NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/27


敷居 Shikii Shikii

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 敷居(しきい)とは、和室の障子や襖などの建具のレールの役目をしている横木の事である。
 下部にあるのが敷居で、上部にあるのを鴨居(かもい)と言い、この2つは対になっている。
 古語の閾(しきみ)が由来で、障子やふすまなどの建具を受ける溝を彫ったり、レールを付けて引き戸を滑らせる。引き戸の場合には溝を掘り、スライドできるように加工されている。
 強度と滑りやすさが求められ、松が一般的で、他に栂や桜、檜が好んで使われる。
 しかし、最近ではバリアフリーの考え方から、障害者や老人が敷居でつまづいたりしないように床に敷居を埋め込むなどして、ほとんど段差をつけない住宅が増えてきている。
 敷居は、室内空間を隔てる境界としての要素を持つ、日本伝統の建築方法の一種である。
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2007/10/17


京唐紙 Kyou-karakami Kyokarakami

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 京唐紙(きょうからかみ)は襖に施される一種の版画で、桂離宮や寺院、茶室などで現在も使われている。用途によって多くの文様があり、それぞれに洗練された美しさを持つ。
 顔料に用いられるのは雲母(うんも)の粉末や絵の具で、最初に刷毛で「ふるい」という団扇(うちわ)の形をした道具に付ける。次に「ふるい」から版木に顔料をふるい落とすようにして付け、その上に和紙を置いて刷る。この作業を何回か繰り返して一枚が完成する。
 中国から伝えられた唐紙は、平安時代に詩歌を書き記す詠草料紙(えいそうりょうし)として日本でも作り始められた。後に襖に張られるようになり、大きく発展したのは江戸時代中期といわれている。浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の作品には、京唐紙を刷る職人の姿が描かれている。
 顔料に雲母が用いられているため、うっすらと上品に光るのが特徴で、蝋燭の暗い明かりに照らされた京唐紙の一部が、炎のゆらめきに合わせてきらめく様は趣がある。
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2007/8/9


三河万歳 Mikawa-manzai 

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 新年を祝う歌舞として、愛知県に伝わる伝統芸能。万歳は新春の祝福芸とされ、現在の「漫才」の元祖となる。中啓(扇の一種)を持った太夫(たゆう)と鼓を打つ才蔵(さいぞう)のコンビが祝文を掛け合いながら舞う姿は、人々の笑いを誘いながら福をもたらすと考えられていた。
 万歳の起源をたどると、およそ700年以上の歴史があると伝えられている。江戸時代には三河出身の徳川家によって優遇され、太夫は武士の特権である帯刀、大紋の着用が許可され、才蔵も素襖を着用し、頭に侍烏帽子を着けることが許された。大名屋敷での万歳や江戸城の元旦の開門の儀式を司るなどして全盛期を迎えたが、戦時下は巡業が困難となり、時代の変化とともに衰退した。
 現在は、西尾市、安城市、幸田町において保存会が結成され、1975年に愛知県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/5/25


旧商家丸一本間家 Kyuu-shoka-maruichihonmake 

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 「旧商家丸一本間家(きゅうしょうかまるいちほんまけ)」は、北海道増毛郡増毛町にある歴史的建造物である。
 旧商家丸一本間家は明治時代から、呉服をはじめ鰊(にしん)漁網元、海運業、酒造業など、天塩国随一の豪商として名を馳せた「本間家」の旧宅である。明治十四年から建築を始め、明治三五年に落成した町屋造りを基本とした建物群で、増毛町有形文化財、北海道遺産、国の重要文化財に指定されている。
 通りに面して木骨石造りの呉服店舗と呉服蔵があり、その間の玄関を入ると、石を敷き詰めた庭の奥にコの字型に木造平屋建ての居宅と、木造一部三階建ての付属家がある。明かり取りの仕掛けがある奥帳場や、有名書家の襖がある奥の間、シャンデリアのある客間など、贅を尽くした建物からは往時の繁盛ぶりが偲ばれる。
 旧商家丸一本間家は、増毛町を代表するシンボル的な建築物である。
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2007/5/16


谷野剛惟(人間国宝) Tanino Takenobu 

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 1935(昭和十)年、兵庫県生まれ、名塩雁皮紙(なじおがんぴし)の人間国宝(重要無形文化財保持者)。
 49年、谷野徳太郎に師事、83年、名塩紙技術保存会理事就任、2002年、人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定。
 名塩雁皮紙は別名「泥入り間似合い紙」とも言われる襖用紙であり、雁皮を原料として、西宮市名塩近辺で取れる鉱物の粉末を混ぜて漉かれる。
 特徴として耐火性に優れているため、城郭、寺社の襖などに使用され、貴重な文化財を保護している。
 氏はこの紙の作成方法である溜漉きや板干しなどの古伝の技法を受け継ぎ、間似合紙、鳥の子、箔打紙などの多くの種類を作成できる唯一現役の職人であり、現在に伝統を継承している。
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2007/5/10


引手 Hikite Hikite

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 引手(ひきて)は、襖の手掛け用に取り付けられた金具のこと。2枚の襖が互いにすれ違うとき、向かいの襖に当たらないように工夫された機能を持つとともに、室内装飾として大切な役割を果たしている。
 襖自体は、8世紀から9世紀の頃、日本独自のものとして生まれてきた。しかし、当初引手は存在せず、襖は縁に手を掛けて開閉されていた。引手が登場したのは13世紀、鎌倉時代に入ってから。やがて安土桃山時代に茶道が確立されると、茶室の襖も茶人の好みに工夫され、引手に名品が残るまでになった。
 現代では「和」の再確認により和室が見直されてきている。それに伴い、引手のデザインも多種多様なものが登場。伝統的な家紋入りや舟型、丸型をはじめとして動植物の形をモチーフにしたもの、モダンな白い四角型のもの、七宝をあしらったものなど、新しい発想の引手が多く生まれている。
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2007/3/22


高野山 金剛峯寺 Kouyasan Kongoubu-ji 

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 金剛峰寺は、和歌山県伊都郡高野山町高野山に所在する。全国3600ヶ寺におよぶ高野山真言宗の総本山である。
 金剛峰寺の名称は、もともと高野山一帯の寺の総称で、ここは青巌寺と呼ばれていた。文禄二(1593)年、豊臣秀吉が亡き母の菩提寺として建立、文久三(1863)年に再建。その後明治時代に寺の名前を「金剛峰寺」と改め、総本山が置かれた。
 檜皮葺きの大屋根を持ち、東西54メートル、南北63メートルの大主殿(県の重要文化財)のほか、別殿、新別殿、奥殿、新書院、茶室などが並ぶ。大主殿の襖絵は狩野派の作。秀吉の怒りに触れ、豊臣秀次が切腹したとされる「柳の間」もある。日本で一番広い石庭、蟠龍庭は2400平方メートルの広さを持つという。
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2007/3/12


旧杉山家住宅 Kyuu-sugiyamake-jyuutaku Former Residence of Sugiyama Family

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 旧杉山家住宅は、大阪府富田林市富田林町に建っている重要文化財である。
 かつてこの住宅に住んでいた杉山家は、富田林寺内町の創設にも関わった旧家のひとつである。
 杉山家は江戸時代から明治時代にかけて、この住宅で造り酒屋を営んでおり、最盛期には使用人だけで70人を数えたと言う。
 建物内部はよく保存され、近世の状態をとどめている。大床の間に描かれた老松や襖絵は狩野派の絵師によるもので、昔日の繁栄が想像される。
 この住宅は現存する町家のなかで最古と考えられている。
 明治時代に活躍した明星派の歌人・石上露子の生家としても知られ、当時の書簡や遺品、解説パネルなどが展示してある。
 旧杉山家住宅は、昔の暮らしぶりを今に伝える大切な家である。
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