NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/3


七星剣 Shichisei-ken Shichiseiken (Seven Star Sword)

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 七星剣(しちせいけん)は、大阪府大阪市天王寺区の四天王寺が所有している、長さ62.1cmの日本の直刀である。国宝に指定されている。
 四天王寺は、推古天皇元(593)年に聖徳太子により建立された寺院で、本尊は救世観世音菩薩(くせかんぜおんぼさつ)。
 同じく四天王寺所有の丙子椒林剣(へいししょうりんけん)と並び、聖徳太子愛用の剣と伝わる。
 名前の由来は、金象嵌(きんぞうがん)の七星文、つまり北斗七星が描かれていた事による。その他、表に金象眼五飛鳥雲、七星の両側にV字型の三星と横に並んだ三星に青竜と白虎が刻まれ、裏には雲紋と北斗七星・それに青竜と白虎が刻まれている。
 作風は丙子椒林剣にくらべ、スラグと呼ばれる金属の残留物が目立つものの、地金は小板目肌と呼ばれる細かく目の詰まったもので、匂口(においぐち)に大粒な粒子が厚くつき、これに小さな粒子がついた細直刃となっている。
 七星剣は、日本の古代より伝わる貴重な刀剣である。
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2007/7/19


会津白虎まつり Aizu-byakko-matsuri Aizu Autumn Festival

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 会津白虎まつり(あいずびゃっこまつり)は、福島県会津若松市にて行われる祭りである。
 以前は会津秋まつりと言う名だったが、会津と言えば「白虎隊」として全国的に知られており、さの知名度を生かし、インパクトある名称にと改称したもの。
 深い歴史の残る会津若松に秋を告げる伝統の祭りで、県内外から多くの観光客が訪れる。
 市民総勢1000人が灯篭を揺らし市内を練り歩く幻想的な風景で祭りのオープニングを飾り、鶴ヶ城跡で「先人供養祭」が行われ、白虎まつりのメイン「会津白虎行列」がスタートする。
 市民が扮する白虎隊や松平公といった会津藩縁の武者行列は約500名にものぼり、まさに圧巻。
 夜には「会津磐梯山踊り」も行われ、祭りを一層盛り上げる。
 会津白虎まつりは、戊辰戦争を偲ぶ、会津の秋の一大イベントである。
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2007/6/1


古川起こし太鼓 Furukawa-okoshidaiko Furukawa Okoshi Daiko

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 気多若宮神社の例祭「古川祭(ふるかわまつり)」は、氏子に御神霊をお迎えする準備をさせる為に、太鼓を叩き起こして回る「起こし太鼓」が有名である。祭りは市街地一帯で繰り広げられ、裸男達が激しくぶつかり合う様子に町は熱気と興奮で包まれる。
 「起こし太鼓の里広場」で出立祭が行われてから、大太鼓にまたがった若者が「ドーン、ドーン」と満身の力を込めて打ち出し、大太鼓を乗せた櫓が数百人の裸男達に担がれて、ゆっくりと進む。大太鼓めがけて突進する付け太鼓の裸男達と、阻もうとする大太鼓の護衛とが激しくぶつかり合う「古川やんちゃ」と呼ばれる男達の攻防は、延々4時間に亘って繰り広げられる。
 太鼓担当は青龍、白虎、朱雀、玄武の四つの組に分けられ、抽選で決められる。
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2007/3/6


高松塚古墳 Takamatsu-zuka-kofun 

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 高松塚古墳は奈良県高市郡明日香村に位置する古墳。飛鳥時代末期のもので、直径約20メートル、高さ5メートルの二段式の円墳。内部の石室は横口式石槨(せきかく)。
 昭和四十七(1972)年の調査により発見され、石槨内部の壁面に極彩色の壁画が確認されたことで全国的に有名になった。
 壁画は天井に星宿、四方に青竜、白虎、玄武の四神と日月像、男女群像が描かれており、南壁のみ鎌倉時代の盗掘で破損している。
 現地で保存管理を行っていたが、カビや地震による石室への漏水などから、現在は古墳全体を覆屋で囲んで保護している状態である。
 内部の壁画は、隣接する高松塚壁画館で再現されたものを鑑賞することが可能で、古代の美を堪能できる。
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2007/2/26


鶴ヶ城 Tsuruga-jyou 

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 会津若松市のシンボル「鶴ヶ城 」は、戦国時代に葦名、伊達、蒲生、上杉、保科、松平と数多くの大名が治めた歴史があり、幕末の戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗した為、会津が激しい戦場となり、白虎隊の悲しい出来事も起こった。現在は、本丸を鶴ヶ城博物館として貴重な資料を展示公開しており、石垣や桜が美しい公園が城の周りに広がる。
 鶴ヶ城は1384年葦名直盛が造った東黒川館が始まりで、その後、会津領主だった葦名盛氏が改築し、現在の城郭の原型を築いた。(当時は黒川城)1593年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築き、名前も「鶴ヶ城」と改められた。
 会津地方を大地震が襲った1611年に、石垣や天守閣は大きく傾いた事があったが、その天守閣を改修し、西出丸・北出丸といった出丸を築き、ほぼ現在の姿の鶴ヶ城が出来た。この時に積まれた石垣は四百年経た今でも朽ちる事なく往時の姿を忍ばせている。
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2007/1/31


二本松少年隊 顕彰祭 Nihonmatsu-shounentai Kenshou-sai Nihonmatsu Shonen-tai Kensho-sai

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 二本松少年隊顕彰祭(けんしょうさい)は、福島県南相馬市にて行われる祭りである。
 明治維新を前にした戊辰戦争のとき、会津白虎隊に先駆けること約一ヶ月、白河城攻防戦に参戦した二本松藩主力本隊は日を追って後退し、陣を次々と西軍に占領され帰路を遮断された。
 主力藩兵が不在のため兵力を補うのに十三歳以上の少年たちまで特例として出兵することになった。このうち、十七歳以下のものたちを称して、後世「二本松少年隊」と呼ぶようになった。
 顕彰祭は毎年霞ヶ城公園の箕輪門下「千人溜り」広場で開かれ、少年隊にまつわる「吟」「剣」「詩舞」が披露される。
 二本松少年隊顕彰祭は、故郷を守るため若い命を散らした少年達の精神を現代に伝え、霊を偲ぶお祭りである。
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