NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/10


さいとりさし Saitorisashi Saitorisashi

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 さいとりさし(刺鳥刺)は、鳥取県に伝わる踊りである。
 さいとりさしとは、殿様が鷹狩に使う鷹の餌として小鳥を捕ることを意味し、また、それを仕事とする人の職名でもある。
 その昔、天下御免の鑑札をもつさいとりさしが、権力をかさにきて、各地を荒し回っていた。
 さいとりさし踊りは、このさいとりさしの横暴と世の中の封建制に反発し、民衆が酒席などで狂言風に歌や踊りを演じたものが始まりだと伝えられている。
 やがて、鳥を捕ることから転じて「嫁をとる」「福をとる」など祝狂言として伝承されてきた。
 四、五人で、そろいの法被、鉢巻き、手にトリモチの棒、腰にはこれ見よがしの鑑札、といった格好でユーモラスに歌い踊るその姿は、滑稽で愉快なものである。
 さいとりさしは、江戸から今に伝わる庶民の伝統芸能である。
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2007/2/1


中宮寺 Chuuguu-ji Chugu-ji Temple

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 中宮寺は、大和三門跡寺院のひとつ。奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。
 創建は推古天皇二十九(621)年、聖徳太子が母・穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)の御所を寺としたと伝えられる。
 尊智女王が入寺してからは門跡寺院(皇族・貴族などが出家して居住した寺院)となった。
 本堂に安置されている国宝の「弥勒菩薩像」は飛鳥時代後期の作で、寄木技法による作例としては最古。右足を組み、右手の指を頬に軽く触れている美しい姿は有名だ。
 また、聖徳太子の死を悲しむ妃、橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が死後の世界を刺繍させた「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)は飛鳥時代の染織の遺品としてきわめて貴重なものである。現在は当寺で模作が拝観できる。 
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2007/1/18


草津宿本陣 Kusatujuku-honzin Kusatsu-juku Honjin

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 東海道五十三次の、江戸から52番目の宿場。寛永十二年設置から明治三年の廃止まで二百三十五年間、大名や役人等の休泊を担った。
 東海道と中山道の分岐・合流点でもあり、かつては100軒をこえる旅籠が軒を連ねた要衝の地。現存する本陣の中で最大級の規模で、宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介などの名も見られる。
 草津宿本陣には「大福帳」の表題をもつ長帳が、元禄五(1692)年から明治七(1874)年に至る百八十二年間にわたって、各年一冊、計百八十二冊が残されている。
 江戸時代、本陣を頂点にさまざまな宿泊施設が集まっていた宿場。草津宿も同様で、本陣二軒、脇本陣二軒、旅篭屋は七十軒余を有し賑わいをみせ、なかでも、「田中七左衛門本陣」は建物をはじめ、敷地全体で当時の面影を今に伝える。昭和二十四年、「草津宿本陣」として国の史跡に指定され、多くの人を江戸の世界に誘う。
 「平成の大修理」を終え、平成八年四月より一般公開を開始した。
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2007/1/15


畳 Tatami Tatami

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 和室といえば、畳は必ずつきものである。
 日本の文化の多くは、古代中国や朝鮮半島など、外来のものが少なくない。しかし、「畳」は大和民族の生活の知恵が生み出したものである。
 その歴史は1300年とも言われる。平安時代では、かなり高級品として扱われた。貴族の邸宅に所々に置かれ、畳に鎮座している姿が描かれた絵がそれを物語っている。
 材料は「い草」や「わら」を使う。これらの植物は、蜂の巣のように細かい空洞がたくさんあり、これが湿気や害のある有機物質などを吸着する。また、空洞が空気のクッションとなって怪我などから守ってくれる。畳表のざらざら感は足裏を刺激して脳の活性化につながる。
 また、い草独特の香りがあり、アロマテラピー効果もあるという。
 日本の伝統のよさを思い起こさせる逸品である。
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