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2008/3/4


久慈琥珀 Kuji-kohaku Kuji Amber

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 久慈琥珀(くじこはく)は、岩手県の久慈市で産出される琥珀である。
 琥珀は、太古の植物の樹脂が化石化してできたもので、久慈地方はその産出量、品質ともに優れており、歴史的にも国内唯一の産地として知られている。
 世界で最も古いものとしては三億年前の琥珀が発見されているが、久慈地方産の琥珀は、今から約八千五百万年前の中生代白亜紀後期に属するもので、宝飾品類に加工されるものとしては世界最古の琥珀である。
 この地方では古来より採取が行われており、各地に残る古墳時代の遺跡から出土した琥珀も久慈地方産とされ、平安時代にはすでに琥珀工房が存在していたことが判っている。
 近年では学術的に貴重な虫入り琥珀の発見も相次いでおり、奥深くて軽く、暖かみのある自然素材の宝石として親しまれている。
 太古からのメッセージを封じ込めた小さな粒は、地球が見つづけてきた時の流れの一瞬を今に伝えている。
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紫雲石硯 Shiunseki-suzuri Shiunseki Inkstone

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 紫雲石硯(しうんせきすずり)は、岩手県の一関市や大船渡市で、独特の風合いを持つ紫雲石を用いて作られている硯である。
 その起源は、鎌倉時代に旅の僧侶が、大船渡市にある長安寺に立ち寄った際、近くを流れる川底で紫雲石を見つけ、その石を硯として使用したのが始まりといわれている。その後、僧侶は硯を鎌倉へ持ち帰り、時の将軍に献上。その美しさから紫雲石硯と命名されたという。
 材料となる紫雲石は、四億年以上昔の北上山系の地質から産出される輝緑凝灰石で、小豆色にも似た赤紫をして、雲状の斑紋や緑の斑点があるものが多く見受けらる特徴をもつ石である。
 石の持つ優美さや滑らかさに加え、石の表面の凸凹を表す鋒鋩(ほうぼう)が緻密で墨おりが良く、硯材として最適とされている。
 一時は、機械彫りの大量生産の硯が普及し、手彫りの紫雲石硯はその生産に衰えが見えたが、戦後に入って専門家などに再び着目され、銘品としての名に違わぬものを、今も作り続けている。
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花巻人形 Hanamaki-ningyou 

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 花巻人形(はなまきにんぎょう)は、岩手県花巻市の伝統的な民芸品で、粘土で作られる土人形だ。 宮城県の堤人形と石川県の相良人形と並び、東北三大土人形のひとつにも数えられている。
 その興りは、京都の伏見人形や仙台の堤人形の製作技法を伝習した花巻鍛治町の人形師が、享保年間(1716~1735)から作りはじめたといわれている。
 節句に飾る内裏びなをはじめ、恵比寿様や大黒様などの縁起物から金太郎、山姥といった風俗物など多彩に製作されている。また、どの人形も花巻の名にふさわしく梅や桜、牡丹など春の花々が描かれ、素焼きの下地に胡粉を塗って背面は白いままで表面だけを彩色したり、人形を振ったときに音がするよう、中に小石や砂を入れるなどの特徴を持っている。
 その製作は昭和三十年代を最後に一時絶えてしまっていたが、昭和四九(1974)年に復活し、今に至っている。
 個性豊かな形や鮮やかな色彩、柔和な表情で、今も多くの人々に愛されている郷土民芸である。
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六原張り子 Rokuhara-hariko 

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 六原張り子(ろくはらはりこ)は、岩手県金ヶ崎町で、主に和紙を用いて作られている伝統的な張り子である。
 その興りは昭和三十(1955)年ごろと比較的新しく、木彫りのお面が不足したための代用として、張子でお面を製作したことから始まったとされる。
 その後、金ヶ崎で昭和四八(1973)年から本格的に作られるようになって次第に全国にもその名を広め、現在に至っている。
 製作には県内産の和紙を用い、通常の張り子とは違って裏から何枚も重ね貼っていく独自の「裏張り」技法を駆使して、郷土芸能に用いられる鬼剣舞面や神楽面、またその年々の“干支”の人形などを作っている。
 裏張り技法を用いる事でより細かな造形を行うことができ、軽くて丈夫、ユニークな造形をもった和紙面や和紙人形を数多く生み出している。
 上向き加減になっている目が特徴で、色合いも素朴なものが多く、手作りならではの温かみを持った味わい深い張り子だ。
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2008/2/1


日本のふるさと遠野まつり Nihon-no-furusato-toono-matsuri Tono Festival

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 日本のふるさと遠野まつり(とおのまつり)は、毎年九月中旬頃に開催される岩手県遠野市の遠野郷八幡宮(とおのごうはちまんぐう)の例大祭だ。
 芸能の宝庫、東北地方に伝わる多種多様な郷土芸能を一同に見ることができる祭である。
 一日目は「しし踊り」や「南部ばやし」などの郷土芸能のパレードがところ狭しと練り歩き、神楽などの郷土芸能競演会が開催される。
 二日目は四〇〇年の歴史を持つ、遠野南部流鏑馬(とおのなんぶやぶさめ)が開催される。流鏑馬は、源氏方の武将であった南部家が奉納したのが始まりといわれており、約220メートルの馬場を勇壮に馬がかけていく様子に沢山の観光客が拍手を送る。
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2007/11/12


高田松原 Takadamastubara Tkada Pine Grove

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 日本百系にも数えられる、白砂青松の弓形海水浴場。白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続くさまは、まるで日本画に描かれた風景のよう。
 盛岡中学時代の石川啄木が激賞し、また俳壇の巨星高浜虚子も日本百景の審査員として訪れた際に句を詠んでおり、それぞれ 歌碑、句碑 が置かれている。
 この「白砂青松」の地には年間約 440万人もの人々が憩いを求めてやって来る。
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2007/11/1


丹藤川渓流 Tandougawakeiryu The Tando River

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 渓流には鮎、ヤマメ、イワナが豊富に生息しており、渓流釣りの宝庫となっている。
 秋の紅葉はもちろんのこと、季節ごとに情緒あふれる風景を見せ、澄んだ水のやさしいせせらぎはどの季節でも変わることなく、心にやすらぎを与えてくれる。
 ただ誰も歩く気配のないこの渓流に独りで入るのは、異様な雰囲気と、危険箇所の多い歩道のため、注意が必要である。
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2007/10/31


一関城 Ichinoseki-jyou Ichinoseki Castle Ruins

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 天正年間(1573〜1591)末期、豊臣秀吉の奥州仕置によって葛西氏が滅んだ後、一関は豊臣家臣の大名・木村氏を経て伊達氏が領有した。
 江戸幕府の開府の後は、慶長九(1604)年に伊達政宗が叔父である留守政景を一関に移し、さらに寛文年間(1661〜1672)には、政宗の10男・宗勝が入ったが、伊達騒動により宗勝は土佐に配流となった。天和二(1682)年、田村建顕が岩沼から移封となり、以後11代続いて明治を迎えた。
 本丸は千畳敷という標高約90メートル、100メートル×50メートルの長方形である。本丸と同一レベルに続く丘陵に空堀が1カ所認められ、本丸以外は適度な落差で階段状に各郭が配されていたと思われる。
 千畳敷北東に虎口があり、南東には若干の高さの方形があって矢倉などの施設が想像され、西には小山があり脇に田村神社が奉られている。
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