NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/21


御櫃割 Ohitsu-wari Ohitsuwari

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 御櫃割(おひつわり)は江戸時代末期から続く、五穀豊穰、家内安全を祈る伝統的な農業祭である。「御鉢割(おはちわり)」ともいわれている。西尾市の無形民俗文化財に指定されていて、神明社境内で毎年一〇月に行われる。
 この神事はなかなか荒々しい。
 神前から受け取った赤飯入りのお櫃を、一五人の厄男達が受け取る。お櫃のふたが男達によって素手の拳でたたき割られると、参拝者達が先を争うように押し寄せる。この赤飯を食べると一年中無病息災で過ごせるといわれるからだ。
 厄男と大勢の見物客が入り乱れ、手づかみで赤飯を奪い合う様は、見応え充分の秋祭りである。
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2007/8/14


天下祭 Tenka-sai Tenkasai Festival (Naked Festival)

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 天下祭(てんかさい)は、愛知県豊田市の松平東照宮にて毎年2月に開催されている裸祭りである。
 南北朝時代に天下太平を願って始められたとされるが、明治時代に一度姿を消し、近年裸祭りとして復活した。
 松平東照宮は、徳川家の祖である松平氏発祥の地として知られている神社で、松平親氏を祭神として祀っている。
 東照宮の産湯の井戸は、初代親氏の頃より霊験ある井戸として知られ、家康誕生のとき岡崎城までこの水を運び、慣習に従い産湯とされた事が世に知られている。
 天下祭に奉仕し、その水で清められた「水玉」と呼ばれる、木製の玉に触れる事で厄が落ちると信じられており、毎年下帯一つで裸男の厄男たちが激しい競い合いを見せ、会場一帯は熱気に包まれる。
 祭りでは、他に出店や露天もあり、戦陣鍋、花餅作り、大絵馬奉納、和太鼓、棒の手等が行われる。
 天下祭は、裸男たちの勇壮で豪快な祓い神事である。
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2007/7/31


ヤッサ祭り Yassa-matsuri Yassa Festival

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 ヤッサ祭りは、毎年9月29日に群馬県の(旧)月夜野町(つきよのまち)の若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)で行われる例祭である。
 裸で数珠つなぎになった男衆が、下帯姿で社殿の柱によじのぼり、「ヤッサ、モッサ、シンジュウロウ」と声を掛け合いうねり歩くことから「ヤッサ祭り」の名が付いたと言われる。
 祭りの起源は定かではないが、かつてこの地が水害に遭った際、若者たちが数珠つなぎになって人々を救ったという説や、400年前に名胡桃城(なぐるみじょう)の合戦の折に、大木新重郎という武士が村人を救おうと腰ひもを掴ませて誘導した、という説などがある。
 祭りでは男衆が歩きながら押し合いへし合いし、寝そべるなどを数回繰り返した後に社殿の大鈴をもぎ取る。見事にもぎ取れたら、その年は豊作になると言われている。
 ヤッサ祭りは400年の伝統を持つ、素朴で勇壮な祭りである。
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2007/7/11


龍神火まつり Ryuujin-hi-matsuri Ryujin Fire Festival

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 岐阜県下呂市。温泉街として有名なこの町で、八月の第一土曜日から三日間催される「下呂温泉まつり」。
 その祭りの初日を飾るイベントが龍神火まつり(りゅうじんひまつり)だ。
 この地方では昔から飛騨川にある渕で村人が願うと、そこに棲まう龍神が祝い事や神事に使うための豪華な椀や膳を貸してくれたという伝説があり、あるとき、その貸してくれた椀を村人が返却せずに自分のものとしてしまったことに腹を立てた龍神が大暴れし、最後にはその椀を取り返した事で静まったという「椀貸せ渕」の逸話に基づいて昭和四五(1970)年に始まった祭りである。
 そんな大暴れする様子を見立てた祭りだから、椀神輿の後を追いかける長さ20m、重さ250kgにもなる龍五頭が追いかける様は、まさに勇壮そのものの乱舞だ。
 また、龍の乱舞に合わせて太鼓やドラ、爆竹などが鳴り響き、地元の男衆に担がれ、花火を口に仕込んで火花を吐く豪快な動きを、よりエネルギッシュに魅せてくれる。
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2007/4/5


不破八幡宮大祭 Fuwahachimanguu-taisai 

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 男神、女神の両みこしによる「神様の結婚式」で知られるお祭。小京都・中村の礎を築いた前関白・一条教房が、当時横行していた略奪結婚を戒め、結婚の神聖さを示すために始めたと伝えられる。
 夏、不破八幡宮にある男神みこしは結婚式に備えて四万十川で清められる。一方、不破八幡宮から見て、四万十川対岸に位置する一宮神社には「椎名御前」「徳益御前」「鉾名御前」の3体の女神がおり、結婚前日の「宵宮」に、くじ引きで花嫁を決めるのが習わし。
 大祭当日、女神みこしは川舟に乗って八幡宮前の祭場に到着し「御旅」で市街地を練り歩いている男神みこしの到着を待つ。
 両みこしがそろったところで「輿合わせ」の儀式。男衆に担がれた男神みこしが女神みこしの周囲を回る「角回し」が行われた後、みこしの担ぎ棒先端を3度、激しくぶつけ合い、めでたく婚姻が成立する。
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2007/3/27


妙見山黒石寺 Myoukenzan-kokuseki-ji 

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 1300年以上の歴史を持つ古刹、妙見山黒石寺(みょうけんざんこくせきじ)。岩手県水沢市黒石町に所在する。
 創建は奈良時代。天平元(729)年に行基菩薩が開基したとされる。延暦年間の戦火で消失したが、嘉祥二(849)年、慈覚大師・円仁により復興された。
 本尊にある薬師如来像の胎内には貞観四(862)年造立時の造像記が残っており、古代東北の仏教信仰を伝える貴重な史料となっている。同時代に造立の木造僧形坐像、木造四天王立像とともに国の重要文化財に指定されている。
 旧正月に夜を徹して行われる黒石寺蘇民祭(そみんさい)は東北の奇祭として知られる。裸の男衆が裸参り、柴燈橙りなどを行い、翌日未明からは堂の前で男衆が東西に分かれ、裸で押し合いながら蘇民袋を奪い合う豪快な祭りだ。
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2007/1/7


牛突き Ushitsuki Bullfighting in Shimane

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 七八〇年という日本最古の歴史を持つ隠岐の牛突き。1221年の承久の乱の際に隠岐へ流された後鳥羽上皇を慰める為に行われたことが起源とされる。
 かつては島根県・島根半島全域で行われていた牛突きも、今では一部で残っているのみ。8月15日に行われる夏の本場所では、引き分けなしの一本勝負ということもあり、島民の夏場所に賭ける思いは計り知れない。どちらかの牛が逃出すまで、時には一時間近くも勝負が続く。決着後の明暗ははっきりしており、勝った牛のまわりでは男衆たちが牛の背に乗ったり歓喜の声で叫ぶ中、敗者は静かに土俵を去る。
 牛突きは神への奉納として、今もこの島に根付いている。この伝統を守るべく隠岐の若者達は後継者会を発足させ、子供達を小学校3、4年の頃から修行させている。
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