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黒谷(くろたに)さんの名で親しまれている、京都左京区黒谷にある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、浄土宗の開祖法然が比叡山の黒谷を下り、師・叡空(えいくう)より譲り受け、草庵を結んだ地である。承安五(1175)年、法然四三歳のころである。
念仏によって人々が等しく救われるという浄土宗を開いた法然は、この地に念仏道場を開いて念仏の輪を広めた。これが浄土宗の寺院のはじまりである。
法然の死後、法蓮房信空(ほうれんぼうしんくう)と弟子達に引き継がれ、伽藍を整えられながら大寺院となった。
建物は応仁の乱の戦火などで焼失したため、創建当時のものは残されていない。一番古いものは阿弥陀堂で、慶長一〇(1605)年に豊臣秀頼によって再建したものと伝えられている。
幕末には京都守護職を勤めた会津藩が、ここに新撰組を預かったことでも知られている。
念仏によって人々が等しく救われるという浄土宗を開いた法然は、この地に念仏道場を開いて念仏の輪を広めた。これが浄土宗の寺院のはじまりである。
法然の死後、法蓮房信空(ほうれんぼうしんくう)と弟子達に引き継がれ、伽藍を整えられながら大寺院となった。
建物は応仁の乱の戦火などで焼失したため、創建当時のものは残されていない。一番古いものは阿弥陀堂で、慶長一〇(1605)年に豊臣秀頼によって再建したものと伝えられている。
幕末には京都守護職を勤めた会津藩が、ここに新撰組を預かったことでも知られている。
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