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2008/4/15


小丸山公園 Komaruyama-kouen 

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 小丸山公園(こまるやまこうえん)は、石川県七尾市にある、桜の名所としても知られている公園である。
 元々この地には加賀藩藩祖である前田利家の居城であった小丸山城が建っていた。
 天正一〇(1582)年に築城された城で、利家はここで二年間を過ごした。
 今も公園内には石垣や本丸を中心とした三つの曲輪と堀切が残っており、それらを整備しつつ公園として生まれ変わった。
 戦としての城が建っていた場所だけに高台に位置し、眺望に恵まれている。また、海辺に近いこともあり、七尾の町並みと共に七尾湾を一望することもできる。
 園内には約二百本のソメイヨシノやヤエザクラ、シダレザクラが植えられており、シーズンになれば競うように咲き誇り、秋になれば紅葉が公園を美しく着飾り、訪れる人々に憩いと自然の美を与えてくれる。
 利家とまつの銅像も建てられており、小丸山城築城から四百年を経た今、七尾の街を二人静かに見下ろしている。
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2008/4/8


高台寺圓徳院 Koudaiji-entokuin 

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 圓徳院(えんとくいん)は、寛永九(1632)年に、北政所ねね(きたのまんどころねね)の次男・木下利房(きのしたとしふさ)により、高台寺の三江和尚(さんこうおしょう)を開基とした寺院である。また、北政所ねねの終焉の地である。
 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻ねねは、「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長一〇(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と、その前庭を山内に移築して移り住んだという。
 それ以来、大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられている。
 また、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭による庭園が、臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち)を中心に広がり、マツとカエデの木立の下にウマスギゴケが地面を覆っており、方丈前庭の白砂とウマスギゴケの植え込みなどの色彩が楽しめる。
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2008/3/6


雲海 Unkai 

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 雲海(うんかい)とは、山間部の冷却状態によって発生する濃霧のような自然現象である。
 山や航空機など高い高度から見た時に、雲の上に山々が浮かんでいるように見える事からそう呼ばれている。
 秋~初冬にかけての時期に霧が発生し、高台から見ると山の上だけが島のように飛び出たように見える。
 雲海が発生するにはいくつかの条件が必要で、前日の夕方まで降雨があり、夜間から晴天となって明け方の放射冷却で冷え込み、無風状態になった時によく発生する。
 国内では、宮崎県の国見ヶ丘、霧島・高千穂峰、岡山県の弥高山、京都府の大江山、兵庫県の盃ヶ岳、熊本県の阿蘇、大分県の湯布院などが名所とされている。
 雲海は、雄大で神秘的な、自然の景色である。
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2008/2/18


浄瑠璃寺 三重塔(国宝) Joururi-ji Sanjuu-no-tou 

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 浄瑠璃寺(じょうるりじ)は京都府と奈良県の県境近く、当尾(とうのお)という山里にひっそりと佇んでいる。小さな山門をくぐると、史跡および特別名勝に指定されている庭園の池をはさんで、本堂と三重塔が向かい合っているのが見える。
 高さ16mと小ぶりな三重塔は国宝に指定されており、池の西側の高台に建っている。浄瑠璃寺創建から130年後の治承二(1178)年、京都一条大宮にあった寺院の塔を解体しこの場所に移築したと、当寺に伝来する「浄瑠璃寺流記事」(じょうるりじるきのこと)に記されている。
 構造上の特色は、初層内部に柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。当時としては画期的な建物だったという。浄瑠璃寺に移築後、初層内部に仏壇を置き、その上に薬師如来坐像(国指定重要文化財)が安置された。壁面には十六羅漢像や飛天が描かれている。
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2008/2/14


龍飛崎 Tappi-misaki 

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 龍飛崎(たっぴみさき)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町にある津軽半島最北端の岬である。
 岬は海抜100m前後の台地状にあり、山並みがいきなり海に落ちる突端が龍飛崎で、高台には日本の灯台50選のひとつにも選ばれている、白亜の龍飛埼灯台が建っている。
 名前はアイヌ語で刀を意味するタムパから来ているとされるが、龍が飛ぶがごとく、強い風が吹くことから龍飛崎と呼ばれるようになったとも言われている。
 岬には津軽海峡冬景色歌謡碑と、碑の丘や太宰治文学碑、吉田松陰碑など、多くの文人・偉人碑が存在している。また、龍飛バス停と龍飛崎灯台を結ぶ階段は、日本唯一の国道階段として知られている。
 岬一帯には、風力発電の風車が回る龍飛ウインドパークと展示館、青函トンネル記念館、龍飛崎シーサイドパークなども存在する。
 龍飛崎は、壮麗で迫力ある、日本を代表する岬である。
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2008/1/24


三納城跡 Minoujou-ato 

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 三納城(みのうじょう)は宮崎県西都市の西方の台地に建てられていた難攻不落の城であった。
 築城に関しての正確な記録は残っていないが、南北朝時代の建武二(1335)年、伊豆より赴いた伊東祐持が都於郡(とのこおり)を治めていた頃、支配下においていた四八の城の一つで、飯田備前守が城主であったという記録が残されている。
 城の西方は断崖絶壁、南側には三納川が流れ、北方は山地に接する堅固な構えを誇り、南方には曲折登坂の追手口を配していた。さらに高台に本拠地をかまえ周りには防御のための壕や堀が設けられていた。
 天正五(1577)年には島津家との争いに敗れて豊後に逃げ落ちた伊東氏の最後の砦となり、今では周りを樹木が覆っている。
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2007/12/25


常燈明台 Joutou-myoudai 

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 靖国通り九段坂上にある「常燈明台(じょうとうみょうだい)」は、東京湾の漁船の目印のために建てられたものだという。今からではとても考えられないが、当時はここから東京湾が見られるほど見晴らしの良い高台であったといえよう。遠く房総からもその明かりを見ることができたともいわれる。
 明治四(1871)年、当初は靖国神社に合祀されている霊を慰めるために、靖国神社に建立された。その後道路改修のために現在地に移されたという。
 台座は日本様式の石造りになっており、上部は八角円筒の西洋式で、頂上には金色の風見鶏がつけられている。和洋折衷の建築様式が流行した、明治初期の雰囲気が今も漂う。
 一〇〇年以上もの間、街の移り変わりを見下ろしてきた燈台である。
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2007/11/28


法観寺 五重塔(八坂の塔) Houkan-ji Gojuu-no-tou(Yasaka-no-tou) 

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 法観寺(ほうかんじ)は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院である。
 この寺の五重塔は室町時代の建築物で、高さは約49メートル、東寺や興福寺の五重塔に次ぐ高さだ。
 茶屋や数奇屋の軒が並ぶ風情ある八坂通りを進んでいくと、正面にこの五重塔が現れる。夜はスポットライトで照明され、町並みとともに写真に収める観光客も多い。法観寺の塔というよりも八坂の塔(やさかのとう)としての名称のほうが有名だ。
 作りは純和様、本瓦葺。塔の五層部には欄干を意味する高欄がある。中心の礎石は創建当初のものがそのまま用いられており、初層内部には大日如来を中心とする金剛界五仏が安置されている。
 また二層目までは階段で登ることもでき、高台にある塔の二階から、京の町並みが堪能できる。
 明治三〇(1897)年に国指定重要文化財となっている。
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