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2008/1/8


落合の石畳 Ochiai-no-Ishidatami Stone-paved Road in Ochiai

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 落合の石畳(おちあいのいしだたみ)は岐阜県中津川市落合に残る石畳である。
 江戸時代の五街道、中山道(なかせんどう)の落合十曲峠から馬籠宿にかけては急峻な山道の為、通行が困難であったことから石畳を敷き、整備が行われていた。文久元(1861)年、皇女和宮が降嫁した際改修したとの記録が残る。
 明治時代に入り、一部が工事のために剥がされ、一部は使用されなくなり放置されたため、旧状を留めたのは一部となったが、昭和六三(1988)年に修復工事が行われ、現在の840メートルの道が復元された。
 近隣には中山道の史跡である落合宿の本陣や大釜、島崎藤村の筆による「是より北木曽路」などが残り、古道の記憶を今に伝えている。
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2007/12/14


大口筋白銀坂 Ookuchi-suji-shirakane-zaka 

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 石畳が残る薩摩の旧街道として知られるのが、大口筋白銀坂(おおくちすじしらかねざか)である。
 大口筋とは、鹿児島城下から熊本の亀坂峠までの、全長約七〇キロメートルの街道のことをいう。
 中でも白銀坂は、鹿児島市牟礼岡から姶良郡姶良町脇元までの約三キロの道のりをいい、古代より近世にかけて薩摩国と大隅国の国境があった。戦国時代には、島津貴久や義弘などの武将たちが、この坂に陣を構えて、豪族との合戦の舞台になったといわれている。
 江戸時代には、鹿児島潘の主用街道であった大口筋の難所として、多くの人々に知られていた。
 明治時代に入ると、国道や鉄道の開通によりこの道は利用されなくなった。しかし歴史的に価値があるとされ、平成八年から一五年にかけて「歴史の道整備活用推進事業」がおこなわれ、国土交通省の歴史国道に指定された。
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2007/12/3


文様 市松 Monyou Ichimatsu 

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 市松文様(いちまつもよう)とは、江戸時代の歌舞伎役者、初代・佐野川市松(さのがわいちまつ)が、白と紺の正方形を交互に配した袴を履き、人気を博した事からそう呼ばれるようになったとされる。
 黒と白、赤と白など異なった二色の正方形を交互に並べた形の文様で、石畳文(いしだたみもん)、霰文(あられもん)とも呼ばれ、シンプルであるがとても美しい。その単純な構図故、古くから工芸品や染織品、桂離宮の襖のような室内装飾など多数用いられている。
 江戸時代以前より存在する模様については石畳模様(いしだたみもよう)と呼ばれていた。
 英語では、チェス盤に例えてチェッカー、チェックなどと呼ばれ、ヨーロッパでも昔から色々なものに用いられてきた文様である。
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2007/11/14


石塀小路 Ishibei-Koji 

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 石塀小路(いしべいこうじ)は、京都府京都市東山区下河原町にある道路である。
 祇園・八坂神社の西楼門を出て下河原通りを南に下がると、左手に折れる小さな路地が存在する。それが、石塀小路である。
 明治末期から大正時代にかけて形成された京情緒漂う路地による空間は、ドラマや映画によく登場する名所で、路沿いにひっそりと軒を連ねている料理旅館などを眺めながら歩くだけでも、風情を感じることができる。
 両側に並ぶ町屋の基礎部分の石垣がまるで石塀のように見え、石塀小路という名前の由来が容易に想像される。
 路に敷き詰められた石畳の一部は、昭和五〇年代に廃止された京都市電の敷石を移設したもの。
 石塀小路は、まるで小さな迷路のような、情緒と風情に溢れた石畳の小道である。
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2007/10/15


西予市 龍澤寺 Seiyo-shi Ryuutaku-ji 

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 棚田が広がる城川町魚成地区。古くからの農山村文化が伝わるこの地区に、三七〇〇坪に及ぶ広大な寺「龍澤寺(りゅうたくじ)」がある。「竜沢寺」とも呼ばれる寺の周囲には緑地公園が広がる。
 禹門山(うもんざん)龍澤寺は禅宗の一つ曹洞宗の総持寺派に属しており、全国に有する末寺は五六寺。
 樹齢三〇〇年を越える杉の木々がそびえ立つ石畳の参道を進むと、重厚な山門が現れる。
 七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた境内に入ると、近世建築と呼ばれる桃山時代の建築技術を取り入れた禅堂などがあり、豪壮な寺であることを実感できる。 
 春にはお釈迦様の誕生を祝って甘茶が振舞われる、「龍澤寺花祭り」が行われることでも知られている。
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2007/8/17


陸奥上街道 Mutsukami-kaidou The Mutsukami-kaido Road

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 奥州街道の一関から栗駒、一迫町真坂を通って岩出山を結び、出羽街道に至る道で、国の指定記念物史跡に指定されている。
 元禄二年(1686年)松尾芭蕉が奥州行脚の折、平泉からの帰途この街道を通ったことが知られ、「おくのほそ道」の舞台となった街道として著名である。
 一部石畳になるなどしているが、自然のまま木々に囲まれひっそりとした小道はまさに「おくの細道」という名前がぴったり。そこはかとなく懐かしささえ感じるような道である。
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2007/5/22


赤沢宿 Akasawa-juku Akasawa-juku Post Town

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 赤沢宿は山梨県南巨摩郡早川町に位置する集落である。
 古来より、日蓮宗総本山の身延山と、山岳信仰の地である七面山へと続く参道の途中に位置する身延往還の宿場町として知られる。
 信者の一団である講の泊まる講中宿であり、明治時代には、当時流行した身延講の参詣者で大いに栄えた。
 現在も各宿には板マネギと言われる各地の講が定宿とした証の木版が残っている。
 四方全て山という環境から、大工、杣人(そまびと)、木挽きなどの職人を多く輩出した。
 平成五(1993)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
 深い山と渓谷に囲まれた山間の土地であり、石畳や昔ながらの街並みが往時の面影を今に伝えている。
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2007/5/18


岐阜 宗祇水 Gifu Sogisui 

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 「宗祇水(そぎすい)」は、全国名水百選の一番目に選定された名水。石畳の路地と、土蔵の続く日本の町並みが残る郡上八幡を流れる。
 「宗祇水」の名の由来は、連歌の宗匠として知られる飯尾宗祇が、文明年間(1469~1487年)にこの泉と草庵を結んで、清水を愛用した事から名付けられた。1972年に町の史跡文化財、1974年に岐阜県の史跡文化財の指定を受けた。
 夏場などは水量に多少変化が見られるが、水質などは選定当時とほぼ変わらず、冷たく清らかで良い状態を保っている。
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