NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/7


熊野筆 Kumano-fude 

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 熊野筆(くまのふで)は、広島県安芸郡熊野町で生産されている筆である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 江戸時代の18世紀末ごろ、平地の少ない熊野では、農業だけでは生活が苦しいため、農閑期を利用して、奈良地方から筆や墨を仕入れ、売り捌いていた。
 今から約170年前には、広島藩の工芸の推奨により、全国に筆、墨の販売先が広がり、本格的に筆づくりの技術習得をはじめた。
 明治時代になると義務教育が始まり、筆の需要が高まって熊野筆は大いに発展した。
 特殊筆など、注文に応じて幅広い製品を生産しており、現在、原料の毛は中国やカナダから輸入され、軸は国内各地の竹と中国や台湾からの輸入品が使用されている。
 熊野筆は、今もなお親から子供、孫へと技術が受け継がれている、伝統工芸品である。
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2008/6/10


母里焼 Mori-yaki 

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 母里焼(もりやき)は、島根県安来市伯太町東母里で伝えらる工芸品である。また、県の伝統工芸品に指定されている。
 幕末の弘化元(1844)年に、松江藩の分藩・母里藩の産業・文化事業として始められた。
 嘉永三(1850)年、豊岡に窯が移され豊岡焼といわれた。この豊岡焼から分れて明治二二(1889)年、稲垣茂平(いながきもへい)、利市父子(りいちふし)が登り窯を築いたのが現在の母里焼の始まりとされる。
 特徴は色の豊富さで代々伝わる色は、合計すると約30種類もの釉薬を使用する。
 粘土から松割木まで、全工程を全て手作業で行うため、窯出しは年に1回のみであり、非常に貴重なものとなっている。
 母里焼は今なお、捏鉢(つくねはち)や漬物鉢・食器類などの日用品を焼成している民芸陶器である。
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楽山焼 Rakuzan-yaki 

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 楽山焼(らくざんやき)は、島根県松江市で伝えられる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 延宝五(1677)年、萩の陶工である倉崎権兵衛(くらざきごんべえ)が、松江藩の御用窯として松江市東郊の御立山(おたてやま)に築窯したのがはじまりとされる。
 一時期製造が中断されていたが、享和元(1801)年、松江藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の命により再興された。
 御立山焼(おたてやまやき)、御山焼(おやまやき)とも呼ばれたが、明治の頃から楽山焼という呼ばれ方が定着した。
 作品は、抹茶碗や水差しといった茶道具がほとんどを占めている。刷毛目(はけめ)と、伊羅保写し(いらほうつし)といわれる技法が特徴で、器は同名の釉薬を使って仕上げられた、落ち着きのある淡い山吹色をしている。
 楽山焼は、御用窯として土灰(いしばい)づくりと調合に、品位が感じられる伝統工芸品である。
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2008/5/19


真朱焼 Shinsyu-yaki 

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 真朱焼(しんしゅやき)は、千葉県鎌ヶ谷市に伝えられている工芸品である。県の伝統的工芸品に指定されている。
 真朱焼は、大正時代、市川市在住の陶芸家・濱田敬山が、古代中国の鶏血焼(けいけつやき)を参考に創作したのが始まりとされる。
 現在では、陶芸家・三橋英作氏が唯一の継承者と言われている。
 昔の色は、真朱焼と読んで字の如く、現在のような真っ赤ではなく、朱色であった。
 サンゴのような真紅の陶器は戦後、西洋人の間で人気が高まり、昭和三〇年代末頃までその多くがアメリカ、カナダ、オーストラリアなどに輸出品として生産された。
 平成一年から一〇年間、郵政省の年賀はがき三等賞品とされた事から、国内でも広く知られるようになった。
 真朱焼は、燃えるような真紅色が特徴の焼き物である。
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2008/5/15


松本家具 Matsumoto-kagu 

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 松本家具(まつもとかぐ)は、安土桃山時代(1568~1603)に、信州松本で職人仕事の一つとして始まったとされる。江戸時代末期には、庶民が日常生活で使う家具も生産されるようになり、大きな発展を遂げた。主な製品に箪笥・飾り棚・座卓などがある。
 ケヤキ・ナラ・ミズメといった信州産の木を乾燥させた良質な無垢材(むくざい)を使用し、一人の職人が一貫して一つの家具を完成まで手作業で丹念に作り上げる。その評判は各地に広まり、松本は家具の産地として全国的に知られるようになった。
 松本家具では木の部材を接合する際、複雑な刻みを施した接手(つぎて)と組手(くみて)を作って組み合わせる「接組手」と呼ばれる伝統技法を駆使する。特に「鯱留(しゃちどめ)」は松本特有のもので、一度組んだら決して壊れることがないという。塗装は拭き漆で、十数回にわたって漆を塗り重ね、重厚さと美しさを引き出す。昭和五一(1976)年、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統工芸品に指定された。
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甲州だるま Kousyuu-daruma 

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 甲州だるまは山梨県甲府地方の伝統工芸品で、大神宮祭・十日市などの縁日で招福・厄除けの縁起物として売られ、一般的な赤だるまのほかに数種類ある。
 江戸時代初期に地元の武井八衛門(たけいはちえもん)という人物が、武田信玄の顔を模して作り始めたのが、はじまりと伝えられている。農家の副業として発達し、かつては十数人の職人がいたが、今では製作者は市内に一人だけという。
 柳や桜の木型に和紙を幾重にも張り付けし、重しを乗せ赤や白の塗料を塗り重ね、最後に面描きをして数日間乾燥させる。完成まで二〇以上の工程を要し、製作にはおよそ一ヵ月かかる。
 四百年の伝統に培われた気品と風格はまさに天下一で、顔面の彫りが深く鼻が高いのが特徴。目玉を下まぶた寄りに書き入れるため、神棚に祀ったとき、拝む人と目が合うように見えることから、「下見だるま」とも呼ばれる。
 豊作を願う白だるま、子孫繁栄を願う親子だるまといった、この地方特有の珍しいものもある。
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2008/4/25


宮島焼 Miyajima-yaki 

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 宮島焼(みやじまやき)は、広島県廿日市市に伝わる伝統工芸品である。
 別名、神砂焼(しんしゃやき)・お砂焼(おすなやき)・厳島焼(いつくしまやき)とも言われ、その名の通り宮島の砂を入れて焼き上げられているのが特徴とされる。
 天明寛政(1781~1801)頃、賀茂郡の人が厳島神社の砂をお守りとして旅行し、無事帰宅を果たした。彼は村に帰ってから、この砂を神社に返した。
 砂をただ返すだけではもったいないと感じた彼は、この砂を使って幾つかの土器を作り、厳島参拝の際に神に供えた。これが宮島焼の始まりであるとされている。
 萩焼(はぎやき)に似て清楚な雰囲気を持ち、固く焼き締められているので強度があり、ゆっくりと色が変化していく。色はグレーの砂の色のものや黄土色が中心となっている。
 宮島焼は、厳島神社ゆかりの伝統的な陶器である。
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三次人形 Miyoshi-ningyou 

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 三次人形(みよしにんぎょう)は、広島県三次市三次町に伝わる民芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 寛永一〇(1633)年頃、三次藩主・浅野長治(あさのながはる)が江戸浅草の人形師・森喜三郎(もりきさぶろう)をつれ帰り、歴史上の勇者や伝説上の人物の土人形を作らせ、家臣が一子をもうける度に、祝いとしてこの土人形を贈ったのが始まりとされている。
 にかわを塗る事によって艶やかな光沢があり、別名「光人形」と呼ばれている。特に顔に関しては、磨きだし手法によってその光沢を出している。
 普通、人形は六頭身が多い中で、八頭身の容姿端麗な人形としても有名で、その姿は群を抜いて美しいといわれている。
 三次人形は、現在でも約80種類が造られている、初節句や結婚式の引き出物として大切にされている、歴史ある人形である。
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