基点とされた。
 初代は木橋で、室町一丁目と通一丁目を南北に結ぶものであった。以降、焼失などによって度々架け替えられ、現在架かっている第19代日本橋は、明治四四(1911)年に架けられた石造の二連アーチ橋である。
 戦前は東京都区部の道路元標となっており、日本の道路網の始点であった。
 日本三名橋の一つに数えられているが、近年は首都高速道路に覆われており、かつての景観が失われている。
 日本橋は、古くから道路の始点として知られた橋である。
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2007/10/15


坂出大橋まつり Sakaide-oohashi-matsuri Sakaide Ohashi Festival

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 坂出大橋まつりは毎年八月に開催される香川県坂出市の最大のイベントである。
 昭和二五(1950)年に坂出港まつりとしてスタートし、昭和六三(1988)年、瀬戸大橋の開通を記念してからは坂出瀬戸大橋まつりとなった。
 今や阿波おどりと共に有名になった、総勢三〇〇〇人以上が繰り出し、観客と一体になって踊る「総おどり」、ふるさとの伝統美と重厚な太鼓の音が胸に響きわたる、太鼓台の競演「さしくらべ」や、坂出港から打ち上げられる「水上花火大会」などが祭りの花形である。
 近年は他のイベントも積極的に取り入れられ、子供太鼓台共演、子供舞踊、郷土芸能の祭典軽音楽、アマチュアバンドの祭典などが催されている。
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鞘橋 Sayabashi The Sayabashi Bridge

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 鞘橋(さやばし)は、香川県仲多度郡琴平町を流れる金倉川(かなくらがわ)に架かる、屋根つきのアーチ型木造橋である。現在では、毎年一〇月の金刀比羅宮の御大祭の時のみ使用が許される。
 橋は元禄時代に作られとされている。当初は別の場所にかけられていたが、幾たびも洪水で流失、その都度再建が成されてきた。明治時代に入り現在の場所に移され、祭りのためだけに利用されるようになった。
 橋の長さは約二四メートル、高さ四・二メートル、屋根は銅葺唐破風(どうふきからはふう)で橋脚がなく、刀の鞘のように反りがあることから鞘橋と名づけられた。全国でも珍しく橋脚がないことから、別名・浮橋とも呼ばれている。
 平成一〇年に登録支化財に指定されていた。
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