NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/1


旧益田家物見矢倉 Kyuu-masuda-ke-monomiy-agura Monomi Yagura of the Old Masuda Family’s Residence

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 矢倉とは武器を収納する倉のこと。見張り台も兼ねたものは物見矢倉と呼ばれ、天井が高い造りとなっている。
 益田家は萩藩(長州藩)の重臣で、永大家老を務めた。
 旧益田家の物見矢倉は、かつての萩城三の丸(堀内)にあり、入母屋作り、平屋建ての建物。高さ1・8mの石組みの上に建てられ、総門から入る人々を見張っていた。棟瓦、懸魚(屋根につける妻飾り)、格子窓など、凝った意匠が施され、別名「矢倉長屋」とも呼ばれている。
 萩城の各総門にあった物見矢倉も現在では、この一箇所のみが残るだけであるが、ここの周囲は、物見矢倉をはじめ、長屋門が続くなど、城下町の雰囲気を色濃く残している。
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2007/5/23


旧厚狭毛利萩屋敷長屋 Kyuu-asamourikehagiyashiki-nagaya 

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 「旧厚狭毛利萩屋敷長屋(きゅうあさもうりはぎやしきながや)」は、萩市堀内の萩城跡大手門前にある。桁行は51.4m、梁間は5mの長い建物で、屋根は一重、入母屋造り本瓦葺きである。
 東側は旧いままをよく保っているが、西側は途中で切断されている。南面は開放的で、障子を建て、ぬれ縁を設け、軒も垂木を見せ、全面に庇(ひさし)を付けている。
 内部はおよそ三区からなる部屋部分と、中二階付物置、土間からなっており、部屋部分は梁行間仕切をくい違いにしているところに特徴がある。特に、東の座敷は狭いながらも畳廊下を配した格調高い造りであることから、身分の高い者に対して用意された詰所であったとされている。
 現存する萩の武家屋敷の中で最も大きく、国の重要文化財に指定されており、現在では当時の調度品などが展示されている。
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旧周布家長屋門 Kyuu-suuke-nagayamon 

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 周布家は、萩藩永代家老益田家の庶流で、石見国周布郷の地頭職として周布村に住し、周布を氏としたところから始まった。藩政時代は大組士の筆頭として、1,530石余の知行地を大津郡渋木村に領していたとされる。
 この長屋門は同家萩屋敷の表門として建てられた。平屋建て本瓦葺きの建物で、東西の桁行24.91m、東端から北に折れ曲がった部分の桁行11.2m、梁間は3.96mの、道路に沿った長い建物である。
 中央から東よりに通用門を設けており、屋根の東端は入母屋造り桟瓦葺きになっている。腰部を下見板張りとし、基礎に見事な切石積みがあり、上部は白漆喰大壁造り。江戸中期の代表的な武家屋敷長屋の様式をした、素晴らしい建築物である。
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