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岡崎市の住宅地の表通りからは見えにくい、奥まった場所に「妙源寺(みょうげんじ)」はある。
薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
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