NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/15


郭公(カッコウ) Kakkou 

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 「郭公(カッコウ)」は、カッコウ目カッコウ科に属し、全長は35センチメートルの鳥である。
 郭公は夏鳥で、4月末頃から渡ってくる。高原や河原の林、広い草原に分布し、姿も見つけやすい。
 郭公は、自分では巣を作らず、他の鳥の巣に卵を生みつけてヒナを育ててもらう、択卵という方法をとる鳥である。モズ、オオヨシキリ、ホオジロなどの巣に托卵し、巣の持ち主のヒナより、郭公のヒナのほうが早く生まれることが多く、ヒナは生まれてから間もなく、まだ目が開いてないうちに、巣にいる他の種類のヒナや孵化する前の卵を外に出し、自分だけが餌を確保して成長できるようにするというものだ。
 郭公の親鳥も、似た卵を生む鳥の巣を選び、托卵するという。托卵できると、子どもより先に南の国へ帰ってしまう。最近は、托卵する巣の鳥に気づかれ、郭公の卵を落とされる事もあるようだ。
 高原で「カッコウ」と爽やかに鳴き、日本をはじめ世界各国で郭公が歌にでてくる印象とは別に、他の鳥に子育てしてもらうという珍しい習性を持ち合わる鳥である。
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2007/8/22


真穴の座敷雛 Mana-no-zashiki-bina 

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 真穴の座敷雛(まあなのざしきびな)は、毎年四月二日・三日に、愛媛県八幡浜市真穴地区で行なわれる、長女のための豪華絢爛な雛節供行事である。江戸時代の天明(1781~1788)の頃始まったとされる。
 自宅の部屋を片付けて空間を作ったところに、大工の棟梁が図面を興して多数の盆栽や小道具を使って庭園を作り、内裏雛を中心に各種人形を配置、手前には様々な海の幸や鉢盛り料理が供えられる。
 それは舞台芸術のような空間で、かつオリジナリティに溢れており、一度たりとも同じ座敷雛はない。
 大規模な為、準備期間は長くかかるものの、祭りの日の後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという言い伝えから、四日の朝には解体されてしまう。
 平成一四(2002)年には八幡浜市の無形民俗文化財に指定されており、地域の協力によって一般観覧も開催され、毎年この二日間に延べ二万人が訪れる観光行事となっている。
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2007/8/1


むらた町家の雛めぐり Murata-machiya-no-hina-meguri The Hina Festival of Murata

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 むらた町家の雛めぐり(むらたまちやのひなめぐり)は、宮城県柴田郡村田町にて3月の第4土、日曜日に行われる催事である。
 江戸時代後期、村田町は紅花の集散地として栄え、上方との紅花取引を通じて、都からさまざまな物品や文化がもたらされた。そのひとつが、商家に伝わる優雅な雛人形である。
 むらた町家の雛めぐりでは、享保雛・古今雛など上方文化を彩るお雛さまから、明治期以降の雛人形や色鮮やかな打ち掛け、現代雛まで多数を春弥生の商家の蔵や座敷に飾る。
 むらた町家の雛めぐりは、長い刻を経た今も大切に受け継がれ、多くの旧家が残る村田町ならではの、風情あるイベントである。
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2007/1/25


天領ひたおひなまつり Tenryouhita-ohinamaturi Tenryohita Doll's Festival

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 天領ひたおひなまつりは、大分県日田市で行われ、ひな祭り期間中は、市内約20ヶ所の旧家や資料館等でひな人形や道具類が展示・公開される。
 江戸中期、町人文化の繁栄と共に早春の祭「お雛さま」は一般大衆の間に広がり、女児のすこやかな成長と幸せを祈る、日本の伝統的な行事として定着した。
 江戸時代、幕府の直轄地として代官所が置かれた日田市では、豪商たちが活躍し、天領日田として九州随一と言われるほどの繁栄を極めた。
 こうした旧家に江戸・明治時代から代々伝わるひな人形や道具類は、その豪華さにまず驚かささる。優雅で艶やかな気品に満ちた顔立ち、豪華な着物、丁寧な造作は、数百年の時を超えて、富裕な商人たちの財力と、懐の深さを語りかけてくれる。
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2007/1/9


京人形 Kyo-ningyo Kyoto Doll-Making

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 日本は人形の宝庫と言われるが、それは古くから京都を中心として発達してきた。気品のある京人形の人気は根強く、品質の高い優れた人形が今でも数多く作られている。
 歴史は、平安時代の貴族社会で用いられていた雛(ひいな)というままごと遊びに始まる。
 江戸時代にはこの雛が3月3日の節句の日に飾る立派な雛人形へと変化していき、人形師も数多く出てきた。節句前になると、これらの人形師たちの店先には様々な人形が並べられ、活況を呈したという。江戸時代末期になると御所人形が生まれるが、これは当時の宮廷から諸大名への贈答用としても重宝されたのだとか。
 京人形は非常に細分化された工程を経て製作される。それぞれの工程に熟練した職人の手仕事により確かな品質の人形が作られ、この高度に専門化した製作システムが、京人形ならではの深みと品質をもたらすのだ。
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