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2007/9/28


叡福寺 Eifukuji Eifukuji Temple

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 叡福寺は「聖徳太子」の墓所となる古墳があることで有名。聖徳太子の和の道を基本にした「新西国三十三ヶ所霊場」のひとつである。
 聖徳太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の霊を鎮める理由で神亀元年(724年)に建てられた。
 戦国時代、織田信長の焼き討ちにより全焼。その後豊臣秀頼が聖霊堂再建に着手した。
 石段を上ると、南大門が見える。門をくぐり、左手には宝搭、金堂、聖霊殿がある。さらに奥へと向かうと太子廟が見えてくる。
建物内にある「聖霊殿」は重要文化財に指定されており、中に祀られている本尊は聖徳太子が十六歳の時の等身像とされている。この像は宮中にあったものを文治3年(1187年)に後鳥羽天皇により下賜されたものであるという。
 周辺には「聖徳太子ゆかりの地」が点在しており、太子守護の歴史を深さを感じる場所である。
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2007/2/14


清洲城 Kiyosu-jyou Kiyosu Castle

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 愛知県清須市にあるお城。
 歴史は、1405年、尾張・遠江・越前守護の斯波(しば)義重によって築城された。また代々尾張守護、織田家の本城として、天下布武への足がかりの拠点である。1478年には尾張国の中心的地となる。
 その後、織田信長が本能寺の変で没すると信雄が相続した。しかし後の天下人豊臣秀吉に逆らい、追い出され福島正則が城主となる。
 関が原の戦いで、徳川家が入城するようになる。
 名古屋城ができた頃の1609年城下町が入れ替わり、また、清洲城の資材を利用して名古屋城を完成させたため、廃城となった。
 現在の「清洲城」は1989年に復元されたものである。場所も実際にあった場所ではないものの、五条川にかかる赤い橋(大手橋)とともに、清須市のシンボルとなっている。
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2007/2/12


四日市東別院 Yokkaichi-toubetsuin Yokkaichi East Branch Temple

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 宇佐市には宇佐神宮のある宇佐町と四日市町というふたつの中心がある。四日市町には、真宗大谷派四日市別院(東別院)と浄土真宗本願寺派四日市別院(西別院)という、どちらも大きな伽藍をもつお寺が並んでおり、以前は趣のある門前町が形成されていた。本願寺四日市別院は浄土真宗の九州における中核の寺院で、かつては九州御坊として九州内の全真宗寺院を統括していた。
 東別院は、お東さんとも呼ばれ、1562年に開基された。1868年に一度焼失したが、1889年に再建される。尚、雄大な規模を誇る二重門は焼失をまぬがれ、当時と変わらぬ姿を保っている。東西両別院を含めると、九州最大の木造建築と言える。
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2007/1/31


旧大乗院庭園 Kyu-daijyouin-teien Old Daijoin Garden

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 奈良市にある大乗院の庭園跡。
大乗院は南都七大寺の一つ、興福寺の門跡寺院として寛治元(1087)年に興福寺の北方に建立。治承四(1180)年、平重衡の奈良攻めよって焼失し、現在の場所に再興された。
 宝徳三(1451)年に再度焼失するが大乗院門跡尋尊により復興、この時庭園を作ったのが善阿弥であり、南都随一の名園として江戸末期まで残った。
 明治期の廃仏毀釈で消滅、跡地は明治四十二(1909)年、奈良ホテルとして再開された。
 現在、善阿弥の手による庭園の復興が行なわれており、庭園南部の「名勝大乗院庭園文化館」からその一部を見ることが出来る。
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2007/1/25


備中国分寺 Bicchu-kokubun-ji Bicchu Kokubunji Temple

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 国指定史跡、「備中国分寺」。岡山県総社市に所在する。
 備中国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により創建された官寺。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。現存する伽藍はすべて再建後に建てられたものである。
 境内にそびえる五重の塔は、岡山県唯一のもので、吉備路の代表的な景観となっている。国の重要文化財にも指定されているという。この塔は江戸時代後期の文政四(1821)年から20数年をかけて建立された。その重厚美を帯びた存在感は、かつて吉備の国の中心として栄えたこの地の繁栄ぶりを映しているかのようだ。
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2007/1/22


五十間長屋 Gojikken-nagaya The Gojikken-Nagaya (50 Ken Armory)

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 かつて壮観な姿を誇っていた金沢城の再現のため、平成十三年七月に復元された。
 橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)と菱櫓(ひしやぐら)をつなぐのが、五十軒長屋であり、二階二層の構造を持つ。
 これらの建造物は、かつて、戦の時に二の丸を守護するためのものであった。それ故、壁は海鼠壁や白塗りの漆喰で防火構造になっている。また格子窓は鉄砲狭間になり、石落としの設備もあった。
 長屋自体は、往時は武器などの倉庫として使われていた。
 五十軒長屋は、延べ床面積が一八九四・二五平米あり、明治以降に建立された木造の城郭建造物としては、日本において最大の規模である。その建設には、調査段階を含めて三年と四か月を費やした。
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2007/1/19


上山城 Kaminoyama-jyou Kaminoyama Castle

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 山形県上山市にある城。別名を月岡城とも呼ぶ。市中心部にある、小高い丘の上にあり、月岡公園の豊かな自然とともに、城下町・上山のシンボル的存在である。
 その歴史は古い。1528年武衛義忠が小簗川(こやながわ)氏を滅ぼし、その後1535年にこの城を築いた。1692年、幕府の命令により取り壊されたが、1982年に再建された。
 3層の天守閣を有し、全体的に小さいながら、美しい「名城」として人々に愛されている。
 290年ぶりに再建された上山城は現在、上山の歴史や産業、文化等の資料を展示する歴史資料館となっている。天守閣には「展望台」があり、蔵王連邦を望み、上山市街を一望できる。
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2006/12/20


奥山幸男 Okuyama Yukio Yukio Okuyama

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 伝統工芸士。馬や鹿、鮭など、アイヌの伝統工芸品を製作。木彫。社団法人北海道ウタリ協会優秀工芸士。北海道アイヌ伝統工芸展最優秀賞(北海道知事賞)など、数多くの受賞歴がある。
 その活躍は、装飾品の木彫だけにとどまらず、アイヌ文化の検証・考証にまで及ぶ。
 かつてアイヌ民族が、漁労や交易に使っていたとされている板綴舟「イタオマチップ」の復元などを進めている。
 イタオマチップの再現には、板を焼いて曲げる、釘は1本も使わないなど、高度な技術が必要とされる。奥山氏は、そのようなアイヌの文化に対し、すばらしい技術を持っていたと評価し、その伝承保存にも力を入れている。
 伝統工芸士としての奥山氏は、注文に応じて、床柱やテーブルなども製造する。
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