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石薬師宿(いしやくしじゅく)は、東海道五十三次のうちの第四十四之次であり、宿場の名は石薬師寺の名に因むという。
1616年頃、四日市・亀山間に宿場がなく、旅人が難儀していたため、付近の村々から人家180軒を集めて宿立てしたのが始まりとされる。
東海道・国道一号線とは言え、宿場は道一本はずれた旧道沿いにあるため、現在はひっそりとした静けさにつつまれている。
宿立ての中心を担う本陣を勤めた小沢家には、宿場の関連文書も残っており、大岡越前守や忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の資料も残されている。
また近隣には「夏は来ぬ」の作詞で有名な佐佐木信綱の生家も保存されており、その南隣には立派な佐佐木信綱資料館がある。信綱の第1回文化勲章をはじめとする遺品、著書、書簡、原稿など2000点あまりが収蔵・展示されている。
1616年頃、四日市・亀山間に宿場がなく、旅人が難儀していたため、付近の村々から人家180軒を集めて宿立てしたのが始まりとされる。
東海道・国道一号線とは言え、宿場は道一本はずれた旧道沿いにあるため、現在はひっそりとした静けさにつつまれている。
宿立ての中心を担う本陣を勤めた小沢家には、宿場の関連文書も残っており、大岡越前守や忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の資料も残されている。
また近隣には「夏は来ぬ」の作詞で有名な佐佐木信綱の生家も保存されており、その南隣には立派な佐佐木信綱資料館がある。信綱の第1回文化勲章をはじめとする遺品、著書、書簡、原稿など2000点あまりが収蔵・展示されている。
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