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2008/2/6


妙法院 Myouhouin 

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 妙法院(みょうほういん)は、数々の著名な寺社が立ち並ぶ京都府東山区に位置する天台宗の古刹である。
 古くから皇族や貴族の子孫が住持を務める寺院を「門跡」といって別格の扱いとされるが、この妙法院も門跡の一つであり、青蓮院、三千院と並び「天台三門跡」と称されてきた名門である。
 その創建には諸説あり、元は比叡山上にあった小寺院であるといわれ、開祖を最澄とするものや、後白河上皇が落飾後の永暦元(1160)年ごろ、比叡山の僧、昌雲が里坊を開いたのを始まりとするものなどがある。
 平安時代末期には京都市内に移転、その後は幕末まで代々法親王が住持を勤めていた。
 当時は広大な敷地面積を誇り、通し矢で有名な三十三間堂は、今も妙法院の管理するところである。
 豊臣秀吉が築いたといわれ、国宝にもなっている庫裏(くり)や重要文化財である大書院、狩野派の筆による障壁画が残る大玄関など、桃山文化の美が封印された大伽藍を今に伝えている。
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2007/10/31


青蓮院 Shouren-in 

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 青蓮院(しょうれんいん)は、比叡山延暦寺の三門跡の一つで天台宗の寺院で知られる。門跡寺院とは、皇族や摂関家など高貴な身分の子弟が入寺した、特定の寺院をさす。天台宗の三門跡寺院とは、青蓮院、三千院、妙法院のことである。
 寺の歴史は古く、比叡山につくられた僧侶の住坊が起源といわれ、そのひとつである「青蓮坊」が青蓮院の起源であるといわれている。当時は最澄、円仁はじめ高僧の住居であったという。
 青蓮院は別名「粟田御所(あわたごしょ)」とも呼ばれている。これは天明八(1788)年に京都で起こった天明の大火のとき、後桜町上皇(ごさくらまちじょうこう)の仮内裏になり、そのため江戸末期まで一般の立ち入りが禁じられていたことによる。
 門前にはクスノキの巨樹があり、樹齢は約八〇〇年といわれ、京都市の天然記念物に指定されている。
 また、室町時代に相阿弥(そうあみ)が作庭したと伝えられる龍心池を中心とした回遊式庭園も見物である。
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2006/12/20


三千院 Sanzen-in Sanzen Temple

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 三千院(三千院門跡)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。本尊は薬師如来。
 青蓮院、妙法院と共に天台宗の三門跡寺院の1つに数えられており、延暦七(788)年、最澄が比叡山延暦寺を開いた時に、比叡山内の東塔南谷に自刻の薬師如来像を本尊とする「円融房」を開創したのが起源という。
 円融房のそばの大きな梨の木から「梨本門跡」とも呼ばれ、「円徳院」「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」の別称もある。
 三千院という寺名は度重なる移転の後、明治四(1871)年、三千院の本坊が大原の地に移転して以降使われるようになった。その時、12世紀から元々この地にあった阿弥陀堂往生極楽院(旧称極楽院)が、その境内に取り込まれた。
 国宝の阿弥陀三尊坐像を所有。
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