NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/12


甲州水晶貴石細工 Kousyuu-suishou-kisekizaiku Koshu Crystal Carving

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 「甲州水晶貴石細工(こうしゅうすいしょうきせきざいく)」は、山梨県内で作られる天然石を加工した美術工芸品や装身具の総称で、その研磨細工技術は長い歴史の中で発展し、国内ばかりか海外からも高い評価を得るようになった。
 平安時代、景勝地として知られる御嶽昇仙峡の奥地から水晶が発見された。当時は原石のまま飾って楽しんでいたが、次第に細工を施すようになり、江戸時代になると京都から職人を招いて玉造りの技法を学び、これが甲州研磨の基礎になっていった。戦後、輸出が急増し生産のピークを迎えたが、現在は国内向けに高度な技術を駆使した製品を提供。一部は皇室に献上されている。
 伝統の職人技は、自然が生んだ天然石の透明感あふれる色合いと輝きを最大限に引き出し、ただ美しいだけではなく、生命感や躍動感までを表現していて見事というほかない。
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2007/10/11


親鸞 Shinran Shinran

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 親鸞(しんらん)は、鎌倉時代初期の僧。浄土真宗の開祖。
 承安三(1173)年、京都・日野に誕生。九歳から二九歳まで、比叡山にて堂僧として修行を積む。その後、浄土宗開祖・法然の門弟となり、「他力念仏」の道を極めた。
 専修念仏の弾圧により、法然・親鸞ら八名が流罪となる。法然と生き別れした親鸞は、越後で俗名を名乗って暮らした。
 赦免の後、関東の常陸(現・茨城県)に移り、法然の教えを土台に、約二〇年間に及ぶ伝道布教を行った。親鸞は権力を持たずに、非僧非俗の立場を貫いた。
 帰郷し、主著『教行信証』(顕浄土真実教行証文類)を初め、多くの書物を仕上げた。浄土真宗の核が完成し、様々な継承・発展を遂げた。口承の書として、『歎異抄』が有名である。
 弘長ニ(1262)年、九〇歳で往生。没後に皇室から見真大師の諡号を贈られる。
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2007/10/5


西行 Saigyou Saigyo

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 平安末期から鎌倉時代初期に活躍した大歌人である西行(さいぎょう)は、宮廷ではなく、山里などの僻地を好み、花鳥風月を愛でながら、生命の歌を詠んだ。
 元永元(1118)年に、武士の家系に誕生。一八歳で兵衛尉(皇室の警護兵)になり、鳥羽上皇に仕えた。文武両道で容姿端麗、政界にその名を轟かせたが、世の無常を感じ、二三歳で出家した。「西行」を法号とする。
 大寺院、特定の宗派には属さず、山里の庵に籠もって、和歌を通して悟りを求めた。郊外の小倉山(嵯峨)や鞍馬山、秘境霊場の奈良・吉野山、真言霊場・高野山などに庵を結んだ。四国巡礼を経て、再び高野山、伊勢に入り、最後は河内弘川寺(大阪府河南町)に辿り着き、この地で入寂した。
 『新古今和歌集』には最多の九四首が入選。『山家集』『山家心中集』『聞書集』などを残した。
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2007/10/4


日蓮 Nichiren Nichiren

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 日蓮(にちれん)は、鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。
 貞応元(1222)年、安房国(千葉県)に誕生。一二歳で天台宗の山岳霊場・清澄寺に入り、道善房を師として、四年後に出家。
 その後、比叡山を拠点に、京都や奈良の諸寺、四天王寺、高野山に遊学。念仏、禅、真言を経て、仏教の真髄を「妙法蓮華経(法華経)」に見出す。
 建長五(1253)年、「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、清澄寺で立宗宣言し、名を日蓮と改める。
 他宗批判を目的とした『立正安国論』を著し、幕府や僧からの反発を招く。生涯、四度の法難をくぐり抜けた。
 晩年は、甲斐国(山梨県)の身延に隠棲し、信仰指導を続けた。『開目抄』、『観心本尊抄』などを著述。他に、「大曼陀羅本尊」を完成させた。
 武蔵国(東京都)にて、六一歳で死去。皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号(しごう)が贈られた。
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2007/4/20


熱海梅園 Atami-baien 

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 熱海梅園は、静岡県熱海市梅園町にある都市公園である。
 明治19(1886)年、横浜の豪商茂木惣兵衛が茂木氏梅園として開いたのが始まりとされる。
 2年後に皇室に献納され皇室財産となり、後に国有財産となったが、1960年、大蔵省より熱海市に無償で払い下げられた。
 その後、昭和41(1966)年に熱海梅園は開設された。
 市街地西側の山間に位置する34平方mの都市公園であり、日本一早咲きの梅と、日本一遅い紅葉の名所として有名である。
 中山晋平記念館、韓国庭園、約64種730余本の梅の古木がある梅園が公開されており、さまざまなイベントが開催されている。
 熱海梅園は、梅が終わっても桜、新緑、緑陰、紅葉と1年中楽しめる、緑の楽園である。
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2007/4/17


浜離宮庭園 Hamanorikyuu-teien Hama Rikyu Garden

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 浜離宮庭園(浜離宮恩賜庭園、浜離宮公園)は、東京都中央区にある都立公園であり、国の名勝・史跡に指定されている。
 承応三(1654)年、松平綱重によってこの地に別邸が建てられ、後に将軍家の別邸となり、以後何度も改修され、明治維新を経て皇室の離宮となり、その後東京都に下賜され公園となった。
 浜離宮は、潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園である。
 入口から左手すぐの「三百年の松」は都内最大の黒松で、太い枝が低く張り出し、威風堂々とした様は圧巻である。
 その先には、春には30万本の菜の花が、秋には一面にコスモスが咲き誇る花畑と、ボタン園がある。桜の木も多く、春はライトアップされ、夜間まで開園する。
 浜離宮庭園は、美しい自然を誇る都会のオアシスといえる。
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2007/2/21


量興寺 Ryoukou-ji 

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 飛鳥時代、推古天皇の発願により創建された寺で、当時は「多可寺(たかでら)」と称した。境内は三町四方を擁する広さで、地方屈指の古刹だったという。
 時代の推移に伴い、寺域も減っていったが、付近一円が皇室御領に属したため、平安時代の鳥羽天皇の御世に九条民部卿顕頼が、寺の一部分に伽藍を建立、名を改めて現在の名、「量興寺」とした。
 その後、鎌倉時代には藤原氏の厚い信仰を得て興隆を極めるが、藤原氏の勢力が衰退するにつれて、量興寺も存亡の危機に陥ることとなる。しかし、安土桃山時代の天正六(1578)年、これを嘆いた当時の地頭矢田部越中守長久が本堂を再建、御本尊に薬師如来像を安置し、良寛上人を招いて開山としたという。
 以来、四〇〇年もの間、法灯を絶やすことなく今に至っている。この寺は、境内の蓮の花でも有名で、毎年7月にはハス祭りが行われる。
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2007/2/14


熱田神宮 Atsuta-jinguu Atsuta Shrine

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 愛知県名古屋市にある「熱田大神」(あつたのおおかみ)を祀る神社。
 三種の神器のひとつである、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の鎮座を創始と伝えられている。日本武尊(やまとたけるのみこと)が没した後、その奥方が小社を建ててこの剣を祀ったとされる。
 創建時ははっきりとしないが、まもなく1900年を迎えるというのだから、その歴史はかなり古い。信仰の歴史は皇室を初め、庶民に至るまで多くの崇拝者からの奉納品(4000点余り)の数からも納得できるものである。
 樹齢1000年を超える楠や、織田信長が桶狭間の戦いの際に勝利を祈願し、勝利したのち奉納した信長塀、西行法師が腰をかけたという言い伝えのある二十五丁橋などが見所である。
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